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第5分科会

子どもにとってはすべてが育ちの場PART2

         姫野 美佐子(子どもの発達と地域研究会)



@ 基調提案(姫野美佐子:子どもの発達と地域研究会)

 私たちの研究会は「子どもの発達と地域」研究会という名前だが、学校・地域を問わず、子どもたちのことでつながっていけたらいいなあと思っている。子どもたちが日常で「ほっとできる」「自分を出せる」と感じている場所は、それぞれに違う。ある子は学童保育だったり、ある子は担任の先生の前だったりする。しかし子どもたちと接している大人が「自分の知らない場所」での子どもの様子を知ったり交流する場があまりにも少ないのではないだろうか。一方で社会は人と人とを分断しようとする動きが強い。私たち自身がもっとこのような場を利用して互いにつながることが、今とても求められていると思う。3つのレポート紹介。討論の柱を3つ提起。


1.3つのレポートそれぞれから見えてくる、具体的な子どもの発達の姿について。どのような関わり方によって、子どもがどのように変わってきているのか。

2.子どもの発達に、学校や地域はどのような役割を果たしているのか。「集団で育つこと」の意義について。

3.さまざまな場所で子どもたちと接している大人が今後、どのような形でつながりあっていけるだろうか。


AレポートT(Nさん:劇団やまびこ座)

10歳から13年間、やまびこ座に関わって見えてきたもの

劇団やまびこ座とは?
・「大人が大人の役を、子どもが子どもの役を演じよう」と子どもから大人までともに演劇をする児童劇団を創設。1951年6月10日、3人の教師仲間、演劇部の卒業生である高校生らを含む当時の青年団員や、近所の小中学生の座員で「児童劇団やまびこ座」を創立。既成の脚本を使わず、自分たちが普段疑問に思っていること、言いたいことなどを劇西、脚本から自分たちの手でつくる「集団創作劇」の劇団である。
・年に2〜3回の公演を行い、加えて地蔵盆や敬老の日、その他地域のお祭りなどに人形劇の巡回を行っている。

やまびこ座の活動について
・劇づくり、地域への人形劇巡回公演、子ども・青年と父母との対話集会などに取り組んでいる。
・劇づくりの中には「集団創作劇」と、既成の脚本や座員の誰かが書いた脚本を使っての劇の、二種類がある。また、中学生以下で構成される児童部、高校生以上25歳未満で構成される青年部があり、それぞれ月に一度の部会や、行事などを行っている。資格討議という活動もある。

私の居場所「やまびこ座」
・ 兄が通っていたこともあり、何度も入団を誘われていた。しかし「入る」と言うのがはずかしくて言えなかった。小学3年生の2月にようやく「入る」と言ったのを覚えている。それからは毎週水曜日と土曜日が待ち遠しかった。発声練習をしたり、歌を歌ったり、8時半にけいこが終わってからお兄さんやお姉さんと話をしたり、劇の本番前には一日中けいこをして、お昼はみんなでお弁当やさんに行って「からあげ弁当」を買ったり、みんなでバンダナをまいて大掃除したり…。そういう何気ないことがすごく楽しかった。年上の人と一緒に、同じ年の子どもとはできないことや、同じ年の子どもはきっとしてないであろうことが、特別な感じがして嬉しかった。小学生のころは、同年代とも上手くやりたいけれど、異年齢(特に年上)の存在が嬉しく、楽しく感じていたようで、自分自身でも重視していたように思う。
・中学生のころ、同年代の仲間が劇団をどんどんやめていった。自分も、学校のクラブが忙しくて両立は大変だったが、やめようとは思わなかった。この頃から、本当の仲間と言えるような関係づくりができてきた気がする。そしてなぜか学校は息苦しく感じていた。そんなときに、劇作りを通して真剣な話、社会の話をする機会があること、同じ目標に向かって一生懸命取り組み、しんどさなども体験することで得られる連帯感や仲間意識の高まりを感じた。
・高校受験のときもほとんど休まなかった。2月にある公演は、衣装チーフとして参加。おそらくやまびこ座が、自分の生活のバランスをとるための存在だったのだろう。高校生になるとスタッフとして活動することが主になった。それも、チーフを任されたり舞台監督助手をしたりすることが多かった。それによって、先頭に立って物事を進めることが苦ではなくなった。そこで身についた力として大学入試では自己推薦で受験した。 ・やまびこ座に通うことがしんどくなり始めた。アルバイトや遊びを優先させてしまうようになり、稽古に継続して参加することが難しくなった。それまで一緒にがんばってきた同年代の仲間がどんどん減っていったことも原因のひとつだった。でも、やまびこ座全体をみてみると、どんどん青年が少なくなっていた。ずっと自分だけを責めてきたが、もしかすると自分だけでなく、社会にその原因があるのかもしれないと思い始めた。そこで卒業論文はやまびこ座を通して青年の生活の変容について書くことにした。そのとき、現座員・元座員の人たちにアンケートを取り、やまびこ座の存在について質問した。返ってきた返事のほとんどが、とてもあたたかいもので、やまびこ座で過ごした日々が今の力になっているというものだった。卒論を書き終えて、改めてやまびこ座の活動、存在の意義の大きさを感じた。再び継続して稽古に参加することにした。久しぶりの稽古はとても新鮮だった。人数はさみしいほど減っていたが、子どもたちはいきいきしていた。年齢など関係なく、思ったことを伝え合っている。この姿は、どこでも見られるものではないことを知った。

最後に
 小学生のころの自分の記憶は、すごく曖昧だけれども、どうでもいいような一場面をいろいろと覚えていた。小学生のころの記憶はやまびこ座のことばかりだった。学校での記憶がとても薄い。それほど、やまびこ座に重きをおいていたのだろう。やまびこ座で育ったといっても過言ではないだろう。いつも誰かが自分を見てくれていることが分かる場所だったのかな、と思う。ゆっくりと自分と関わってくれる人がいることが、何よりもうれしいことなんだと思う。


BレポートU(Tさん:京都子ども勉強会)

どの子にも確かな学力を(略:詳しくは「年報20号」をごらんください)


CレポートV(浦田直樹・小山民:秋桜高等学校)

やわらかい空気に包まれて〜子どもも私たちも変わりたくなるとき〜

はじめに

秋桜高校は、大阪にある通信制・単位制の私立学校です。全日制高校とはシステムや雰囲気など違うところがたくさんあるかもしれません。けれども生徒の9割以上が高校生の年齢であるということを考えると、また6割以上の子どもたちが公立・私立の全日制高校からの転編入生であるということを考えると、秋桜の子どもたちも、全日制高校の子どもたちも通う学校が違うというだけで変わりはないのだと思います。だとすれば、子どもたちと出会う教師としての私たち、子どもたちと過ごす学校、という意味においても、私たちの学校と他の学校の間に大きな違いはないと思います。教師である私たちは、目の前の子どもが、うれしい気持ちになること、ゆたかにのびのびと育ち合ってゆくことを願います。もちろん私たち教師も子どもたちと、また教師同士の間で育ち合いたい、変わってゆきたい、また明日も教師でありたいと思えるようでありたいし、そんな日々が過ごせる学校であれば、と思うのです。

秋桜高校ってこんな学校

・生徒数は現在565名。全日制と違い、毎日登校する必要はなく、年間15日ほど登校し、スクーリング(授業)を受ければ、一年間に必要な単位を修得することができます。(スクーリング以外にレポートの提出とテストで合格することが必要です。)

・最低限度しか登校しない子どもとは一緒に過ごす時間をほとんど持てないことになりますが、暇な時間に、また居場所を求めて、ぽつぽつ来る子、ほぼ毎日学校に来る子どももいます。学校での過ごし方も様々です。授業を受けたらすぐに帰る子ども、レポートをする子ども、職員室や事務室や空き部屋で先生や友達とおしゃべりをしたり、トランプや将棋をして遊んだり、楽器を弾いて過ごす子どももたくさんいます。学校が登校スタイルや過ごし方を決めないので、本当に様々なスタイルが存在しているのです。

・教員は現在13名(うち養護教諭1名)、12名でクラス担任をしています。クラスは便宜上分けられているだけで、授業にしても行事にしてもクラス単位で行うことはありません。クラス担任は、クラスの子どもと連絡を取る窓口のようなものです。

秋桜にやって来る子どもたち

・中学を卒業してやってくる子どもは60〜90名ほどで、年度途中に他校から転編入してくる子どもが全体の6割ほどになっています。

・中学からの新入生は、中学時代に不登校であった子どもが多いです。また、教室で落ち着いて授業を受けられず、暴れたり、やんちゃをしていた子どもや、発達や学習に何らかの課題を抱えている子ども、家庭状況が複雑な子どもが少なからずいます。他校からの転編入生は、進級・卒業ができなかった、学校に馴染めなかった、生活指導上の問題を起こして退学になった、などの理由で転編入するケースが多いです。どちらにせよ、他校ではやっていけないということをどこかの時点で思い、思わされて本校にやってきます。

・私たちは、希望する子どもを全員受け入れたいと思っています。授業料を公立並みに抑え、入学試験でも、学力の有無を問うことはせず、入学する意思があるかないかを確認するだけです。しかしながら入学者の数は年々増え続けています。希望する子どもは全員受け入れたいという願いはありますが、受け入れられる生徒数には限りがあります。大切にしたいことがこの先どこまで守っていけるのかということに不安があります。

本校に入学してきた子どもの文章

・心配やったり、不安やった今年度初めての3年次生スクーリングの週、今日で終わり。スクーリングの週が始まる前の日々って、いつも緊張や不安でいっぱいになる。だからスクーリング苦手だったけど、なんか今は好き。秋桜に来る理由・来れる理由があることがなんか嬉しい。「ここに居ていいんや」って思えるから。(中略)ある先生から2年生の男の子を紹介してもらって少しだけど話したり、一緒に勉強したりと、同じ空間に居る時間を過ごした。その男の子はすごく緊張している様子で「大丈夫やったかな…」って私は、今も思っているけれど…。教室に入ることが怖い気持ち、ものすごく分かる。3年になった今でも、私は教室で授業を受けるの怖いから…。だけど秋桜の先生は、守ってくれる。そして気にかけてくださる。優しく「大丈夫?」って聞いてくれる。だから今日まで秋桜で過ごしてこれたんだと私は思うのです。今は、教室に入れなくたって、いいと思うんだ。秋桜に来れていることがすごいって思うの。どんな日々も、過ごせていられることがすごいって思うの。(中略)秋桜というところは、あなたのペースに合わせてくれるところだから、ゆっくりあなたのペースで歩いていてって思うのです。(後略)

仲間について

・月に一度、午後から授業がないときに、家庭科室でケーキとお茶を飲みながらみんなでおしゃべりする茶話会の時間を設けています。他に、夏と年末とに行う一泊研修があります。一番大切にしていることは、教職員みんなが学校のことや子どものこと、それぞれの夢や思いを、ほっこりとした雰囲気の中で気持ちよく語り合えるということなのです。

・茶話会や、教員間でゆっくりと話をしたり、何かを楽しんだりする時間は意識して作り出す工夫をしてはじめて持てるものです。私たちは職員室にいても、休み時間も、昼休憩も、放課後もずっと子どもと一緒に過ごしていることになるので、本を読んだり、教材研究をしたり、他の先生とゆったりと話したりする時間や場所をなかなか持ちにくい状況にあるのです。(ですから)そうやって過ごす時間が重ねられ、やわらかい空気を生み出しているように思います。

そのような時間を大切にする意味

・子どもとのよい出会いや、作られていく関係が、私たちの授業や教育活動の支えになります。私たちは、校務分掌の仕事やさまざまな雑務は意識して最小限度に抑え、子どもと過ごす時間を優先して持とうとしています。雑務も校務分掌も、都合をつけたりみんなで手分けしたりすことができますが、子どもたちとの出会いはそのときをおいてできるものではない、と思っているからです。けれども、子どもと過ごす中で私たちが抱えてしまうこと、どう考えればいいのか分からなくなったりこういう対応でいいのかと不安になってしまったりすることはいつでもたくさんあるのです。それらは、その先生一人の力で解決していけるものばかりではありません。

・また、それぞれの先生が、子どもとさまざまにやりとりし、関係を築いていきますが、その出会いをみんなのものにしたいと私たちは願います。ひとりの教員が子どもに伝えてあげられることよりも、多くの教員が関わり伝えていこうとすることの方が、子どもにとって、また私たちにとっても、より豊かなものをつくり出すことになると思っているからです。

授業について

・秋桜での授業は、一時間ごとに参加しているメンバーや数が変わっていくので、私たち教師も授業に参加する子どもたちも、人や授業の雰囲気に慣れるということがありません。 私たちは必死で子どもの顔と名前を覚えるので、授業に出ているほとんどの子どものことは分かりますが、子どもたちにとってみると、名前も顔も知らない子どもに囲まれて授業を受けているという感じなのだと思います。不安でたまらないために、誰かを変にいじったり、騒ぎ続けたりする子もいれば、誰ともしゃべることができず、かたまって苦しくなってしまう子どももいます。ヤンチャな子どもたちは、たいてい集団で教室にやってきて、自分たちの強さを表現します。大きな声や音を出したり、私たちが悲しくなるようなことをするので、私たちは途方に暮れてしまいます。

・私たちが授業中に質問したことに、誰かを指名して答えてもらえるだけでも、かなりうれしいことなのですが、指名していないのに思わず答えを言ってしまったり、浮かんできた疑問や思いを発言してしまったりする子どもがいてくれると、その授業は私たちが想像できないほどによい時間になることがあるのです。

※たとえば、こんな感じー今年入学してきた1年生の英語T(浦田)での授業のこと。マコトとショウゴとダイキが教室にいました。3人は、どの授業でも、落ち着いて座っていることができず、携帯でゲームをしたり大声で話をしたり、机をたたいたり。3人は、勉強は大嫌いだけれでも、学校や秋桜の先生は好きらしく、スクーリングのある週は毎日登校し、職員室で先生たちと話すことを楽しみにしてくれています。3人のそんな気持ちがうれしくて、私たちもたくさん話しかけ、楽しくおしゃべりしたりして過ごしてきました。

 6月はじめの授業だったので学校にも授業にもまだ慣れていない子どもが教室には何人もいます。そのときの授業を受けていたのは、18人と小山でした。授業をしていた私も、まだまだ出合って間もない子どもたちが多いこともあり、かなり緊張していました。

 英語のレポートをみんなで一緒にやっていて、アメリカ人は1年間にハンバーガーを350億個食べているそうだが、一人あたりでは1年間に何個食べているのかという話になりました。それまで、授業とは関係ないことばかりしていた3人が、話に入ってきます。アメリカの人口が約3億人ということが分かり、3億人が一年間で350億子食べるということは…350億を3億で割ったらいいねん、ということになったのですが、あまりにも数字が大きすぎてにわかに答えは出てきません。数字はまだ好きなほうだというショウゴが、この計算の仕方を説明し始めます。

ショウゴ「まず、億と億を消すやろ!」
浦田  「おお、そやそや。ほな、350÷3=116.666…、やからぁ、1年で一人あたり120個くらいやな」
ダイキ 「なんや、そんなもんなんか」
浦田  「そやな、意外と少ないな」
ショウゴ「俺らでも、もっと食べてると思うで」 しっくりこないダイキが一言、
ダイキ「…え、その億は戻さんとアカンのちゃうん?」 それまで2人のやりとりを黙って見ていたマコトが、
マコト 「ええねん、あの億は消したんやから戻さんでええねん・お互いなんやから」

 ここで、教室中に笑いがはじけました。入学して間もない6月の教室は、まだまだ不安がいっぱいのはずなのに…私たちも子どもたちもみんながうれしくなってしまうのはこんな時間です。

変わっていく子どもたち・私たち

・授業や行事、それ以外の時間に出会いが重ねられていく中で、子どもたちは自分でも信じられないくらいの変化を見せてくれます。授業にしても、学校生活にしても、それぞれが誰かと関係を築いていくことによって、そしてそれが広がっていくことによって、子どもはそこに居やすくなるし、うんと変わってゆきます。そうして、その変化はどこまでもゆたかなものになっていくのだと思うのです。ゆたかだということ、それは教員であれ、子どもであれ、楽しいと思って過ごせる日が増えるということ、もっと誰かと出会ってみたいと思えるようになること、まだ見ぬ自分に出会ってみたいと思えるようになること………、もっと他にもあるかもしれません。

終わりに

・学ぶ、ということがどういうときに成立するものなのか、学びが成立するとはどういうことなのか、私たち教師はそのことをいつも考えます。その答えは簡単には見えてきません。私たちはそれぞれの授業で交わされた子どもとの会話や、子どもが見せてくれた表情、そしてその授業がどんな雰囲気で、どんな予想外のことが展開したのか、また授業が終わってからの子どもたちの様子などを伝え合おうとします。そうすることによって、学びに必要なものがどういうもので、どんなときに学んでみたいと思うのかということ、授業の中で私たちが気を付けなければならないことや大切にしておかなければならないことは何なのかということなどが、少しずつではありますが、みんなのものとして、はっきりと見えてくるように思います。そのようにつながり広がっていくことで、一人ではなく多くの人によって紡ぎ出される学びが生まれていっていると私たちは感じています。

・とは言うものの、満足や納得のいく授業などは誰に聞いてもほとんどないと答えます。変な汗をかきながら、早くチャイム鳴ってくれないかなと願ってしまうようなこともたくさんあります。そんな授業でも、チャイムが鳴って黒板を消しながら肩を落とす私たちに優しく声をかけてくれる子どもたちに何度も救われてきました。子どもたちは先生たちにたくさん優しくしてもらっているので、私たちにもいろんな場面で優しくしてくれるのです。子どもたちと私たちはそうやって支えあいながら過ごしてきています。

・私たちはさまざまなことから解き放たれています。私たちも子どもたちも、何かに縛られるということがないので、自分の足で自分の進んでいく道を探していけるし、周りのことや人に目を向ける余裕も生まれているのではないかと思うのです。しかしながら、同じような同じような環境になくても、生み出していける豊かな時間や場所は必ずあると思います。授業を受け持っているクラスの子どもたちの名前を覚えて呼びかけてあげる、子どもが自由に書ける紙や自由にしゃべる空間を作り、そこに書いてくれたこと、そこで見られた子どもの表情を他の先生に読んでもらったり聞いてもらったりする、授業でうれしくなったことを担任や他の先生にうれしそうに話してみる、うれしかったことを子どもにうれしかったと伝えてあげる…、もっと他にもたくさんあるのだろうと思います。ただそれだけのことが、簡単にはできないようなことがそれぞれの学校にはあるかもしれませんが、できていることもたくさんあるはずです。そのことをできるだけたくさんの仲間や子どもたちと拾い上げていくこと、そしてそのことを喜び合える人のつながりを広げていくことができるならば、変わっていくこと、変えられていくことはたくさんあると思います。今日の分科会がそのような機会になることを心から願っています。


D討論

・秋桜高校への質問。普通の学校は子どもたちに「結果」を求める。秋桜は「結果」ではなく、「プロセス」を求めているように思える。両極端である。秋桜の先生から、普通の、公立の先生への「お願いしたいこと」はあるか?

・(上の質問に対して)どんな結果も求めていない、というわけではない。「こんな大人になってほしい」という「結果」を求めていたりする。公立の先生に対しては…、「お願い」というより…、私たちが他校から編入してきた子どもたちの変化を見ていて、「前の学校の先生も、もう少し待ってあげてくれていたら、この子の変化に出合えていたのに。子どもを待ってあげてほしい」と思うことはある。

・(上の質問に対して)求めていることは常に求めている。社会に出たときにどんな存在であってほしいかは、いつも考えている。

・小6の娘がひとりいる。今日の3つのレポートと、我が子や多くの子どもが通う学校とを正反対に感じた。何が違うかと考えてみたら、多くの子が通う学校は、国家(文科省)の枠に親や子をはめようとしているところが違う。自分自身、子どもに対してとても複雑な思いがある。娘は、体育・音楽が好きで手先が器用という長所がある。だがそのことに対して、数学のテストの点を同じように評価してあげられない自分の矛盾を感じている。

・やまびこ座と、勉強会の話をきいて、「学校は息苦しくて」という子がほっとできる場所があるのはいいなあと思った。今私は、児童相談所でバイトしている。すさまじい家庭の実態がある。「本当に小2?」と思うほどしっかりしている子もいる。秋桜のレポートをきいて、「すべての先生が最高」と子どもに言ってもらえる学校だときいて、「エー本当に?すごい」と思った。質問がある。Nさんのレポート「学校は息苦しかった」これは何か、もう少し詳しくききたい。

・Nさん(上の質問に対して)よく分からないけど、いつも中学校ではイライラしていた。先生が特に嫌というわけでもなく、友達もいたが、いつも学校が嫌だった。

・私もやまびこ座の団員。中学から学校に行けなくなって、高校は通信制だった。それでもやまびこ座はやめずに行っていた。

・遠い昔の話になるが、私の中学時代は黄金時代だった。今の学校は大変だ。 ・職員室の雰囲気で、その学校のことは大体分かる。職員室をどう変えていくのかが問われている。学校が全てだめなわけではないし、がんばっている学校をどう励ますか…。

・「教育の自由」をどう展開するかということだと思う。そういう意味で、小泉・安倍ふたりの首相は犯罪者と言ってもいいと思う。ああいう人物を生み出さない教育をどう作るか?


Eまとめ(棚橋啓一:子どもの発達と地域研究会事務局員)

・今日のレポート3つからは、虫メガネで「子どもの発達」を細かく見せてもらったような気がする。これらを、これから理論化していくことが、教育センターの大きな仕事だと思う。

・子育てと教育は、あくまで「父母」が中心である。父母を中心にすえて、広いつながりのなかで活動を広げていくことが大事。 ・発達の原動力は矛盾である。

・昨日の全体講演でも言われていたが、格差社会が広がっているが、それを許さないでいくことはもちろん、私たちにとって「弱者と生きる」ではなく「弱者として生きる」という視点が大事である。


F感想文より

・ひとつひとつのレポートが内容の濃い、報告者の思いのこもったものでした。議論と言うより話を聴くことが主になる分科会でしたが、参加された方は必ずそれぞれに感じたものがあるだろうなと思います。また来年も同じ機会があるなら話を聴きに来たいです。

・今の学校には、余裕がないと思います。例えば、先生が病気になっても休むこともできないような余裕のない中で、子どもがゆったりできるわけないです。そんなことに改めて気づかされた分科会でした。学校のおかしいところは、おかしいとはっきりさせることが必要かなと思いました。

・「自分の素を出せる、ホッとする場」が子どもにとって必要だと思います。家庭、学校、地域が連携し合い、ゆっくりと、そのような場をつくっていけるよう、努力したいです。

・この間、別の学校の先生が「子どもと教師でいうと、教師の方が傷つきやすかったりするんですよ」とおっしゃっていて、私や浦田先生、秋桜の先生たちは「ホンマに、そうやなあ…」と感じていたのでした。今日、棚橋先生が昨日の講演の話をされたときに「弱者として生きる」ということを言われていました。もしかしたら全然違うことかもしれないけれど、私は、弱者として、そういう人として子どもと生きていきたいとやっぱり思います。弱者としての先生は、人の手を借りて、子どもの声をきいて、それでやっていけるのだと思うのです。弱い人のことが気になるし、ていうか、やっぱり人はみんな弱いから、どの人とも手をとりあって、生きていきたくなるし。…棚橋先生の「理論化していくことが大切やと思う」という言葉にもうなずかされます。むつかしい言葉にするのではなくて、「大切なことってつまりはこういうことやな」っていうことを確認し合える、そういう場を持つこととか、言葉にし合うこととかが大事ってことよね。たぶんね。学校じゃないところに生きる大人たちに、出会えて、でもそこで子どもとしあわせに生きようとしているそんな思いや実践がたくさん聞けて、今日は本当に嬉しかったです。うまいこと言えないけど、その多様さが運営する人の大変さを大きくしていたとも思うので、本当にごくろうさまって言いたいです。

・Nさんの報告…やまびこ座という1つの場を通して自分自身をふり返ることができるということに大きな驚きを感じました。今の自分をつくってきたそういう場であったのですね…そこには本来あるべき社会の姿があったのだと思います…年齢など関係なく、思ったことを伝え合えたり、たくさんのお兄さんやお姉さんに話しかけてもらえたり、資格討議では自分のことについていろんな人が見ようとしてくれていたり、一人ひとりがそこに存在していることを認められ、必要とされている。そういうものがある場であれば、ゆたかに育ち合ってゆくことができるのだと思いました…Nさんが成長したように、Nさんが居たことでたくさんの子どもや大人が育ち合えたのですよね。僕は学校であれ、地域であれ、どんな集団であれ、そういうものが保障され、大事にされていなければならないと思います。僕は誰もが通う学校というところがやっぱり一番そういうことを大事に保障する場でなければならないと思います。この地域に住んでいないから、この劇団に入っていないから…そういうことが一部の場所での一部の人でなければならないということではなく、秋桜に通っている子だけとかじゃなく、どの学校に通っても、そういうことが保障されるということをめざさなければと思っています。Tさんの報告…自分の秋桜での姿に重なりました。どんな時にどんなことを感じるか、またなぜそう感じるのかということ…抽象的ですが、2人の兄妹との関わりの時間を大事にされてきたその一つ一つをとてもすてきだと思いました。学校でない所でもTさんのように子どもや人間を見つめてくれる人がいるということにすごくうれしく思います。そういう人たちとずっとつながりを持って広げていきたいなあと思いました。運営の人たちへ…とてもよい時間を過ごさせていただきました…準備も大変だったことだろうと思います…お茶に、おかし、そしてあたたかい雰囲気があふれる時間…勉強会で僕たちがいちばんほしいと思っていることでした…本当にご苦労様です。

・劇団・塾・私立学校での教育実践の報告があり、その三本の実践に共通して「教育とは何か」という基本的な問いがあり、教育のあったかさがありました。 とくに「教師(教える立場の人)のあり方を問う「教師論」としてとらえ直したいと思いました。佐貫提案の「対抗軸」の中心を担う「教師」集団の精神内実を考えるのに役にたち、私の課題として受け止めていきたいと思いました。


G最後に

 今年も学校の方に一本、地域の方に2本のレポートをお願いし、参加者も含め、両者が出会うことのできる場、交流の場として設定できて良かったのかなあ、と思いました。それは感想文にも書かれているように、議論をすすめていく上では、運営する側にはけっこう大変なのですがやはり重要だと思います。昨年も、学校の先生と少年団の青年が「これからも連絡を取り合いましょう」ということになったり、京都子ども勉強会のスタッフがチャレンジクラブに見学に行ったりという風に、つながりが広がったものでしたが、今年も参加者の中から「ぜひ、秋桜高校へ見学に行きたい」という声が出ています。これは、運営をしている私たちからすると、最もやりがいを感じることのひとつです。同時にこの輪がもっと広く強くなるようなことも、今後も考え続け、やり続けたいと思っています。それから棚橋先生がまとめで言われた「理論化」に向け、昨年は通信という形で少しずつ発信してきましたが、今年はどこかで本格的な議論の場を作りたいと思います。

2008年3月
京都教育センター
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