トップ 事務局 青年教師 生活指導

青年教師のための お助け「玉手箱」 4

「生活指導」実践「玉手箱」


負の感情や体験が出せる関係を−−少年事件にふれながら

春日井 敏之(立命館大学

(2007年11月10日)


奪われたいのちを悼むことから

 いのちに関わる少年事件が起こるたびに、少年の生育環境、発達課題、人間関係、社会的背景などについて論議がなされる。他方では、何事もなかったかのように日常生活が流れていく。こうした中で、私たちがまず大切にすべきことは何か。それは、犠牲者が身近な人であればあるほど、かけがえのないいのちが奪われたことを、自分の五感の全てに今までの経験を重ねて悼み、子どもたちと共有していくことではないか。

 また、加害少年について気になる点がある。それは、第一に、大人とのつながりの実感の乏しさと同世代からの深い疎外感を持っていること。第二に、よかれと思って親や教師がしてきた早くからの自立の勧めが、しばしば少年を追い詰め、孤立につながっていること。第三に、相手の気持ちが読み取れない、イメージできていないこと。第四に、受験・就職競争が激化する中で、様々な発達課題を持った子どもたちが追い詰められ、生き辛い状況が広がっていることである。


子育てと教育の原点を問い直す

 不登校やいじめ、荒れや少年事件など、思春期の子ども達が成長の過程で起こす様々なトラブルは、一つの危機と言える。 同時にそれは、関わり方次第で、成長のきっかけになっていく。子どものトラブルは、大人へのSOSであり、子どもが誰にどんなSOSを求めているのかを考えることから、子ども理解と具体的な取り組みが始まる。

 子どもの危機に際して、親や教師の姿勢で大切にしたい原点が三つある。それは、私たちは今まで何を大事にして生きてきたのかを確認していくことである。第一は、「いのちより大事なものはない」ということの再確認。第二は、「見返りを求めない愛」を注ぐこと。第三は、「どんな時もあなたの味方」という姿勢を伝え続けることである。

 つながりの実感はどこから  子どもたちは、どんな時に大人や友達と「確かにつながっている」と実感しているのであろうか。

 第一は、文句なく楽しいことを友達と一緒にしているときである。自分の身体と心を目いっぱい使い、汗をかきながら仲間と楽しく遊んでいる子どもの姿は、まさしく自己肯定感の塊ではないか。同時にこうした遊び体験には、みんなが楽しくなるために決めたルールがある。少年期から思春期にかけて、ぶつかり合いながら、何度失敗しても排除されたりすることなく、失敗付きの練習ができる集団を日常生活の中に作っていくことが、学校や家庭に求められている。

 第二は、負の感情や体験が出し合えたときである。子どもたちは、気遣いや抑圧された日常生活を重ねる中で、「悲しい、つらい、腹が立つ、不安、いらつく」といった負の感情や体験に蓋をしながら過ごしていることも多い。その結果、少年事件といった形で不幸な暴発をしてしまうことも起きてくる。むしろ、日常的に親や教師に悪態をつきながらSOSを出し、見捨てられずに関わってもらった子どもは、早期にいい出会い直しとつながりを体験している。

 その一方では、みんなの前では気遣いをしながら明るく元気に振舞い、辛いことは密かに「心の専門家」に聴いてもらい、また何事もなかったかのように日常生活に戻っていくような青年が増えてはいないか。誰にも相談できず、受け止めてもらえないときには、摂食障害やリストカットという形で、自分の身体を傷つけながら、必死にSOSを出している姿も見られる。

 そんな時に、負の感情や体験を表出し受け止めてもらうことで、他者は共存的他者となる。同時に、それまで翻弄されてきた感情や体験を相対化し、自分にとっての意味を問い直したり、安心して悩んだり、一区切りをつけることもできるようになるのではないか。

トップ 事務局 青年教師 生活指導