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第40回 京都教育センター 研究集会


野中一也氏(京都教育センター代表)挨拶

自由と民主主義の精神をどう新自由主義の対抗軸として発展させていくのか

−−2010年1月23日(土)午後1時 於:京都教育文化センター302号室−−




今年は京都教育センターの50周年

 みなさんごくろうさまです、野中です。今年は京都教育センターの50周年になるわけですけれども、その中で教育センターの研究集会が40回を迎えました。

 非常に困難な状況の中で、センターは1960年に生まれました。東京の国民教育研究所とともに、民主教育をどのようにつくっていくのかということで、教育と研究と運動の、この3つを結合していこうということで、教育研究所ということではなくて、「教育センター」という名前をつけたわけです。これは細野武男さん、初代の代表の細野先生がつけられたのです。ある意味非常に大事な視点だろうと思っております。

 その教育センターで、今次研究集会のテーマは「学校と教育に自由と民主主義を」というテーマを設定させていただきました。

 午前中はご承知のように関谷さんからレッドパージの問題を中心にしてご報告をいただきました。彼は物理学の専攻ですけれども、「遊びの中から子どもは科学的認識を深めて成長する」という課題や、あるいはレッドパージの中で、「権力の本質とは何なのか」という、またその中をくぐり抜けていく「教師の魂」というのはどういうものなのか、というテーマや、あるいはレッドパージ自身が地域の人達に理解してもらうことが非常に難しかった中で、「地域の人と手を結ぶとは、いったいどういうことなのか」とか、さまざまな問題の提起をされたのではないかと思っています。


現状をどのように把握していくのか

 私は「現状をどのように把握していくのか」ということが、非常に大事な課題だろうと思います。今日における自由と民主主義をどのように考えていったらよいのかということを若干お話させていただけたらありがたいと思います。

 ご承知のように日本は1945年の8月に無条件降伏をしました。つまり日本の戦争責任をどのように受け止めるかという、そういう問題提起があったと思います。そのために民主主義を守る、戦前のあの非常に苦しい中で未来に見通しを持とうとした努力、あるいは発言できなかったけれども発信しようとした努力など、さまざまな国民の中であった、「民主的な精神をどう受け止めていくのか」ということが、私は時代を切り開いていく大事な精神だろうと思っているわけです。

 私が尊敬している学者の一人に南原繁(注1)がおります。彼は教育刷新委員会の委員長をやって、47年の教育基本法制定に重要に関わるわけですけれども、戦前は彼はカントを研究して、政治的発言をしていないわけですね。そういう良心的な苦しみが、彼をして教育刷新委員会の委員長として後押しさせる精神的支えになったのではないかと思っています。

 南原繁は、敗戦は「理性と良心に負けたんだ」と。つまり戦後の精神というのは自由と民主主義を守っていくためには理性と良心をどうつくっていくかということが問われているわけです。吉田茂との論争、「南原・吉田論争」というのがあります。吉田茂は「曲学阿世」と言って彼を罵倒しました(注2)。けれども、それに南原は屈しなかったんです。そういう精神をどのように受け止めていくのかということが、私は今日の日本を切り開いていく一つの精神的柱になっていくのではないかと思っています。

 戦後は、1945年の敗戦、無条件降伏の中から出発したわけですが、反動的な行政は「能力主義」という考え方を一つの柱として、それを太らせて、今日に来て新自由主義という、そういう流れになってきているのではないかと思います。


1963年の経済審議会からの動き

 みなさんもうご存知だろうと思いますけれども、1963年に経済審議会が、「人的能力開発の課題と対策」という答申の中で、「能力に応じた人的配分をどうするか」ということを打ち出しています。そしてそういう中で後期中等教育をバラバラにさせて、それに併せてくっついていくのが「期待される人間像」であるわけですね。つまりその能力主義という考え方と併せて、軍国主義、ナショナリズムが結合して、それがさらに反動的な勢力の精神として結合して今日に来ていると、そういう捉え方が必要ではないかと思います。

 60年代の後半から「期待される人間像」がさらに管理主義と結合していく。そこに統制と管理の思想が入ってきた。そして80年代に中曽根康弘が「不沈空母」と称して、臨時教育審議会を設定させて、中教審を乗り越えて、管理と能力主義を導入して、そして教員をしばりあげ、そして国民の精神を誘導化させていくような政策をさまざまに採ってきました。つまりそれは競争という原理を導入することによって自分の力は他人よりより優れているのではないかという、そういう思想をばら撒いていって、今日の新自由主義を支えているのではないだろうか。

 90年代に入っていわゆるネオリベラリズムと称する新自由主義として、それが竹中・小泉のあの残酷な政策として行われ、今日、破綻をきたしている。それが昨年の自民党と公明党の政権を交代させたという、そういう力になっていったんではないかと思います。つまり、戦前からの国民の中に、理性と良心、民主主義と自由の精神が、さまざまな困難の中で、力をあわせて、統一する力となって自公政権を交代させた。

 しかし現れた鳩山政権は、ご承知のように現在のような状況になっています。私は、彼らの基本には新自由主義の精神を持っているのではないかと思います。さまざまなアクセサリーをつけてはいますが、いずれ化けの皮がはがれるんじゃないかとも思います。私は現在の新自由主義というのは、人間の人格の破壊までもたらしている、そういう意味ではきわめて非人間的な政策を貫いてきているんではないかと思っています。だから、現在の時代の精神というものを、どういうふうに把握するかということが大事な課題ではないかと思っています。


私たちの運動の課題

 私たちの運動の課題について考えてみましょう。つまり今日の新自由主義に対抗していく「自由と民主主義の精神」をどう対抗軸として発展させていくのか。私は、戦前からの国民の中に流れている理性と良心をより太らせていく、さらにカントの永久平和論と結びつければ、それを一人一人の国民が自分の心の中に、理性と良心を通して、そしてそこからしたたり落ちてくる、自由と民主主義の魂を固めて、そして未来を切り開いていく。そういう情勢の中で、未来の課題をつくっていくということじゃないだろうか。今回の研究集会をそういう会にしていきたいと思っているわけです。

 今日は記念講演として金崎さんに来ていただきました。石原という、右翼的なナショナリストのもとで、破綻が見えていても、なかなか結集できない、東京のしんどい状況の中でがんばっておられる金崎さんです。そこから私たちは大いに学びながら、隣の人と手をつなぎ、そして子どもといっしょに生きていく。そうして私たち京都の伝統的な民主教育の力をさらに発展させていく、そういう集会にしていっていただくと非常にありがたい。

 午前中の報告と、午後の報告と、さらにパネラーとして若い先生方に登場していただく予定もしています。若い人を含めて大きな力を結集して、知事選に勝利して、「今日は来てよかった。僕らの心の中に勇気をいっぱいもらえた」という、そんな集会にしていただければ本当にありがたいと思いまして、センターを代表しまして一言あいさつを申し上げました。ありがとうございました。


(注1)
南原 繁(なんばら しげる):1889(明治22)年〜1974(昭和49)年。日本の政治学者。東京帝国大学の総長を務めた。東京大学名誉教授。
(注2)
1949(昭和24)年、単独講和を主張した当時の内閣総理大臣・吉田茂に対し全面講和論を掲げ、論争となった。このことで、南原は吉田茂から「曲学阿世の徒」と名指しで批判された。
この文章は、当日の記録をもとに京都教育センター事務局の責任において編集しました。
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