トップ 事務局 青年教師 生活指導

青年教師のための お助け「玉手箱」 4

「生活指導」実践「玉手箱」


表現することは生きる力   表現そのものが子どもの人格

               八幡市立八幡東小学校 内海 公子


(2008年1月10日)

 「先生。本当は私、すっごく悪い人なんです・・・・略・・・この際全部言っちゃうけど(先生は全部お見通しだと思う)実は・・・最初内海先生のことがすっごく嫌いでした。でも今は違います。信じてもらえるかどうかわからないけれど、本当に感謝しています。・・・他の先生は、ストレスがたまるばっかりだったのです。・・・略・・・」(2007・6月 5年A子)

 一昨年4月、始業式後の*年*組は、冷めた目で私を観察する女子とただ騒ぎ立てる男子、38名のクラスでした。親しげに声をかけてくれる子は空気の読めない子(KY)と言われていました。「だまれ!うるさい!ぼけ!」が中心メンバーの言葉で、私は毎日首にホイッスルをぶらさげて授業をしていました。毎日の日記や朝の会の歌や図工の絵にも「なんでせなあかんのや!嫌や!」ばかりでなかなか前に進みませんでした。先生なんて信じられない子どもたちが、そう簡単に心を開いてくれるはずがありません。

 私の心もだんだん暗くなる中で、初めて描いた絵が「おじぞうさん」でした。私への慰めのために取り組んだのですが、これが信じられないくらい子どもたちに受けたのです。形も色も単純ですが、のり絵の具を指につけて描くと生き生きとした作品が生まれました。無意識の中に子どもの願いが絵に込められたのでしょう。この頃から少しずつ子どもたちが変化し始めました。あんなに嫌っていた毎日の日記も定着してきました。私はせっせと赤ペンを走らせました。事実の羅列の中にも子どもの姿が見えてきました。日記を載せた通信「よせなべ」を心待ちにする子どもが増えてきました。子どもたちも私という人間がわかってきたのでしょう。夏は泥戦争で夢中になって遊び、サッカー大会優勝パーティは保護者を交えてしました。

 秋、紙粘土で自分の分身(顔)を作ることにしました。何時間もかけて、全て手作りの分身(顔)が出来上がったときの一人一人の表情は、一つのことをやり遂げた喜びで輝いていました。自分の再生産ができたのです。出来上がった自分と対面することで自分に対しての愛情がわいてきました。同時に友達に対する気持ちにも優しさがみられるようになり、いじわるやけんかも随分減りました。

 3月はこの一年の絵本を作りました。C子は「*年*組が変わった理由」という題で、いじめがあったクラスの様子と自分の心の変化を絵と文で表現しました。

 2008年から東小は八幡小と統合されます。その最後の年、私は念願の持ち上がりができました。東小での思い出をたくさん残そうと、体育館でお泊まりをしたり、東小の思い出の場所をたくさん描きました。私も子どもたちと一緒に校門の桜の木を描きました。秋の学習発表会と音の祭典に向けて、自分たちの姿を残そうと自分たちで歌を創りました。子どもたちが作詞・作曲した歌「今までのときを」を私は涙を流しながら指導しました。そんな私を38人の子どもたちがしっかり見つめてくれました。

 子どもの「今」をしっかりつかみながら、子どもの持つエネルギーを引き出し、人や自然や物に豊かに関われる力として伸ばすこと、特に中学年(発達の節目)のこの時期は思考をくぐって「〜する」ことを十分体験させることが大切だと思います。  様々な表現を学ばせることと芸術教育の力が大きいと痛感しています。友と心一つにして、声を声を重ねる喜び、自分の世界を自由に生き生き描いたり作ったりする喜び、全身で表現できる喜び、そしてそれらを仲間と共感できたら子どもはきっと変わると思います。表現そのものが子どもの人格であり、表現することは生きる力なのです。

 「・・・・略・・・私は、こんな生活にうんざりなんだ。この一年で変わったと思う。それは自分と向き合えたからいろいろなことに取り組めたんだと思う。この一年間は私にとって大切な大切なときだったと思う。」(2007年3月 D子)

 追伸、あと三ヶ月で私も子どもたちも東小を卒業します。

トップ 事務局 青年教師 生活指導