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第4分科会

子どもの発達と自然との関わり
−−人間と自然との相互性−−

        
浅井 定雄(発達問題研究会)


【分科会要項】

1.基調報告「人間と自然との相互性」(関谷健:発達問題研究会事務局)

2.報告「子どもたちが見つめる目」(和田昌美:京都市嵐山東小学校)

3.報告「子どもとモノとの関係」(中村雅利:京都市嵐山小学校)

4.報告「地域は子どもに何ができるか」(堀井篤:元立命館高校)

* 運営担当 浅井定雄・関谷健・西浦秀通・中山善行



1.基調報告・「人間と自然との相互性」 関谷 健(要旨)

 この研究会は数年前から「子どもの遊び」について研究。「自然」の概念について問題になったのは堀井先生の報告から。これを機会に人と自然との関わりを深めたい。

 最近は子どもたちは人工物の中に囲まれて生活をしている。ニュースで残酷な事件が相次ぐ。ここまきたのかと思う。で地域はどうなっているのか。その根底に自然についての認識が育っていない。力学的な生活自体ができていない。人と自然との関係で、デカルトが宗教観と自然観が一体となったことから、自然を分離して、心から離れた科学を独立させた。その二元論的なものが、今日、相克、対立していることが気になっている。唯物論的にどう考えるかという哲学的な議論も最近されていない。心の問題と体の問題を統一的に考えることの重要な時期である。一方文部科学省の理科教育は、だんだんと心の問題に傾斜して、これでは自然科学観が育たない。現在はニュースなどで、チンパンジーなどの知恵がテーマになっているが、基本的には人間と似通った傾向を示している。1歳から1歳半ぐらいの子どもは「重力を感じている」という研究が出ている。赤ん坊の研究から、さらに自然と発達との関わりを深めたい。


2 報告・「子どもたちが見つめる目」 和田昌美(要旨)

 毎日ドタバタと暮らしている。データ処理がなかなかできなくてレポートもできたてのほやほやです。

 嵐山は阪急嵐山から松尾駅まで。自然が豊かで野鳥も桂川にとんでくる。毎日、観光地の中に暮らしている。1年前、学校内にビオトープをつくる。今年で4年目。自然の豊かな地にビオトープをつくったのは、もともと自然豊かな地に、住んでいたものを呼び戻したいということだったが、なかなか難しい。ザリガニが繁殖したり、藻が発生したりして維持管理が大変。学校OBが「ビオトープネットワーク」でがんばってもらっている。6月にPTA中心に観察会があり、低学年子の参加が多い。意識的に生き物に関わる。この間も新聞にホタルの記事が出ている。

 ビオトープにトンボ、蝶を呼び込むことを狙いとしている。10種類ぐらいの生物が来ている。ヤゴについては、いろいろ種類は多い。毎年少しずつ増えつつある。毎年、大掃除とシートの張り替えなど「熱心に」地域の方も関わっている。8月末には3・4年生の観察会をして「地域の輪」でビオトープの説明をしてもらっている。生き物の餌や外来種についての説明もある。中学年で固定して年2回の観察会をしている。4年生で「ツバメの実態調査」をしている。

 4年前に4年生を持っていた担任がして、それを引き継いでいる。子どもたちはツバメの巣を見つけたらインタビューをして、詳しいことを聞く。自分の目で見てわかることと、インタビューをもとに「つばめ新聞」を作っている。昔は、嵐山から松尾まで何もなかった、一面が田圃だった、環境のずいぶんの変化を感じた。この4年間でも、スマトラ沖地震の時は激変したが、やはりここ数年徐々に減っている。隣の松尾、桂川などは大型マンションや店が乱立して、ツバメも環境の変化をもろに受けてきている。意識的に見ていくならば、けっこう子どもたちに動物や植物と生活していることが見えるかなと思っている。子どもたちは今、自分たちの住んでいる、学校の中にある生物をどのように捕らえているかを調べてみたい。

 今4年生だが、3年生をみた時に「みのまわりの生き物をわけてみよう」これはおもしろいと思い、調査をしてみた。発達として見るのか、知識として定着していくのか、そこは見てほしい。これは3年生用だが、アンケートは次のようになっている。この中に20の箱があるが、実は26種類の生き物がある。1〜2年生はこの設定では難しい。1年生は「動物に赤まる」「植物に青まる」というようにしていた。このように1年生から3年生まで調査をしてみた。

 それをもってどうかと言うことはわからないが、とりあえずやってみた。考察として、1年生は合計60人いるが、そこに一覧表が提示してある。それを見ていったときに、動物についてはやはり捉え方がバラバラだということがわかった。1・2年生については認識がバラバラということがわかる。一番「虫」が動物なのかどうかがわからない「虫」とは何なのかということを聞かれる。4年生も「虫・魚とは何か」と聞かれる。アゲハ・ミツバチなどは正解の方が少ない。3年生でも空白が目立つ。モンシロチョウで3年生がずっと観察していても、認識がバラバラ状態。2ページに正答率が書いてある。1年生は50%に満たないものがほとんど。正答率が高いのはツバメと亀である。亀もモノを食べたり、動いて、動くというのが動物という認識なので、高い値を示している。3年生はアゲハも観察しているが、3年生の教科書には動物・植物が出てきているが、この40数%というのは信じられない。定着しないということは言えるので、動物については「生きて動いているものは動物」ということを言って、やっとこの%になる。どういうふうに子どもの認識をつくっていくのか。

 3・4年生に「動物、植物とは」で書いてもらった(一覧表)。とりあえず「動く、動かない」と書いた者は、3年でもそういう認識しかできない子もけっこういる。

 やはり生活科というのは「気が付けばいい」ということであって、「認識」まで行っていない。お友達であればいい。ということになっている。「うさぎだっこ」「ダンゴムシと遊ぶ」などで、動物・植物の区別すらない。3年生でも到達目標の中に動物としての認識をしっかりさせる目標設定にはなっていない。「育てる、関わる」という教え方にしかなっていない。大将軍小で2年生を担任していたが、周りに生き物がないので、御所まで連れて行って学習をしていた。そこまで行って教えないと、教えることはできないでいる。子どもの認識が育たないでいる。それを担任個人に任されていることが、問題である。

【和田報告についての質疑応答・討論】

●子どもの個人の特性で見た時に、各学年で見られる特徴的なことはないのか。

○自然認識に関わっての特徴はほとんどない。1年生はよく公園などにつれていっているという。2年はほとんど何もしていない。3年生はわからない。4年生は、いろいろな教科について判読学習がしにくい。2年生、なぐったり、けったりという「やんちゃ」が目立つ。やんちゃの意識は違う。1年生は「学び」で、いっしょに校庭で遊んだり、生き物に関わっている子が多い。4年生は日記を書かしているが、川遊びをして見つけたものなど、こまめに日記に書いてきている子もいる。そういう子は今回の調査でも高い結果を出している。

●今育成で、6年生、3年生がいる。アヒルの絵カードで、字は書けないがアヒルの認識はできる。春よもぎを摘みに行き、よもぎだんごをつくるとか、季節の行事で自然とふれあい、収穫・調理・食事などに繋げている。4月からイチゴの苗を植えたりして、トマト・ジャガイモを育てたり、生活関連学習としてやっている。6年生は「よもぎの識別」ができているのかなと思う。「先生、見つけた」と言ってくる。二人とも虫が嫌で、トンボが教室に入ってくると嫌がる。チョウチョの羽化なども見たりした。カブトムシも教室の中で育ててみた。夏の終わりに死んだが、そのあとにちゃんと卵があった。それを育てて幼虫を育てていると、少しづつ生き物に関心を持ってきているように思う。6年生の学習で「地面の上、地面の下」で学習すると、動物と植物とを識別しているように思う。

●桂川に行けば、ちょっと上流・下流に行けば生態がかわっておもしろいです。地域から流域を見ることが大事である。

●昨日、野村先生が報告したが、3割削減というよりは理科をぶちこわすようになっているということだった。

●人間が自然に働きかけた結果としての自然物。桂川の用水路にもいろいろな生き物が住んでいる。自然の問題と人間が自然と関わってきた自然というものもある。

●生物、生き物を小学校で調べるときに、知っているか知っていないかで、学校の教科で使うことは難しいと思う。教えたことを「理科」として知ってほしい。しかし、子どもは知っているということが、興味を持つことにつながる。考えるということを育てるということにつながっている。自然にいるものを考えた時からいいのではないかと感じる。虫好きの子が必ずしも科学者になるわけではなく、「賢い」ということにつながっている。大人は自然に無関心である。三条でゆりかもめを見ても関心がない。自然というものと、それに興味を持つということとは違う。

●生物と無生物との違いが明らかでない子もいる。生物と無生物との分類。

●「生き物観」を知ったのは、生物は「死ぬ」ということを捉えたときである。戦時中、内臓をつなぐということを知ってそれが生命観の基礎になっている。生と死の問題が一番大きいのではないか。そこの所が、子どもの生活にも、教育にも欠けているのではないか。

●自分自身に小学校1・2年生の記憶がない。何をやっていたのか。教科書を見て、このようなことをやっていたのかなと思う。分類概念で、知っている人、知らない人など分類をしているが、1つ目は、教えなくても子どもたちの中に自然に分類概念というのはできてくるものなのか。2つ目に、学習を通じて、各学年の段階に「動物・植物」の定義づけを教えているのかどうか。それによって学年によって数値があがってきているのかどうか。生き物と生き物でない物をわけているのか。3つめに、子どもの絵本で「動物」とあったらほ乳類だけである。「虫」とあれば虫だけである。動物=ほ乳類的な発想があるのではないか。動物=脊椎動物的な発想で、図鑑的な発想があるのではないか。4つ目の発生概念だが、ヤゴ・トンボ、アゲハの幼虫・毛虫・アゲハ、おたまじゃくし・カエル。など同じ物の違いをどのように認識しているのか。発生概念として同じものとしてとらえているのか。小学校1・2年生は違う物として扱ってよいのか。

○実態がこうだとしてしか出ていない。一つ一つの生き物を体感する、一つ一つを興味を持っていくことが大切。1・2年生は分類概念として指導しているわけではないし、必要もない。3・4年生は系統的な学習としてステップをふまなかければならない。それは3年生で幼虫・ヤゴなどの動物としての基本的なものを教えていかなければならない。 3年生でアゲハ、アゲハの幼虫など系統的な認識ができていないのには問題がある。図書の本は朝読書も含めて本と関わっている子も多い。

●育成を持っているが、学校の図書の関わりをしている。分類の中に理科(4類)があるが、動物の中に分類しているが、子どもには動物=ほ乳類という意識は確かにある。図鑑も鳥・獣・虫となっている。

●高校1年生に「あなたの知っている動物を書きなさい」というが、ほとんどほ乳類を書く。それも図鑑の影響か。「虫も動物」というと、またずっと書く。昆虫は入らない。小学校1年生と同じ。幼児の絵本の「動物」はほとんどほ乳類が書かれている。

●小学校1年生は、オタマジャクシとカエルとは別物として捉えている。基本的に1対1対応である。系統発生は3年生の学習を通じて。「動物」も絵本などではそれでよい。問題は「動物」の概念をどのように学習の中で発展させるのか、高校1年生で「動物=ほ乳類」というのは教育体系の中で、そうした概念形成が行われてこなかったことが問題。

●高校生で4点にわたり「生き物」を押さえる。高校では「生き物の共通点」で具体性がなくなっている。小学校では具体物で教えることが大切。高校では「理系」を希望する子が少ない。4クラス160人の中で理系を希望するのは20人。物理・化学があり、おまけに数学があるというので、嫌われる。調査にも、こけ・シダは全く今は学習しないので、出てこない。高校でも「こけ・シダ」は学習しないので、それが出てこない。カビ・キノコ・シダ・コケ・海草は全部植物に入れている。多様性という意味で、今回の調査の中に出てこないということも大きい。本当に生物を理解させようと思ったら、どこかで入れていかなければならない。植物学習として単純すぎないかなと感じている。


3 報告「子どもとモノとの関係」 中村雅利(要旨)

 UFOの記事、週刊現代の記事。これが国会で取り上げられて新聞記事になっていること自体に問題がある。「自然とモノとの関係」アウシェビッツ−女性の脂肪のこと。21世紀の経済・政治に関わる人たちの状態を押さえておく必要がある。

 PISA2006の示すもの、YAHOOで「生きる力」も育っていないとの記事。諸外国からの指摘もされる。授業時間の増加も言われる。205時間、授業日数を増やす、授業時間も増やす門川。今年2つのことを京都市教育委員会がやっている。前期・後期に習った「学習ナビ」と称して「学力テスト」をつくっている。それに沿って25日から「ウインタースクールを行え」としている。京都市は経験不足と4泊5日の「長期宿泊」の試行を25カ校で行う。2年後、全市で実施が行われる。山の家で授業づくり、行事づくりをさせられている。もう一つ、5・6年生に対して「自学自習」として、算数・国語に業者が用意したテストをして、その結果を分析してやれという。○つけは業者に丸投げ。帰ってきた結果を分析して、個人の実態に合わせたテストをつくって、やらせる。テストは個人で違って、冊子になっていて「○頁をやりなさい」となる。費用900円は保護者負担となっている。

 指導要領改定の中、学習の中身・評価の中身に抜けている所がある。観点別評価についても、学習意欲、基礎基本、習得についても3観点で評価を出している。昆虫3種類、星座も2〜3種類に限られている。多様性を限られたものにしていく。中学校に丸投げしたことも小学校で教えることになる。

 メインは4)と5)になる。もう一枚は「子どもとものとの関連」ということで、小学校の物理領域。小学校の物理教育の現状と課題について話をした。  左上に文部科学省の「スタンス」がある。「子どもたちは有能」石や土の単元は教えない、限られた材料で有能性を引き出せという。また理科は自然を学ぶものではないと「動的自然観」を打ち出し、自然を教えない。僕たちは「自然から学ぶ、客観的に自然を見て再認識する、ウソを見抜く力を培う」というものだ。その点から見てPISAでは最下位にランクされている。

 子どもたちはモノにさわるのが好きである。しかし、子どもたちの取り巻く中身には関心が非常に高い。イギリスでは、子どもたちが一番関心のあるものから、ブラックボックスになっているもの、暮らしを取り巻いているモノから、例えば携帯電話など、そこの問題電磁波の問題を取り上げさせられている。また他の階層では力学を教えないといことも起きている。小学校の中では、理科を学んだ先生から、たとえば小野英喜さんの大学生の実態調査をしてみても、あれと思うことがある。水に浮かんだ木の重さの保存ができていない。その子の学びの状況がどうだったのか、初年度で生活科を学んできた子どもが大学生で、それが教師となって学校に入ってくる。学ぶ側と教える側との課題が生まれている。昨年度から免許更新制もからんで出ている。

 教える側からのことは別にして、学ぶ側から言えば、「ものの重さ」が完全に消えた。上皿天秤とものの重さの学習。今も5年生にはあるが、「ものの重さの保存」についても扱ってきたが、「ものそのもの」についての学習が教科書から抜けている。水・空気・磁力などが消える。液体として扱う水も特殊なものである。水の三態変化も学んでいくわけだが、アルコールの気化・液化ぐらいは見られるが、ものの学習の量というものに、非常に問題がある。

 「水と空気」・・・ピストン。目には見えない。子どもたちは「空気」をどう見ているのか。粒と感じるのか、固まりとして感じるか、イメージがないと考えることはできない。自分の言葉で自分のイメージをつながないと、討論にならない。子どもたちがどのように空気・アルコールなどの液化・気化をイメージしているのかが、問題となる。

 ある子は、「空気は細くなることもできる。(形を変えることができる)」とし、ある子は「水は押し縮めることができない→押したら固くなった。押せない。同じかさだ。(水は)重たかった」と腕の体感を文章表現している。ここから「水は縮められない」ことまでどう行くのか。

 もうひとつ「空気は物を押す力がある」→押したのは君だ。君が押すと、空気が移動して物を動かしている。しかし、子どもたちはそこにまで至っていない。「空気」というものを学習していない。別にメインを立てないと力そのものが理解されない。当時唯一力を教えることができたのは5年生の「てこ」の学習である。この中で力を押さえたい。2段階ロケットで力を教えて、その後力の作用点に発展させた。空気はものを押す力があるという子どもは、それを扱っている用語は、自分がみたことを文章で表すことに、幼さから、それを正確に反映させる力を持っていないと、中学・高校になったときにどういう認識になるのか。学習指導要領の言っている中身は「得られたデータをどういうふうに整理し、まとめるのか」という情報処理のみを問題としている。あと、熱・音などは、アルコールランプで温めることはあっても、熱・光についての学習もなく、「目の仕組み」も今はなくなっている。

 扱う物の持っている、体積・重さ・変容・金属非金属の区別などでも、3年生の学習で少し入れていかないと、金属の持っている多様さを学ぶことができないでいる。6年生になっても、そのへんにある金属を持ってきて、塩酸での反応で終わっている。

 一応教科書などで抜けている部分を入れながら、取り組んでいる。自分の課題として、乾電池、豆電球があるが、ソケットを使わないで導線1本だけで付ける方法があるが、これを今まで入れていたが、やっている意味がない。電球にはへそがあって耳があってそれで付くという、その仕組み自体を教えるために、やっていることに意味がない。物理学の小学校版、しかし生活の中で子どもたちが生活している、もっと子どもたちを取り巻いている生活事象の中で考えるといいのではないかと言われて、下駄を預けられた感じで終わっている。

【中村報告についての質疑応答・討論】

●私たちが育った環境の中では、ものと言っても生活的な環境があったが、自分の生活的「道具」というのがあったが、子どもたちにわからないものになっている。たとえば金槌にしたって「技能」がある。しかし、金属を持ってそれを押すというように、構造物になって凝結物に変わっている。だから、その物が子どもたちの理解を遥かに超えたものとなっている。だから、難しくなっているもので、「学ぶ」ということが難しくなっているから、そこに文化的なものが捨てられて、価値のみになっていることが問題で、自分の体をどう使うのかということが、課題となっている。実践的にいかに子どもに発達的に育てていくかということ。教育学会の中でも「ものとの関係」が非常に欠けている。物との関係で「非生物学」「生物学」その両面から攻めていく必要があるのではないか。

○子どもたちの見る力、五感から学ぶことを大切に。一般化を急がないで、個別事象をしっかり押さえる。子どもたちの認識の道に沿った形で進めるという基本。上靴の掃除からはじまってというのはなくなり、地域からの自然を学ぶ、そこからの五感を大切にして、共感・共有を広げるというふうに変わってきた。子どもたちの学びようが3つのスタンスが重要視されたからと思っている。僕の場合は、小学校の物理をとる場合が数パーセントという状況があある。  なんでそうなんかということを考えていたら、数学という問題もあるが、「実験がしたい」「観察がしたい」というのが、テーマになっている。話し合いをさせることで、子どもたちがどう考えているのか、また生活へのつなげ。そこに実験観察をつなげていったらさらに学習にのるのではないか。だから、生活を見つめる時間というものを意図的に湯気やお風呂のわく時間など、これに彼らはすごく興味が湧く。そういうものに実践を広げていかなければいけないかなと思っている。

●生活科でいろいろやっていたが、物理に限っていれば、1年生で磁石がなくなったり、2年生で空気がなくなったりしているのは致命的だと思っている。3年前におもりで動くやじろべえがおもしろくて、そういう経験が低学年でもっとやるべきだと思っている。 昨年から、特別支援関係の仕事をしながら、家庭科の担当をしているが、非常に宝の山でやれることがいっぱいあると思った。ブラックボックスで言えば、ビーカーでお米を炊くというのをやって、班ごとにやって観察をしながら、いくつか取り入れられるものの多かった。6年生では2つの料理を同時にするが、子どもたちは「電子レンジでチンすればよい」など、また電磁波の問題も家庭で扱えれると思う。電磁波は、第二次世界大戦後の戦争兵器として開発された。科学が戦争のためにか人々の生活のためにか、ということ。また他教科でどんなことができるかということもある。総合がへんな形で入ってきたので、総合を活かしていくと言うことも大切だ。


4 報告「地域は子どもに何ができるか」 堀井 篤(要旨)

 一年間で25回の資料になるが、ここには関連のあるものだけの資料になっている。フィールドワークが僕らの活動になっている。当初はそういうのはなかった。「地域は子どもに何ができるか」1・2は軽くとばす。3からメインで。

 40年間私学で教えていた。辞めてから縦にした。航空写真の解析なども4年生でやった。小学校では、子どもたちがきちんと重ねてやっていた。上級生は下級生に見方、やり方を教えていた。我々もそこまで降りていかないとだめだった。

 三葉虫をとって、紙の上に置いていく作業。5年生ぐらいになるときちんとやっていく。発見が非常に早かった。今から14年前、1993年は奥丹後は自然破壊は激しく、子どもたちの発達も田舎であったら泳げるだろうと思っていたが、全然そうではなかった。砂利なども資源としてどんどん売られていく。その中でどうしようかということで、学習会をした。

 自然教室募集を全戸配布した。学校の先生の教え子や妻の学童疎開の友だちの孫が来た。25人−30人−35人と増えてきた。35人受け入れはしんどかったがやった。援助者は15人〜20人ぐらい。「とろとろハウス」をつくってもらった。農家の人は家をつくり、水族館をつくってくれた。その人たちがまた、「山に入るなら木登りのうまい人を」と紹介してくれた。久見浜湾の環境調査で、農協の婦人部長が船を出してくれた。1回500円、月1000円納めるということでやっていった。女の人の靴下でプランクトンネットをつくったり、しておもしろい結果が得られて、地元の人にたいへん喜んでもらえた。1年間の学習計画表をつけて全戸配布した。どこの援助も受けないでやった。14年間やって無事故だった。3年間入っている子もいる。3人兄弟で入っている子も2組あった。中山先生と共にアンケートをとりにいった。小学校でやっていることもあったが、泊まりがけを年1度やったが、一年間の半分ぐらいは「弁当持ち」になった。あとで親が再度行っているというものもあった。

 送り迎えが親がしてくれる。忙しい中、親が送ってきてくれる。早めに来て授業に参加してくれる親もおおくなった。先生は「自然教室に参加したこどもが資料を持ってきてくれる。それで学校もやっている」という話。最高は45人になったこともある。

 目的(プリント参照)ものづくり、原体験、授業の中では生態中心。進化を縦軸に、原体験を大切にこの3つをやってきた。

 年間計画、14年間の間にダブっているのが半分くらいある。同じ所へ行ってもいやだというのがなくなった。フィールド、海浜植物なども子どもはわっと入ってきて、初めは取っていたが、折らない・取らないということになってきた。名前は最後にしようということになった。崖には、はじめはハンマーでたたくが、それを止めようということにして、最初に全体を見て、それからたたく。自然に対する認識もそうなる。水生昆虫の採集も、どんな昆虫がどこでとれたか、石の下、落ち葉の下。それでは石がなければダメということで、コンクリートの川は昆虫が限られている。落葉樹と針葉樹のある下との違いなども調べた。失敗の体験もある。川があっても魚の取り方を知らない子どももいる。教えていておもしろかった。木下へいくと「登ろう」という。やはり久美浜の子かなと思った。

 山に登るのではなく、散策をするということで、年間24回、だいたい沿ってやってきた。時々は地元の農家や魚取りの名人にやってもらったことがあった。

 コウノトリの里があって、毎年コウノトリの観察をした。今年の7月29〜31日に研究会の後、コウノトリを見に行った。ここにも自然教室の子が来ていた。帚谷にもコウノトリを迎えようという素地になった。

 「海辺で遊ぶ」資料。有孔虫をとり、そこから海岸の汚れを測定した。ここはまたみんなで海浜の植物を調べた。火山灰の中に古代遺跡があり、非常に歴史が残っている。

 「ものづくり」は米、古代たたら、など取り組んだ。はじめは「ゴミ」だと思われていた。砂鉄を30kg集めた。それで古代たたらで鉄をつくった。和紙づくりもワラや桑でつくっていった。木の葉を取ったりして「木の葉染め」などにも取り組んだ。原体験を調べていくのには大切なものだった。このことも物作りに、子どもの頃にフィールドワークをすることが原体験として重視した。

 水生昆虫も命の大切さを知らせる大きな取組。それから「水族館」子どもたちの要望からできた。冬場は川へ返してやった。水替え、餌やりも子どもたちが交代でやった。意見も代表が言いにきて、これも小学校高学年の子どもたちがやっている。帚谷の住民にも「冬でも水をたたえて」ということになった。

 海浜では熱いときは53度になった。熱いしやめようということになって、海浜に言って暑さ対策などをかんがえた。海浜植物は風が強い、水がないなど、高山植物と同じということがある。ゴミから堆積作用、浸食作用などがわかってきた。それから粘土がたくさん出たから、「化石が出るかも」と言って調べたら、鮫の歯などが出てきた。

 8月19日に、久見浜湾の調査をした。また、伊吹山の調査もした。測候所の横に美しいカメムシがいた。そこからカメムシに対する興味がでてきた。カメムシ30種見つけたということを言っていた。伊吹山では、保護色の昆虫も見た。これは石灰石になったもの。神辺山にいった。溶岩のある堆積層の中に魚の化石があり、たくさん見つけた。上級生は下級生に「取り方、見方」を教えていた。子どもたちは自分の取ったものが一番大事。

 10月は、牧場に行く。体にさわったり、餌をやったりして、午後1時〜2時頃までやった。また、巨木を訪ねて。11月は山に入って、蛇紋岩という石があって、どこから来たのか話す。蛇紋岩は大江山にある。これは現場で議論することが大事。11月の終わりには植物調査。みんなが種を持ってくる。12月はクロボク層、60cmある。この中には見事な火山灰がある。3年前には11月の11〜13日は、鉄づくりをやった。その後の金床の見学に非常に役立った。そこから良い石がとれた。1月には大白鳥が来て、その観察をやり、鳥の勉強をやった。2月に進化の勉強をした。実際にやると難しい。系統発生と個体発生。マンガをつかったり、450mの長さで時間をはかることをやったりした。歩幅でやってみた。ほとんど空白だということがよくわかる。また2月22日に、奥丹後自身があったからそれを取り上げて、プレートテクニクスの学習をした。地域にも聞き取りをした。毛呂先生のお父さんに奥丹後地震、地殻変動などにも教えてもらった。貴重な話だった。地震は波を打つということがわかった。京丹後市できちんと資料を保存してくれている。3月には自然と人間との関係で、ほとんど災害問題、大洪水の問題を調べながら歩いた。神戸の大震災の被害も久美浜では生み立て地でも砂が吹き上げる現象があった。未だに浜の埋め立て地は家が一軒たっているのみ。また大きな断層があることを、雪のある日に雪の積もっている所とそうでない所をみて断層を見つける。資料は、ミュージアムに置かせてもらって、みんなに見てもらっている。

 自然教室ガイドブックもつくった。最近では明治図書から「古代たたらに挑むアートによるコミュニティ活動に挑む」という本を出した。

 そのもとの地形はどうだったかと訪ねていこう。原型的体験を大事にしようということで、上賀茂神社に行ったら「原初的体験」という。もとからそういうことだと思った。田植え、乳搾り、たたら製鉄などを考えた。

 東経135度の位置が違うと言うことも調べて標札を建て直した。トロトロハウス建設とその利用。農家2人が廃材を使って家を建ててくれた。「たたら製鉄」など、生徒の感想文がある。4番目の子どもたちの自然認識については、久見浜湾には多種のものがある。子どもたちは自然についての考え方については「うまいことできている」という。自然と人間の関係はどうあるべきか「人間のことだけを考えてはいけない」と。また、ものごとは変化、発展するということ。ねじ花は毎年所を変える。移動するのが早い。生命の存在について。種の生い立ちから生き物であるということ。ヒトは自然界の中で一番新しい動物であるということ。これらの事を大事にしてきた。

 最後になるが、9月にアンケートをとった。お父さんが「学校ではできないいろいろなkとをさせてもらったり、教えてもらったり、私も非常に勉強になりよいと思う。今の子どもは四季の変化すら感じられなくなってしまう。先生方に自然に対する好奇心を持たせてもらった。興味の対象が移り変わる子どもたちだが、大人になったときその価値がわかるのではないかと思った。」子どもたちは、入った動機は「化石、鉱物」などだったが、変わってきている。今、最高高校2年生で中学生も多い。今日のM先生が来てくれたら、小学校で自然教室をどう教えていくかということに話してくれるだろう。

【堀井報告についての質疑応答・討論】

●神奈川県だが、堀井先生の名前を見て行かなければならない、どうしても話を聞くべきと思った。話を聞いて、痛烈なライバル意識をもった。学習指導要領がなければ、どの学校でもできる。昭和33年前ならば、日本のどの学校にもあった。堀井先生は、自由人としてやっている。日本の教育を牛耳っているのはR大付属小の副校長である。S学園の学園長をしていて、これをやってみたいと考えた。湘南の江ノ島があり、藤沢から江ノ島で、この最もいいところに湘南学園があり、自分の直轄で、自由がある上と言えば、知事だけだ。そこでは海の学園、海の研究と言っている。ここに日本最大の水族館ができて、生徒はその「湘南の海はぼくらの学園」として実践できる。これは決して平尾まさあき「湘南の海はぼくらの学びの場」と言っている。これをつくりあげることができる。堀井先生の話は、広くて、歴史や文化も含まれている。自分たちの実践として行っていきたい。これは本当の総合学習である。子どもの発達として必要な環境であるということができる。

●この活動は地域にも本当に喜ばれている。学習も地域の人の協力で成り立っている。たたら製鉄でも炭100kgが寄贈された。粘土でも地域の人の協力がなければやれるものではない。アメリカの大学でも、このたたらをつくろうとしている。

○木原明先生の書いたものを、アメリカでやろうとしてもできない。木原先生は火の色を見て、音を聞く。職人の技というが、日本では「五感」を大事にする。それを木原先生は「職人」と呼んでいる。今、無形文化財の保持者になっている。テレビにも何回か言われている。

●何年してもかなわないのは「コミュニティスクール」になっているということである。立命の副校長も「コミュニティスクール」と言っているが、あれはまやかしもので、これこそが本物である。それを「地域と学校」と言えばいい。

○電子レンジでの鉄づくりでも大きいものはできないで火が出る。だから古代たたらでやろうとして、成功した。子どもの感激はすごい。赤く流れる鉄をたたくと伸びる、そして白く光っている。島根県で内側に入っているところは、ずっと山をけずって砂鉄をとったところである。やすきぶしでも「土をすくっている」ということがよくわかる。横田町にいくと、「美肌温泉」があって、そこで木原先生に会った。「2号古墳のあるところで来て下さい」といって、来てくれた。みんな「成功しない」と言ったが、成功した。それから食べ物であっても、五感で「いたんでいないか」などと自然を見ている。

●学習の部分で「ふれる・はかる・区分する・比較する・まとめる」とある。しかし、異年齢でものの見方が違う。それを考えると、24コマの授業の中で、大人の中での興味がある中だが、子どもにとって教室の立場から言えば、「安全・鉄とは・分担など」いろいろ広がっている。「たたら」を組み込んだのは、偶然なのか、何かの仕組みの中で(時期が)そうだったのか。

○山へ行くたびに砂鉄を採集して集まった。計画を立てる上で、子どもの意見が少なくて、援助者を中心に計画をつくっていったというのがある。子どもの意見を反映させることの努力はあったが、あまり入れられなかった。援助者が、子どもを見ていて、こういうことが足りない、こういうものが必要ということで、計画の中に入っていったというのがある。生徒が多いときは、車が足りなくて、フィールドまで運んでもらったことがある。

●窯にひび割れができてくる。木原さんは、それを粘土で貼り付けてやらせる。子どもにもやらせた。

●子どもがたたらで何を学んだのか。たとえば進化の中心を柱にした中で、入れられた糸は何か。

○金床の中にも歴史があるということで入れた。歴史の進化の話として取り入れている。牛舎のせまいところから出て行った牛は、踊って全部メスの所へ行く。それが本当の自然の姿、それを子どもが見ている。

●総合学習的リーダーがいて、それをじょうずにプロジュースしたと思う。非常にアンテナが高い。非常に総合学習的である。

●真ん中にいつも子どもを置いているように思う。

○病気で休むと、子どもが「いつくるのか」というので、月末の日曜日には行くといっている。12月はまだいけないので、明日行く予定である。

●3年生頃は非常に敏感に感じ取ることがあり、危険なことでも冒険的にするということがあるが、発達的にどういうことがあるかということだが、文部省はだいたい和田先生が言われたように、1・2年生と3・4年生とは見方が違う。ピアジェの言う、操作の段階とかが関係しているのだと思うが、3・4年生の頃に変わるということで、本当にそれで良いのか。赤ん坊が生まれて目線だけで、大人の動きを察知するということで、目線の発達があり、赤ん坊は敏感に察知していると言われている。幼児が自然に入って発達していくその時期なのか、幼児が「問題解決的に発達させる」ということが必要な時期なのか、人間の発達にとって正当なものか、そうでないのか。その3・4年生頃の自然に対する認識に対して、どう考えたら良いのか。どう発達を考えて、どう援助を考えていけばよいのか。

●学童保育に関わったときに、子どもは「見たい、聞きたい、さわりたい」の時期で、すばらしい子どもの動きの時期であり、3・4年生のわんぱくの時期で、目をきらきらささせている時期ではないか。これは発達の時期ではないかと話し合っている。また「思考」をどのように発達させていくかということを話し合っている。

●学習指導要領が重くのしかかっている。もともと、学習指導要領は法的拘束力がないというメディアの主張をしてほしかった。1つは、もう30年代から後に生まれた世代は、自分が結婚して子どもができる段になって少し下の人が「自分が生物だということがいや」「自分が子どもを育てるなんてことは考えられない」。これを聞いて驚く。学校の教育をちゃんとしていくことの必要性。昨日の野村先生の話で、ベトナムの子どもが何をしても生き生きと飛びついてくるが、日本の子どもは餌を投げても飛びついてこない、そうした感覚的なことを心配している。

●今の話は、地域と自然認識には直接には結びつかない。今の日本のこととは思わない。H高校は、学習指導要領に沿っていない。あれは違反していない。それに対する対抗の手段はいくらでもある。単純ではない。地域・自然認識には、媒介項をたくさん入れていかないと、解明の手がかりも見つからない。

●専門が社会科に近いが、堀井先生の話でも、私は歴史だが地理の専門の方は、地域から総合化していくことができるが、「地域から何ができるか」地域に即してものごとを見ていく必要性があり、公共的な世界をどうつくるか、あるいはその創造の可能性を探る。地域の学習で文部科学省が歴史・伝統・道徳教育などをと上がやってくるが、そういったものと全く違う実践が堀井先生の中である。

●学習指導要領にしばられていく中で、何ができるか。子どもの発見などを受け止める人が一人でもいる中で、子どもを助けることができるのではないかと思う。

●10年以上話を伺っているが、自然史教育というが、他国では伝統があるが、日本では物理・化学などに分けてしまって、歴史的に見ていくというのがない。その先鞭をつけておられるので、ぜひ京都の中に「ネットワーク」をつくってほしい。私は乙訓で「自然を守る会」城陽「生き物調査隊」など、自然のネットワークができればいい。質問、大阪府立の海浜学校があるのに、どうして京都府立の海浜学校がないのか。京都の恥だと思う。京都市教育委員会は「海の家」をつくっているが、どうしてお伊勢さんにつくるのか、行政でつくるのに、京都は本当に貧しく、お金をかけていない。社会教育としての自然史教育というものがない。少なくとも大阪府立臨海学校があるのに、京都はない。同志社が由良に臨海学校を持っている。京都全体の自然史教育のためにネットワークを。あと地域史教育も取り組んでおられるのでいいなと思った。綾部市で限界集落の維持のための協議が行われている。


−注:なお後日発達問題研究会において、分科会報告・議論について総括会議が行われた。−

2008年3月
京都教育センター
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