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京都教育センター年報 第20号(2007年度)

「教育の原点」を追い求めて未来を!

        
京都教育センター代表 野中一也


 06年12月、教育基本法が強行採決で「改悪」されました。「公」権力が国民の内心に土足で踏み込んで教育支配する道を開きました。私学を含めての学校、大学、社会、家庭などあらゆる領域に「伝統と文化」の尊重、「郷土と国を愛する」態度を押つける法的根拠が与えられました。公権力は、内心に深く関わる教育には特別に「畏怖の念」をもたなければなりません。東京都にみられる非条理な教育体制は、残念ながら、京都においても、特に京都市において同じようにおこなわれています。しかし、どんな強圧的押しつけも人間の内心まで拘束することはできません。教職員評価などで横の連帯がもちにくくされています。子どもたちの内心の発達に直接にかかわりをもつ私たちは、教育の原点である「内心の自由」を守りつづけ、感性に裏づけられた科学的認識で未来を切り拓きたいものです。

 私たちは「教育とは何か」という原風景をもっていると思います。それを「想起」して未来を展望してみましょう。例えば、私の「先生から借りた靴」を想起してみます。私は、敗戦直後の1947年4月、北海道小樽市立末広中学1年生になり、忘れえない新教育の貴重な体験をしました。担任の斎藤欣子先生、ご主人の体育担当斎藤富男先生、その他校長先生をはじめ多くの先生方の応援、父母の応援などがあり、学校生活を満喫しました。それが「教育の原点」になったように思います。私はスキー部に所属していましたいスキー板にローを手の平で塗ります.手の皮がむけて赤い肉がむきだしになったりします。でも工夫してローを塗るのです。スキー靴は先生が貸してくれました。スキー靴からほのぼのとした温かい愛情が全身に伝わってきて自分の力以上の力になりました。教育の自由が保障されるなかで教師の魂は子どもに計り知れない精神的エネルギーを与え、内発的にもえる達成感を与えてくれました。そこには「我を忘れる純粋の世界」があったように思います。つまり夢(=無)中になれる「超越的世界」があったのです。私にはそれが教育とは何かを考える「こころ温かい教育の原点」ではないかと考えます。教育が歪めば歪むほど「教育とは何か」という原点を追い求めていくことが重要だと思います。足元をしっかりと地域に根ざしながら、「教育とは何か」を土台こして感性を育て、理性を育てたいものです。教育とは何かを問う精神は、教育的良心となり、普遍的価値を内包する「人類の良心の流れ」に結合し、自由闊達な「超越的世界」を形成し、不屈の確信となっていくのだと思います。

 非条理な教育情勢です。迷わない筈はありません。そんな時、晴れた夜空を見上げましょう。満天の星をじっと眺めていると「内心」に道徳的法則が生まれると、カントは言いました。この世界には「公」=国家権力も入り込めません。だからこそここから純粋の教育の原点として、憲法9条を柱とした「地球憲章」(堀尾輝久氏)制定をも展望しながら本年度も前堆していきたいと思っています。




あ い さ つ

         京都教職員組合執行委員長 藤本 雅英


 改悪教育基本法・教育改悪三法の具体化の進行は、子ども、父母・国民、教職員との矛盾をますます深めています。

.  中央教育審議会(中教審)は1月17日、「学習指導要領の改善について」の答申を文部科学大臣に答申しました。答申は、教育基本法改悪後初めての学習指導要領改定の方向を示しました。文科省は、07年度中に学習指導要領を官報告示するとしています。答申の内容は、「国を愛する態度」を入れ込んだ改悪教育基本法第2条(教育の目標)や「規範意識」を入れ込んだ学校教育法第21条(義務教育の目標)を子ども達に押しつけようとするものです。答申は、道徳教育の充実を掲げ、「伝統や文化に関する教育を」強調し、中学校の体育で武道を必修化、国語・社会・音楽・美術なども伝統文化に重点を置いています。また授業の内容や指導法を細かく指示し、「PDCAサイクル」(計画ー実行ー点検ー行動)として、「重点指導事項例」など文科省が定めた目標が達成されたかを全国学力テストなどでチェツク、評価を行い「改善」を迫るシステムを作ろうとするものです。それは、学習内容から方法まで国が決め、その結果の責任を問うシステムであり、まさに教育の自由、教師の教育内容や方法の選択の自由を奪うものとなっています。

 また、授業時間は現在でも9割の学校で標準時数を上回っているのに、さらに1−2時間の増加を求め、教育内容も増加させているなどますます子どもの負担を増大させるものです。そうした重大な問題を持ちながら、その一方で答申は、学習指導要領について、「大綱的基準」とし、「学校は・・教育課程を編成する」と述べるなど教育の条理を無視することができない姿勢を示さざるを得ないでいます。また鳴り物入りで登場させた「総合的な学習の時間」の1時間削減や中学校の「選択教科」を実質的に廃止しました。それらは、現行学習指導要領の破綻であり、学校現場のたたかいの反映です。

 教育内容のいっそうの詰め込み、小学校1年生週25時間授業など授業時間増や教育活動への統制を強める学習指導要領の方向は、子ども達の健やかな成長を願う父母・国民、教職員との矛盾をさらに激しくすることは避けられないものです。

.  そうした中で、教職員の教育研究活動の重要性が一段と増しています。教職員の「もっと良い授業、教育がしたい」「良い教職員になりたい」など根元的な要求が一段と高まっています。そうした切実な願いを実現する自主的な学習、実践交流など教育研究のとりくみが広がりだしています。府内各地で広がる「センセの学校」には、青年教職員、ベテラン教職員が参加し、「学ぶこと」「つながること」の輪を広げています。  こうしたとりくみをさらに広げ、強めることこそ、学習指導要領に示された内容のおしつけを許さない確かな力になることはいうまでもないと思います。教職員の根元的な願いに応えた自主的な教育研究を励まし、支え、憲法に基づく教育、その内容の方向に確信を深めるうえでもいっそう教育センターへの期待は大きなものがあります。

 その期待に応える教育センターの役割、活動に心から期待します。同時に、そのためにともに努力したいと思います。


2008年3月
京都教育センター
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