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京都教育センター年報 第19号(2006年度)
第二部 研究集会 第一分科会報告

京都の「教育改革」の現状と問題点を探る(要旨)


          奥村久美子・大西真樹男(地方教育行政研究会)
第37回 京都教育センター研究集会
日時 2007年1月28日(日)10:00〜16:00

報告
@「宇治市の小中一貫校(教育)の顛末」 
A「八幡市の『学校再編整備計画』・『学力向上』の問題点」  
B「乙訓地域の学校選択制を検討する」 
C「京都市の『格差』教育の実態」  

【運営担当】・市川  哲  ・室井  修  ・東  辰也  ・新谷  剛


T 分科会報告の概要

 今回の分科会は、京都教育センター地方教育行政研と京教組の2007年度第1回合同学習会としての位置づけももって開催された。まず、研究会当日の報告内容を中心に概要を報告する。

 はじめに、地方教育行政研究会事務局(市川 哲)から「教育基本法の改悪は子どもと教育をどう変えようとしているのか」と題して、基調的な報告が行われた。

 第165回臨時国会での「改正」は見送る方がよいという多くの国民の声を無視して教育基本法改悪案が強行可決された。何故こうまでして教育基本法改悪にこだわるのか、その狙いと本質についてまとめた。何よりも、この改悪は、グローバル経済のもとでの@新自由主義を体現した資本のために働く人材の育成、Aいざとなればアメリカとともに(アメリカの庇護のもとに)海外の財産や人員を確保できる「戦える国づくり」を目指す財界が望んだものと言える。「愛国心」「お国のため」という言葉が繰り返される中で日常の「権力」に無条件に従いやすい国民をつくろうとしている。安倍政権が発足し、「教育再生の目標は、すべての子どもに高い学力と規範意識を身に付ける機会を提供すること」(安倍)として「教育再生会議」が設置された。

 「第一次報告」がだされたが、それは学力向上のために「ゆとり教育」の見直しや奉仕活動の義務化、教員免許の更新制等、押しつけと締め付けの教育をすすめようとするもの。これら格差をつけるための「教育改革」と教育にお金をかけない「教育改革」とが混在になってあらわれているもとで、京都でもその具体化がおしすすめられている。

 これから改悪された教育基本法の具現化が始まろうとしている。それを許さないためには、憲法に依拠し、憲法の理念を具体化していく取り組みが重要になってくる。


報告の概要

@「格差・競争・問答無用の京都市教育行政」

 2006年6月の衆議院教育基本法特別委員会で「教育基本法改正は京都市の『教育改革』と軌を一にするもの」と発言した門川京都市教育長。その京都市の教育改革を見る上での3つのキーワードは、「格差」「競争」「問答無用」。

 教育に「勝ち組・負け組」持ち込む格差の拡大・競争原理の導入。義務教育諸学校でも始まった序列化・学校間格差。99億円をかけてつくられた西京中高一貫校がある一方、窓の開かない老朽校舎が放置されている現状。「学力日本一」を標榜し、手厚い人事配置と整った施設・設備、豊富な予算で運営されている学校がある一方で、新入生が使う机が足らずに「恵まれた」学校のお古をもらい下げにいかざるをえない学校がある。

 また、「大学進学」を特色にした高校がつくられ、これらのつくられた「格差」が、いっそう低年齢化し加熱する受験競争をつくりだしている。

 他方、2007年4月に実施予定されている全国一斉学力テストを前にして、「全市平均を下回る学校は、どうするのか具体的対策を!」と叱咤し、各学校を指導主事が回っている。

 また2006年度から学習指導要領の定める標準年間授業日数198日を大きく上回る授業日数「205日以上」を教育委員会規則として制定した。「学力とは」「子どもたちにつけたい力とは」といった大切な教育論議はぬきにして、ひたすら授業時数・日数の「確保」を競い合い、一部中学校では毎日7時間授業、さらに夜7時まで勉強させるという話もでている。

 そして、「特色ある学校づくり」競争にふりまわされる学校の実態。2004年に学校経常運営費が2割削減され、削減分は約9億円になった。その年の「特色ある学校づくり」関連予算が、8.9億円と、削減された分がほぼまわされた格好になっている。そんな状況の下で、とにかく「研究指定」をとらないと学校予算が足らずに学校運営ができなくなってしまっている。そこでいろいろと言われる特色は、つきつめていくと「学力」競争につながっていく。

 このような「格差」「競争」の学校教育をおしすすめるために、管理統制がますます強調されている。「校長中心の学校運営」「職員会議は校長の諮問機関」として、問答無用・上意下達で物事がきまり、教育論議のできない学校をめざす教育委員会の姿勢。教職員評価システム・「優秀教員」表彰制度・「スーパーティーチャー」認証による教職員の分断・管理がすすめられている。その一方で「指導力不足で120名やめてもらった」と自慢し、他府県にない「地域教育専門主事室」の教員指導力向上チームが常に学校を訪問し、教員を追い込んでいっている。そのことが、メンタルでの休職者を急増させ、新採で退職を余儀なくさせられる青年教員を産み出していっている。

 学期の設定は子ども・家庭・地域に大きな影響を与えるが、それら当事者の声を無視し、一方的に規則化し、全市一律「二期制」をおしつけてきた。また、「心のノート」の全家庭への配布、多くの企業広告が掲載され、内容に誤りがあり、科学的系統的歴史学習を無視したテキストを用いた「京都ジュニア検定」の受検を全児童に強制するなど、天皇中心の歴史観と「心の教育」をおしつけてきている。その根底に、地域・家庭との連携が重要といいながら、「企業との連携も地域との連携です」と言い切り、京都の経済界との連携にひた走る教育長の姿勢がある。その具現化として、「実生活に効果があるとはいえない」内容の「スチューデントシティ・ファイナンスパーク」が、企業の協賛を得て07年度から本格運用されることになった。

 このような「格差」「競争」「問答無用」の教育と対峙するために「どの子ものびる学校」「学校と教職員の創意が生きる学校」「子ども参加・父母共同の学校」を目指す取り組みが重要になっている。


A「宇治市の小中一貫教育」・・・・(略)


B「八幡市の『学校再編整備計画』・『学力向上』の問題点」・・・・(略)


C「乙訓地域における『学校選択制』の現状」・・・・(略)


U 分科会討論の骨子

 次に分科会で交わされた各報告に関する討論の骨子を概述する。

@「格差・競争・問答無用の京都市教育行政」について

・ PFIや「スチューデントシティ・ファイナンスパーク」、「京都ジュニア検定」テキスト作成と配布などを通して、市教委と財界・企業との結びつきが財政面でも教育内容面でも強くなってきている。

・ 日常の学校運営に必要な学校経費を一律2割削減する一方で、研究指定校になれば別途、予算が下りてくる仕組みがつくられている。老朽化校舎をのこしたまま国や市教委の望むような教育を行う特定の学校には金をかける市教委の姿勢がある。

・ 授業日数を確保する「205日」問題に係わって、子どもにも、親にも無理を強いる春休みや夏休みの短縮が行われると同時に、統合後の下京中学校では7時授業が行われているという実態がだされた。

・ 市教委は、全ての子ども達を視野において予算の使い道を考えるという姿勢を持っておらず、特別な学校にのみ巨額の資金を出している。そのような方法で学校間の競争を仕組み、「特別な学校」「エリート進学校」をつくることで競争を激化させてきた。

・ 「格差」の中で子どもたちの教育に悩む父母の率直な意見を学校の中に取り入れ活かすことが求められること、子どもや学校の実態に目をやり、そこから政策を作りだす努力が求められている。


A「宇治市の小中一貫教育」について

・宇治市教委は小中一貫校(教育)を進める方向を打ち出したが、予算の不足や関係者の「学校選択など慎重に進めなければならない」という発言もあり、またカリキュラムの内容など細かい情報は地域には知らされていない。

・他の市では、教育的な観点もあって小中一貫校を作っていくことを展望している所もある。しかし、議論の様子から、子ども達の発達の課題を考えた上で小中一貫校について発言しているようには思えない。単にカリキュラム上のメリットがあるという程度の話になっている。

・ 6・3・3制のつなぎをどうするか、現状では6・3制が絶対であると思っていてもダメなのではないか。「連携」と「一貫」という視点から我々も提起していく必要があるのではないか。

・ 教育委員会のサイドで小中一貫校のことが口にされるが、その内実は住民に十分には知らされていない。しかし、我々も子どもの発達を考えながら、9年間の教育のあり方を考えていくことが重要である。


B「八幡市の『学校再編整備計画』・『学力向上』の問題点」について

・ 八幡独自の改革のようなフリをしながら次々に冊子が出てくるが、市教委の取り組み、政策プランは市教委が独自で考えているのか。どこかに「ヤラセ」ているのではないか。資料などを見ても、一市教委の域を出た大きな力があるように感じる。特定の研究者との関係があるのではないか。実際、そうした研究者の著書からの引用部分があると思われる。

・市教委としては八幡高校から国公立大学入学者を多数出したいという思いがあるようだ。よく似た取り組みを行っている市町からの情報を集め、プランを作っていると思われる。背景には行政なりの危機感があるのではないか。また、地域に子ども達をつなぎ止めておきたいという願望もある。そこから八幡高校との中高一貫校がでてくるのではないか。

・ 八幡の学力・生活指導上の課題は大きい。しかし、市教委の取り組みは子ども達の実態に合っていない。たとえば、学校で使わされている市販テストで評価すると、多くの子どもが◎になる。評価結果が正しいのか、つまり保護者は子どもの学力が本当についているのか心配し出している。

・ 市教委は、さまざまなビラやパンフレットを作成し、配布している。しかし、保護者の反応はあまり無いようだ。矢継ぎ早にさまざまな政策が配布物となって出されてくるが、それらがいかなる意味を持つのか保護者には理解をされていない。ビラやパンフレットを出せば説明責任が果たせていると考えている事が疑問である。


C「乙訓地域における『学校選択制』の現状」について

・ 選ばれるための特色をどうやって出すかということに関して、市全体の方針が強く各学校にかぶせられているので、結局学校の独自色が出したくても出せない。学校公開日の取り組みやインターネットのHPをみても似たりよったりだ。

・ しかし、市教委はいい学校があるというところを見せたいという思いがあるので、独自の学力テストを行ったりしている。スタンドプレーであり、パフォーマンス性が強い。

・ 保護者によっては、「荒れ」が学校選択の判断材料になっていることもある。逆に、いじめが原因で学校を変えるケースもある。

・ 小学校にはないが、中学校では保護者から選ばれるために校長がしゃかりきになっているところもある。そういうところはクラブの成績や修学旅行などを強調している。

・ 乙訓の場合、「教育改革」を強いる府教委や国に押され、また世論で話題になっているから例えば「学校選択」をやったほうがいい、といった程度の動機があるのではないか。子ども達のためになにをどうするのか、また父母や住民は何を求めているのか落ち着いた議論が必要だ。「改革病」に冒されるのではなく、子どもたちや学校のために何をなすべきなのか、そのために日々苦労している教職員と胸襟を開いて意見交換する度量の大きさが教育行政に求められている。
 「京都教育センター年報(19号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(19号)」冊子をごらんください。
2007年3月
京都教育センター
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