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京都教育センター年報 第19号(2006年度)
第三部 京都教育センター 発達問題研究会

2006年度研究会活動の経過と概要
2007年度研究活動の方針


               西浦 秀通(発達問題研究会)


1 2006年の活動経過

 2003年には、インターネットや情報機器・道具の普及などと併せて「コンピュータ社会に生きる子どもたちを取り巻く環境」について検討、2004年は「インターネット時代と子どもたちの認識・発達」に関して、2005年は「ケータイ文化と子どもたちの発達環境」に関して、子どもたちの文化という視点から学習と議論を重ねてきた。2006年も、引き続き「子どもたちの発達課題と地域環境」に関して、研究と議論を継続した。

 具体的には、月例の研究例会での学習や報告者を招いての「発達理論・発達を取り巻く環境」の研究を背景に、また、運営委員会での議論と問題提起を踏まえ、地域研との合同で7月8日(土)に公開研究会「地域で育つ子どもの発達を考える −「城陽生きもの調査隊」の活動から学ぶ− 」を開催、田中昭夫さんから「城陽生きもの調査隊」の活動や参加している子どもたちの様子について、具体的な活動・報告にもとづいた現状理解の討議を行なった。特に、子どもたちの活動を中心にしながら、親たちを組織していっている点に注目した。

 公開研当日は、「城陽生きもの調査隊」の報告に加えて、<「子ども、発達、教育、地域」 棚橋啓一さん(地域研)>と、<「コミュニティにおけるアイデンティティの形成 ―格差社会の中でブラックボックス化する発達課題― 西浦秀通(発達研事務局)>の内容で、二つの研究会から主催者としての研究報告を行い、子どもたちがおかれている学校・地域社会という「生育環境」の視点から、実践・実態報告にもとづいて議論を深めた。

 また、「発達の現代的課題」をより広い視点から俯瞰することを目的として昨年度秋から取り組んできた「北欧の教育」研究を継続し、11月には前年同様に学力研との共催で、「フィンランドの教育から学ぶ」をテーマとした教育研究会(第10回公開研究会)を開催した。山口妙子さんが「フィンランドの教育と教育基本法・私の教育実践」と題して講演、全教が実施したフィンランド教育視察団に参加した時の様子や、教育基本法を生かした学校現場での自らの実践を報告、続いて、後藤誠司さんが「フィンランドの学校を訪れて」と題して報告を行い、競争しないで学力世界一になったフィンランドの教育事情を詳しく紹介した。

 その後の討論では、フィンランドの教育から学ぶべき点、日本の教育に生かすべき点などが話し合われ、その中で日本の現行教育基本法のすばらしさを改めて認識し、改悪を許さない決意などが話された。充実した研究討議を行なうことができ、今後の研究活動の展望を開いた。

 昨年度の活動の記録は、以下の通り。
1月7日(土) 研究例会 小倉昭平氏「北欧の教育にふれて−2005年夏、北欧訪問の報告」、前年度活動総括、研究の方向性
3月4日(土) 運営委員会 発達課題と環境の視点」について、公開研究会について
4月15日(土) 運営委員会 地域研との打ち合わせ−公開研究会について
4月15日(土) 研究例会 中山善行氏「子どもの権利とは」を深める−クラップ氏(国連子どもの権利委員)講演から
5月20日(土) 運営委員会 地域研との打ち合わせ−公開研究会について、「子どもたちの成長発達と取り巻く環境」に関して、秋の第10回公開研に向けて
6月24日(土) 運営委員会 地域研との打ち合わせ−公開研究会について
6月24日(土) 研究例会 浅井定雄氏「子どもの発達と憲法・教育基本法」
7月8日(土) 第9回公開研究会 「城陽生きもの調査隊」の報告
7月22日(土) 運営委員会 第9回公開研究会総括・秋の第10回公開研について
9月2日(土) 運営委員会 「地域で育つ子ども」に関しての議論、公開研究会「北欧の教育シリーズ」についての検討
9月30日(土) 運営委員会 地域研との合同会議−公開研総括
9月30日(土) 研究例会 堀井篤氏「奥丹での地域活動から」
10月21日(土) 運営委員会 「発達課題と地域環境」に関して議論、冬季研分科会について、公開研究会(11月25日)について
10月 各支部教育研究集会参加
11月11日(土)
〜12日(日)
京都教育研究集会
11月18日(土) 地域研との打ち合わせ(冬季研合同分科会について)
11月18日(土) 運営委員会 「発達課題と地域環境」に関して、学力研との打ち合わせ−シリーズ「北欧の教育」公開研究会(11月25日)について
11月25日(土) 第10回公開研究会 公開研究会「フィンランドの教育から学ぶ」


【公開研究会「フィンランドの教育から学ぶ」概要】

日時:2006年11月25日(土)午後1時から4時
会場:京都教育文化センター101号
司会−学力・教育課程研究会 小野英喜         
記録−発達問題研究会 浅井定雄
参加者数:40名

●開会挨拶(要旨) 西浦秀通(発達問題研究会)

 来年一月に冬季研が行われるのですが、そこでの「発達に影響を及ぼす地域について研究」の準備を進めている所です。併行して「情報化時代」という形での発達に影響を及ぼす、そういう環境について議論をしてまいりまして、昨年「技術教育」という視点での公開研究会を行いました。本日の配布資料としてお配りしている冊子ですが、「北欧における教育の現状から」ということで、昨年秋に、名古屋大学の横山先生に、技術教育の現場という視点から、スゥエーデンのスロイドについての報告をして頂きました。前後、小さな学習会を持ちながら、技術教育のサークルと学力研+発達研という形で、教育センターの援助のもとに、昨年公開研究会を行いまして、本日の公開研究会というのは、その続きの研究会ということに位置づけています。

 冒頭に申しました教育基本法「改正」ですけれども、参議院が会期延長されて、もしかしたら成立するかもしれない情勢ですけれども、こういう研究会の中でしっかりと学習をして、現場で、あるいは研究として取り組んでいきたいと思っています。フィンランドは1972年に、「6・3制」の制度を作っていますけれども、そのモデルになったのは日本の「6・3制」ということで、そのフィンランドが、今や日本を追い越しての現状があるという学習もしてまいりました。やはり日本の教育基本法の優位性とか、そういうことをしっかりと学習しながら、できれば教育基本法の変更は阻止したい。もし変更になったとしても、また元に戻してやるんだという意気込みが持てるような、そういう学習をしていきたいと思っているところです。  

●講演「フィンランドの教育と教育基本法・私の教育実践」 (要旨) 山口 妙子(東大阪市立英田南小学校)

フィンランドへの教育視察から

 訪問した学校は、全校生徒789人という、フィンランドとしては大規模な総合学校でした。「ビッコラン総合学校」という学校に行かせていただきました。 フィンランドは70年代に、複線型の学校制度から「6・3制」の単線型の学校制度という形で教育改革が行われました。1999年から、さらにそれを改革し、延長、発展させた形で9年制の義務教育の制度が作られたそうです。それが今申し上げた「総合学校」という形です。

やわらかな空気の秘密

 国家教育委員会、文部省の下で主にカリキュラム作りを担当している役所ですけれども、そこでの説明で、フィンランドで大切にしていることとして、4つ挙げられました。

 1つは「平等だ」ということです。そして2つ目は、「義務教育はもちろん、大学まで無償」ということで、これはもうみなさんよくご存じだと思います。それから3つ目に「基礎教育において、選択はなく共通教育をしている」ということです。そして4つ目が、「教育政策への合意」。この4点を、本当になんの気負いもなく淡々と語られたんですが、それが逆に「すごいな!」と私は思いました。フィンランドの教育の常識となっていることなんだろうなというふうに、これがやわらかい空気の土台になっていたんではないかなと思っています。

 そして、どの学級も20人前後の少人数で授業が行われています。この教育条件もとっても大事だと思いました。私が行った時に、2年生の子どもたちと4年生の子どもたちが歓迎してくれました。

 先生たちの様子を校長先生からもお話をいただきました。私はそこで、いかに職員同士の話し合いが充実しているかということを感じましたし、自分自身の今の実態を振り返ることをしました。今、とっても忙しいですよね。学校5日制になってからというのは、土曜日の食事もかつては、一緒に行ってお話するという機会もありましたけれど、今、全くないです。若い先生たちと、職員と「話をしよう」という意識を持った人間が組織しなければ、いまとれないというのが実状じゃないかなと思います。「家庭科専科って、ひょっとして楽じゃない?」と思われるかも知れませんが、とんでもないです。その勤務外の時間も使わないと今は若い人たちのお声を聞くことが不可能です。みんな必死になって6時間の授業をしているという感じがしています。ですから、そういう点を考えてみますと、フィンランドのビッコランの先生たちというのは、とっても仲がいいというのを即座に感じました。

 それから、日本は競争と管理の下で子どもたちが犠牲を浴びているけれども、競争についての国家教育委員会の説明は、「競争はストレスにつながる。他人と競争するくらいなら、自分と闘って個性を守りなさいと言っている。そうすれば必要のないストレスは減ってくる。」これが答えだったんです。やはりこれを考えてみても、非常にやわらかい空気とつながるな、含んでいるなと感じました。ですから、全国一斉学力テストなどはもちろんありません。フィンランドでも学力調査は行われていますが、これも国家教育委員会の説明では、学力調査は5%の学校を抽出して行われているそうです。そしてその結果があまり良くなかった学校には、その学校と連絡を取ってどうすれば良いかを検討し、アドバイスを行う。学校予算は地方の学校や小さな学校、問題のある学校に多く与えるようにしている。調査結果がよくなかった学校では、子どもたちの人数をさらに少なくして教えるようにできるために先生を増やすというふうに回答してくださったんです。えらい日本と違いますよね。今、東京が何をしているかと言えば、これと全く反対のことをやっているんじゃないでしょうか。学力のある学校には予算を多くすると言っていますが、とんでもないことだなと感じています。学力が低かったらそこに予算が下りて、先生もそこに増やすと、まさにこれが道理じゃないかなと感じました。

立派な施設・設備

 そして、私が行かせてもらった学校の施設・設備ですが、すごく整っていました。私は今、家庭科専科ですので、「家庭科室はどこ?」という形で、そこを一番ゆっくりと見せてもらったんですが、とにかく調理室に4つシステムキッチンが並んでいたんです。ご家庭にあるのと全く同じで、それより良いかも知れませんね。それにレンジも全部ついて、テーブルも。だから教室の中にお家のキッチンが4つあると考えて下さったらいいんです。そういう調理室の中で、家庭科の授業が行われているんです。そして洗濯機もちゃんとあり、洗濯場もきちんと整えられていて、教室が整備されていました。それから被服室もありました。そして中学校も一緒ですから、技術室もあり工具がびっしりと揃えられていて、授業するための材料も倉庫のようなところにバシッと置いてありました。そういったことからして、てんで比べものにならないんですけれど、日本の私の本校の家庭科室は行ってびっくりです。でもそのなかでやらねばならないという自分があるわけです。そういったことからして、いかに日本の行政が怠けているかをつくづく感じました。

 食堂もとても大きいところがありまして、明るくて清潔でした。300人程度が座れる広い食堂です。この食堂もすごかったですね、低学年の1年生から食事時間が時間差で決まっているんです。2年生の図工の授業参観で、教材は落ち葉、まだ青々とした葉っぱでしたが、きっと教室から出まして、すぐ周りには森ですから、そこから葉っぱを取ってきて、それを描いていましたけれども、その図工室という所で授業をしていてチャイムが鳴ったんです。低学年はほかの学年より昼食が早いんです。そうしましたら、チャイムが鳴ると同時に、みんながスッと立ち上がるんです。どうするのかなと見ていたら、教室にある水道の所に一列に並んで手を洗って、そのまま食堂に行くんです。その姿を見ていて、日本を考えて見て下さい。「はい、エプロン着けて」「はい、並んで」とやってしまっていませんか。うちの学校なんかも、そう言って、子どもが並ばなかったらキッキキッキと先生がおっしゃっているんですよね。ところが、フィンランドは全くバイキング形式ですので、手を洗って、そのまま子どもたちは食堂に移動するんです。そして自分が食べたいものを、いっぱいある中で自分が選んでテーブルに持っていくんです。それを考えてみましても1年生から自分が食べたいものをきちんと自分の力で選んで食しているという、こういうところを見た時に、ちょっと日本の1年生の子どもたちとは違うなと感じました。非常にバイキング形式は、ゆったりと、食事の時間もいっぱい取られていましたし、どこに座ってもよくて、私たちはビッコランの児童と一緒に、にこにこしながら食べるということもできましたし、全職員がそこで食べていらっしゃいました。何回おかわりに行ってもいいんです。自分が食べたいだけ取ってきて、食べたい量を食べている。ですから、中には好き嫌いもあるかも知れませんが、でもそれで1年生から中3まできちんと生活が行われている。そこで私は何を感じたかと言いますと、家庭での教育、食事に対する力というものをきちんとつけられているんだなと感じました。たった1回の食事の様子だったけれど、たまたま私が見させてもらった子どもの実状は、ちゃんと子どもが自分の食べたいものをきちんと取って食べているということを見させてもらいました。

はにかみやだけれどすぐに親しくなれる子どもたち

 次に子どもたちの様子ですけれども、非常に子どもらしくて、はにかみやだけれども、すぐに仲良しになれる子どもたちでした。日本からは折り紙や遊び道具も含めて持っていっていっしょにやったんですが、3年生から向こうでは外国語として英語教育をやっていますので、片言の英語と、中に「ぼくのお父さんは日本で働いていたから、ちょっと日本語がわかる」と言って、「ありがとう」「こんにちわ」と言ってくれる子どももいましたし、その中で指相撲をいっしょにやったんですが、言葉は通じないけれども、けっこう心がすぐにつながるという感じで、日本から行った先生たちといっしょになって、時間がないくらい遊びました。「もうちょっと遊びたいな」と言っている先生もいましたし、折り紙もとことん最後まで教えてあげたかったんですが、時間がなくてできませんでしたが、そういった子どもたちの実態で、非常に仲良くなれました。

 その時に「日本から来たみなさんに聞きたいことはありませんか」ということで、6年生の社会科の授業の時にいろんな質問が出ました。質問に答えるのは、実は私の夫の役目でいろいろと大変だったんですが、私の心の中に残っているのは「日本では子どもの意見をちゃんと聞いていますか」という質問には、実は驚かされました。おそらく子どもたちは学校で、自分たちの意見はきちんと受けとめてもらっているんだということをつくづく感じました。「子どもの意見をちゃんと先生たちが聞いてくれていますか?」ということです。夫の答えは「大変難しい質問だ」といいながら、「私たちはいつもそうしようと努めています」と無難な答え方をしていましたけれども、こんなことが子どもの口からポッと出てくるのに私は驚きました。この子どもたちの質問は、校長先生から聞いていた1年生から9年生までの「子どもの声を聞くことは、法律で決まっています」と「子どもと家庭の意見を考慮に入れて、学校運営に取り組むことは伝統的に行われています」とぴったりと合うものだったんです。ですから子どもの質問は、常にそういった関係をフィンランドではつくられているんだということを感じました。

教育予算、教育条件、教育課程など−

 フィンランドの教育予算が国家予算に占める割合は15%で、GDP比では6%。これは2002年で、今はもう少し増えているという話でした。日本の教育予算のGDP比は4・7%で、OECD加盟国の最低レベルだということです。もし日本の教育予算がフィンランド並みに引き上げられれば、高校までの30人学級の実現と大学までの無償化が可能だと言われていますので、ぜひそのような状況を作らねばいけないなと思っています。

 それから学校規模、学級規模ですが、学校規模の平均は163人ぐらいだということです。学級基準は、国の基準はないということでしたが、平均して一クラス18人。日本は40名ですけれども、私が見せていただいた学校で、一応18名ですが、20名以上の学級もありました。中学校では一つの学級を少人数で2つに分けて14〜5名に分けて学習をしているという授業形態もありましたので、とにかく少人数でやっていらっしゃるということです。

 教育課程と教科書はどうかと言いますと、フィンランドにも国家教育委員会がつくるナショナル・コア・カリキュラム、日本で言う学習指導要領に当たるものはありますが、その作成過程にも教師が加わっているそうです。しかも、あくまでもそれはおおざっぱなガイドラインであって、学校が独自にカリキュラムを作っているそうです。さらに説明では、学校が作るカリキュラムについては、保護者や子どもの意見を聞きながらやることが義務づけられているそうです。ですから、学校と保護者との関係は、ここから築いていけるというふうに述べられました。

 レクチャーを終えて、質疑ですが、「日本では教科書検定制度があり、教科書が学習指導要領に適合しているかどうかについて厳しいチェックがあるが、フィンランドではどうか」という質問に対する回答は、「昔は検定をやっていたが、今はやっていない」ということです。教科書は出版社が出しているが、その教科書も現場教師が作っているそうです。どの教科書を使うかを決めるのは、現場の教師なので、問題がある教科書は現場が採択しない、だから出版社も現場の教師に選ばれる良い教科書をつくるというものだったんです。

 次に先生方の地位というのでしょうか、非常に先生が大切にされているなと感じました。フィンランドではすべて、大学院修士課程を修了しなければ先生になれないそうです。研究者になる力をつけた人が教員になるそうです。ですから、しっかりとした教員養成がされているんだなと感じました。「教員は国民のロウソク」と言われ、社会的信頼の厚い職業であるということです。日本の非常に肩身の狭い、「教師なんて」と言われるような会話、「ダメ教師」なんて言う言葉もよく耳にします。こんなことはフィンランドには一切ないです。先生がしっかり尊重され、信頼されている職業です。ですから子どもたちにとって「何になりたいの」と言うと、教師が非常に魅力ある仕事として映っているようでした。

子どもが大事にされている国−フィンランドの町を歩いて感じたこと−

 それから、私が非常に「空気が違う」という中に、フィンランドの町を歩いて見まして、非常に子どもを大事にするお国柄という印象です。道路に大人と子どもの手をひいた絵が描かれているんです。小学校の3〜4年生ぐらいまでの子どもさんは、一人で歩いていません。必ず横に大人が付いて手を引いていました。私がびっくりしたのは、電車に乗ってもバスに乗っても、バス代は無料だし、路面電車には乳母車を置くことができるスペースがちゃんと確保されていました。ちょうど自由時間で国立美術館に行ったんですが、びっくりしたのは子どもたちと家族連れが多かったことです。私も絵が好きで、よく美術館に行くんですけれども、日本の美術館とは全く違いました。まず何が違うかといいますと、そこに流れている時間が違いました。ゆっくりと親子で見て、その美術館にピカソやゴッホの絵があったんですが、その絵の前にたたずみながら親子で会話しているんです。日本でそんな光景がありますか?ほとんどないでしょ。大人でもスッススッス通って行きませんか?

 こういった所で静かに鑑賞している、その鑑賞する力を子どもたちにしっかりとつけていらっしゃるなと感じました。そして、声を荒げて子どもをしかっている光景は全く目にしませんでした。

 たいへん短い一日という滞在でしたので、自分が今言ったことを絶対化することは避けたいと思っていますが、子どもが大事にされているという印象は、間違いなく感じ取りました。そして日本に帰って、ふっと親子の関係を見まして、マーケットに行ったら、お母さんが小さな子どもを怒鳴っている姿を見たときに、「ああ、えらい違いだな」と感じました。

フィンランドの教育と教育基本法  

 フィンランドの教育と教育基本法ということで、「特にモデルはない」というのが実際の答えだったんですが、しかしながら私はフィンランドで行われている教育は、日本の教育基本法が目指している教育とピッタリ重なるものだと感じさせられました。教育基本法では第一条に人格の完成を目指し、第三条に教育の機会均等を保障し、第六条に教員の身分保障、これをしっかりやり、第十条に「国民全体に対し直接に責任を負って」という教育を行うことができたならば、私はフィンランドのような行き届いた教育は可能だというふうに感じました。だから、さきほども冒頭に説明がありましたように、教育基本法改悪は絶対に許してはいけないなということを強く感じてきました。

私の教育実践で大切にしてきたこと

 私の実践を振り返った時に、四六時中、教育基本法を意識しているわけではありません。頭の中では常に目の前の子どもたちのことを考えて教育活動を行ってきています。でも、その教育活動の中に教育基本法が生きて働いていることを常に感じています。私は大きく二つのことを大切にして実践してまいりました。

 一つは、「いつも父母といっしょだよ」ということです。それから二つ目は「授業は楽しくなくっちゃ。とにかく楽しい授業を」ということで、この二つを大事にしています。  資料の4ページの上に「理屈を言えば、教育基本法第10条です」と書かせてもらいました。父母といっしょに教育活動に取り組むことは、「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接に責任を負って行われるべきものである」の、私は「具体化」ではないかと思っています。改悪は、これをすべて削除していますから、本当に許せないなと私は思っています。

まとめにかえて

 最後に、初めてのフィンランド訪問で、教育基本法の値打ちを確かめることができたことは本当に良かったと思っています。そして、私たちは教育基本法に支えられて、教育活動を行っています。しかし同時に、私たちの教育実践が、教育基本法の中身を作ってきたものと言えると思います。ここが私、すごく思っていることなんです。私自身も、何の肩書きもない普通の教師で、子どもと一緒に、父母と共に力を借りながらやってきたんですが、そのことそのものが教育基本法を守って生かしていることではないかと、今、つくづく感じております。ですから、誰にでもできることではないかなというふうに思っています。

 今きびしい状況ですが、今、先生方といっしょに子どもの前に立ってやることは、日本の今の教育基本法そのものを具体化していると言うことを認識しなおしてやっていくことなんだと、私も自分の職場の若い人たちに語りながら、いっしょに取り組んでいこうとそんなふうに思っています。ご静聴ありがとございました。


●実践報告 京都教研学力分科会レポートから「フィンランドの学校を訪れて」(要旨) 後藤誠司(京都市立日吉ヶ丘高校)

 実践報告と言われたが、私もフィンランドへ行って見てきたことを報告したい。ひとつはOECDのピサの調査で世界一になったことで注目された。私も帰ってきて、日本と比較すると、いろいろ思うことが多かった。

 6ページ目を見て欲しいが、日本とドイツでピサショックがでて、それで文科省が驚いて対策を取りだした。ピサという学力調査は、日本で騒がれ始めたが、2000年の結果と2003年の結果が比較してある。2000年の調査で日本は上位だったが、2003年の調査で「問題解決能力」の「読解力」で14位に落ち込んだことが騒がれた。

 日本の受験教育の中では、知識の注入が主で「自分で方法を考えて答えを出している」「答えを出すに当たって自分はどう考えるか」というもので、日本では余り慣れていないものだった。「学力」の問題は、日本ではきわめて低い学力層が増えている。(資料4)でレベル3までの平均以下の割合が40%占めるということで、この数字が大きな影響を引き起こしている。日本の動きがアメリカ型と非常に一致してきている。要するに低学力層が非常に大きくなり、それが平均点を押し下げている。アメリカの学力格差と軌を一にしている。それが日本全国で起こりつつある。

 ヘルシンキ郊外の町に行って2つの総合学校に行って2つの授業を見学した。午前中のレクチャーについては省略するが、教育行政については、教育省とは分かれて、教育内容の検討をされている。これは日本との大きな違いである。学校制度は、図2の通りである。2ページ目の中等教育。高校は、90年代の改革で、日本で言えば、単位制の高校になっている。クラス制ではなく、3年間の間に一人一人の生徒が単位を取って、大学資格試験をめざす。職業高校は、図でみれば、小中の基礎学校の上にあるが、これも行き来が自由で好きに行ったり来たりすることができる。

 ナショナル・コア・カリキュラムでは、最近は100頁足らずの、大まかなことだけを書いている。教える内容よりも、学ぶ過程や、支援のあり方を大事にしている。

 3頁目の質問項目では、「子どもの学びの支援」を重視している。私の行った学校は、小中一貫で、スタッフは担任以外にも特別の手当てをする者が9名おり、充実した配置となっている。校長がパワーポイントで説明をしていた。PISAの結果も良いということだった。教科の配当時間は、見ればわかるように第一外国語が3年生から、第二外国語が4年生から教えている。

 4ページ目の学校教育を支える基本点では、誰もが必要とされている、誰もが見守られているというのである。また、図書館の利用も世界一で、小さい頃からよく利用されている。一クラス18名、貧富の格差が小さい社会、図書館の利用、成熟した教育、いろいろなことに対応できるようなスタッフ。

 教員のことで言えば2頁目で、85%が女性。高校では65%が女性で、社会的な評価が高く、子どもたちの就職希望も教員が多い。教育重視は社会的な共通理解になっていて、政権が代わっても、教育の基本政策が変わることはない。

 3頁目の授業見学では、6年生の歴史「ミクロ・ヒストリー」。またフィンランドと言えば有名な携帯電話会社があるが、それを持ってきてやってきていたりした。20人ぐらいが4つのグループに分かれて、前で発表したのを聞いたりしていた。8年生(中学生)の歴史の授業は30人ぐらいで、始めに一斉授業で先生が説明して、途中からグループに分かれて、物音を立てずにすっといって、小さい頃からそれをやっていて、見ていてびっくりした。そういうスタイルがフィンランドでは一般的だと思った。

 もう一つ分かれたのは、授業参観で、英語も20人ぐらいで、グループに分かれて、それぞれの課題を与えられて、勉強していた。先生は教えるのではなくて、生徒が学ぶのを支援するという形に徹底していた。


●質疑討論(一部・要旨のみ)

●「フィンランドの教育世界一」のビデオで、大学まで教育費が無料というのが話し合われていて、日本国民に知らされていないことがいっぱいあって、もっとマスコミに取り上げられてほしい。

●話を聞いて、総合技術教育で、実践してきたものを感じたが、社会主義の目指した教育というものが、どのように反映していたのか。私は、東ドイツを勉強したが、その教育の目標が実現されているのではないかという感じを受けた。

◎後藤:よく言われるのは福祉社会で社会民主主義の考え方だと思うが、教育自体が社会福祉として考えられている。フィンランドの生徒と言うのも、非常に明るく「しゃい」な感じがしている。小中高大まで無料で、その代わり税金は高いが、自分がお世話になった分だけ、お返しするというのが「社会的合意」になっている。映画に「かもめ食堂」というのがあるが、それを見てフィンランドに行った人も多いと思う。そこに出てくる社会というのは脱力系の社会で、そういう社会のあり方というのがあるのだと思う。

●現場の者として、頭を悩ますのは生活指導。休み時間の風景はどんなものか、生活指導はそこまでかかわらなくて良いのか。

◎山口:日本では、問題行動を起こすことが多いが、フィンランドでは「社会的に問題を起こす子はゼロです」と言われた。フィンランドでは、勉強がわからなければ、補助教員が隣にいて、ていねいにわかるまで教える。基礎学力がすべての子に、ていねいに教えあれている。子どもたちは、わからない子に、しっかりと教えている。他人と比べないで、過去の自分と現在の自分を比べるように教育されている。私も、今の学校でそれを使って教えている。子どもたちも他人の気持ちを察することができて、外国人にも声を掛ける積極面と、それができる力を感じることができた。子どもを安心して、大切に育てられていると思った。休み時間は、私たちが50年代頃にやっていた遊びをして楽しんでいると思った。小学校の子どもたちは、自然の中で遊べるように、そんなところに学校がある。

●フィンランドの教科書に、レーニンが出てきた以前の社会と以後の社会についてそれを分かれて劇をつくり上演するというような教育がされていた。

●制服、塾もない。テレビも放映されるが時間が制限されている。

●日本の教育とまるで違う。フィンランドの教育はすごいなと思った。「教育は福祉」というのを初めて聞いた。そのつながりをもう少し教えて欲しい。憲法では教育と福祉が続けて書いてある。

●政治状況は、社会民主党と二大政党政治だ。

◎山口:大学まで無償。すべての子どもが平等に教育を受けられることが保障されているので、格差は生じていない。

●もしもうちの学校に来ている子どもたちがフィンランドだったら、どう育っているのかということを感じていた。では、先生はどうなのか、先生の勤務はどうなのか。授業がある時の学校の先生の報告と、休業中の様子を教えて欲しい。

◎山口:ブレイクタイムではお茶を飲みながら話をしている。また教員は、勤務時間外は他の仕事をしてもよいということで、他の仕事をしている人もいる。勤務時間内で仕事は終わっているんだと思う。夏休みは長い。夏休みの宿題は一切無い。教師一人一人がたいへん自由である。

◎後藤:大きい違いは、クラブ活動がない。それは社会教育でやって、学校の先生は一切指導しない。

●校長が、育児休暇をとっているとか、職員室に自由なスペースがあって、夏休みは一月半自由だが「アフリカへの支援」で行く先生のグループとか、うらやましかった。

●中学の生徒指導で、夜10時、11時と過ごしている。父母と授業を作っていくときに、どのような教材づくり、対話が進んでいるのか聞きたい。

◎後藤:本の中で紹介されているのは、一人一人の先生が面接をしながら、一人一人のカリキュラムを決めている。何も知らないで行ったら、学級崩壊しているように思うだろう。クラスの中で10人いれば10人のメニューと作るので、先生は大変だ。いっしょに行った先生の中で数学の先生がいて、教科書をみたら、「実生活に使えるような」問題がつくられているので、日本の社会では感じられない。教科書自体を学校がつくるということで出発したらそれができる。

●私は、50年代に教師になったが、楽しかった。子どもたちに考える授業など、いろいろなことをしても、誰も文句を言わなかった。それから日本の教育がどんどんどんどん変わってきた。私がやってきたのは、教育基本法によるそういう教育だったのではないか。

●基礎教育の目標ということで、わかっていることがあれば教えて欲しい。「自己肯定感を持つ」ということであれば、いつごろからなのか。また、社会の環境との関わりの中での自己の確立というのは、社会主義教育と逆で、本来的なものではないのか。戦後の国際連合など新しい変化を感じている。基本的観点のところも、人権・人格形成との関係で、(フィンランドは)しっかりとした位置づけをしていると理解する。

◎後藤:ただただ感心するだけで、イメージとしては、一人一人の個人が社会として自立して、お互いに協力しあいながら生活していくという、本来あるべき社会の姿が普通に行われていると言うことを鮮明にしていると思う。

●大学院の修士課程が必要ということで、その養成は修士までいかないとできないことなのか。

●この6月に三国とフィンランドに行ったが、ガイドの日本人女性で、20年前にバツイチになって、フィンランドへ来て、そこで子どもを育てることができた。フィンランドでなければ、子どもを育てることができなかった、と話した。

●関西日本フィンランド協会に入っている。テレビが非常に違う。キラキラした番組がほとんどない。静かな町、信号待ちだけで「何か困っていることはないか」と聞いてくる。非常に教育レベルが高い。聞くと、ヘルシンキでは夜はよっぱらいがたむろしているという影の面も持っている。教員については、時間を守っている。それは家庭を大事にさせているからだ。教員はクラブを担当していない。それは社会教育が充実しているからだ。PISAの学力が世界一、というのは「一番になったから、まあ自慢しておこう」という程度である。隣国はロシアで、ずいぶん脅威に感じている。日本で言われているように、フィンランドは、経済力に直結されるようなものではない。

●「教育を福祉として捉えている」教育福祉論があり、日本でも公民館などが教育だけでなく、福祉の分野で役割も期待されている。また就学費用や、教育費、学童保育所などの就学保障的な考えなど、日本でもそのような分野はある。フィンランドではソーシャルワーカーが派遣されているが、日本でも学校に派遣するという声はあり、3ケ校で始まり、今年度は大阪で6ケ校に派遣されたりしている。ソーシャルワーカーの派遣は、格差問題で議論されているような、家庭的な問題で困難を抱えている中で、そうした子への対応の必要性などがある。(同じ施策でも)フィンランドと日本との背景がずいぶん違うということの認識しておかなければならない。宿題として、日本の現状をふまえて、どういう教育福祉的なアプローチがあるのかを考えていかなければならない。

●閉会挨拶(要旨) 野中一也(京都教育センター代表)  今日はいろいろ話をしていただいて、いっぱい学習できた。また、あらためてロマンをふくらませてもらった。今、教育基本法改悪の動きはあるが、人類の社会は確実に前進していると感じている。ルソーがエミールを書き、クループスカヤが「国民教育」の中で「農民のように働き、哲学者のように考える」と言っているが、そんな全面発達の人間発達を求めたい。また、1月27日〜28日に京都教育センター研究集会があるので、参加してほしい。

2 2006年のまとめ

 2006年度も前年度に引き続き、研究の焦点を「思春期の子ども」に合わせ、さらに
   1 認知的能力
   2 身体的・運動的能力
   3 現代社会の中の思春期
という3つのテーマに沿って研究活動を進めることを追求した。

 また、「子どもたちの発達課題と地域環境」という前年に引き続いた研究から、子どもの発達の危機的状況が議論されるなかで、子どもたち自身の「様変わり」も指摘されてきた。子どもの内面の変容とともに、子どもたちの居場所(環境)も狭くなってきており、「どうして外で自然に触れて遊べなくなったのかをきちんと見極めること」が必要だという認識から、地域研に公開研共催を呼びかけ、共同での議論を重ねた。

 その中で、地域での子どもの姿の希薄さが気になること、学校教育限定ではなく子どもの生活全体を見直すこと、与えられた「体験学習」ではなく子どもたち自身の好奇心や意欲を喚起する場をどうすればつくることができるのか、といった問題意識を踏まえ、公開研究会「地域で育つ子どもの発達を考える」を開催、田中昭夫さんから「城陽生きもの調査隊」の活動報告を通じて、学校外での子どもたちの様子や育ち(発達)についてもお話頂き、具体的な活動・報告にもとづいた現状理解の討議を行なった。

 公開研当日は、地域研からの報告に続いて、発達研での研究経過や情勢及び運営委員会の問題意識などについて、<「コミュニティにおけるアイデンティティの形成 ―格差社会の中でブラックボックス化する発達課題―>と題して研究会事務局として研究報告を行い、議論の背景としての「モラトリアム心理の変化」や「無職者比率の増大」、また、傷つける・傷つけられるという関係の中で子どもたちが過ごしている状況があること、現状対策としての「学校のセキュリティの強化」「登下校時の監視」、「子どもの安全」というときの加害者である「大人」がどのような筋道を通って成長してきたのか、といった課題、あるいは、これまで検討してきた「最近接発達領域」「正統的周辺参加」について報告、「人のつながりの弱さ−地域がこわれている」また、「自然の生き物と子どもとの関わり」「地域でいかに学ぶのか何が育つのか」などの検討課題も提起した。

 当日の議論では、活動や参加している子どもたちの様子について、特に、子どもたちの活動を中心にしながら、親たちを組織していっている点に注目した。公開研終了後も月例研究例会で堀井篤さん(元立命館高校)に「奥丹での地域活動から」の報告をして頂くなど、「地域で育つ子ども」に関しての議論を継続し、合同研究会、センター冬季研での合同分科会など、「人間発達の土壌としての学校・地域」について、地域研との共同の取り組みが続いている。

 「子どもたちの成長発達と取り巻く環境」に関しては、「発達の現代的課題」をより広い視点から俯瞰するために、中山善行さん(学童保育連協)に「『子どもの権利とは』を深める−クラップ氏(国連子どもの権利委員)講演から」を、浅井定雄さん(教育センター)に「子どもの発達と憲法・教育基本法」を報告して頂くなど、テーマを絞り、あるいは研究テーマそのものを発展させる側面からも、定例の活動(研究例会+運営委員会、公開研、センター研)を軸に多彩な内容で原則的な研究を継続してきた。

 また、昨年度より取り組んできた「北欧の教育」のシリーズでは、月例研究例会で小倉昭平さん(元同志社高校)に「北欧の教育にふれて−2005年夏、北欧訪問の報告」の内容で報告して頂き、北欧の制度などを検討しながら、子どもたちの発達と教育環境についての議論を深め、秋には公開研究会「フィンランドの教育から学ぶ」(学力研との共催)を開催した。こういった「教育制度」や「環境」としての学校や社会環境の影響の重要な意味も含めて、今後も認識・発達についての研究を発展させて、その課題を明らかにしていくことになっている。

【研究に関して】
 
 研究を進めていく上で、以下の視点を確認してきた。

   1 発達理論に基づいているか
   2 社会的教育的な情勢・状況を把握しているか
   3 子どもたちの実態に基づいているか
   4 教育現場が求めているものになっているか
   5 研究成果の活用の展望

 そして、研究活動を今後どのように社会や教育現場に還元していくのか検討し、研究内容の記録・得られた研究成果を冊子か本にまとめて、組織的な研究を継続していくことになっている。

3 2007年の活動方針

 2007年度も「思春期の子ども」研究を継続させていくことを確認している。当面「発達の現代的課題」、「人間発達の土壌としての学校・地域」について、定例の研究例会を学習の場として活用、すでに設定している。この間、この研究会のあり方を捉え直して発展させようと議論もあり、実務作業のための運営委員会についても、学習討議の場としての研究例会についても、「発達保障」の観点からの理論的な学習も含めて議論を繰り返してきている。また、前年までの「インターネット時代と子どもたちの認識・発達」「ケータイ文化と子どもたち」「子どもたちの発達課題と地域環境」「北欧の教育」に関する研究の継続も求められている。

 今後も、「現代の子どものコミュニケーション」「自主活動と社会的発達」など、これまでの報告や研究を踏まえ、また会員の意見を広く取り入れながら、学校教育や社会環境など発達をめぐる問題を精力的に検討していきたい。

 加えて、多忙化の中で月例開催を継続していくのかといった研究会運営や会員組織に関すること、あるいは研究会活動と教育センターとの連携など、改善・整理していく課題についても、活動の中から議論を深めていくこととなろう。

4  研究会組織体制と構成員

・代表者  宮嶋邦明(京都府立大)、築山崇(京都府立大)

・事務局  関谷健(元田辺高校)、西浦秀通(伏見工高)

・運営委員 浅井定雄(教育センター)、伊藤晴美(嘉楽中)、小倉昭平(元同志社高校)、北村彰(東宇治中)、久保田あや子(音羽中)、中山善行(学童保育連協)、人見江利子(京都府立大院)、和気徹(向陽高)

・会員   (略)
 「京都教育センター年報(19号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(19号)」冊子をごらんください。
2007年3月
京都教育センター
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