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青年教師のための お助け「玉手箱」 4

「生活指導」実践「玉手箱」


「終わりの会」は価値討論の場

谷田健治(京田辺市立大住小学校)



 十三年ぶりの三年生の担任です。活動的で元気いっぱいの子ども達ですから、毎日のようにもめごと、喧嘩などが起こります。私は、暴力は許しませんが、子ども同士のもめごとや喧嘩は、指導のチャンスと捉えています。もめごとを起こしている当事者だけで解決できるささいな問題もありますが、できるだけ当事者だけの問題にせず、クラスの子ども達にも考えさせ、解決の方向を探っていくようにしています。その意味で毎日の「終わりの会」を大切にしています。

 中間休みが終わって、一男が泣いて帰ってきました。授業が始まっても一男はうつむいたままで、教科書も出しません。理由を聞いても答えません。一男が泣いている理由をクラスの子に聞いても、誰もわからないということでした。

 四時間目が終わり、給食の時間になりました。一男はこの教室では食べたくない、学年ルームで一人で食べたいと言いました。一男が一人で食べるのはかわいそうだということで同じ班の子二人が一緒に食べました。そんな中で一男も落ち着きを取り戻して、何故、泣いたのかを班の子と私に話しました。

 中間休みに、男子数人で「中あて」をしていて、入れてと頼んだところ、「お前は関係ない。」と断られたということでした。

 「終わりの会」で、そのことを話し、その時の悲しかった自分の気持ちをみんなに話すように、班の子も、私も一男に言いました。「もう、ええねん。」と一男は乗り気ではありませんでしたが、説得し「終わりの会」で発言することになりました。

 一男の発言をもとに事実確認後、子ども達からいろんな意見が出ました。「遊びに入れてあげなかったのはあかんことや。」「一男も泣かんとはっきり気持ちを言えたらいいのにな。」「一緒に給食を食べてあげた班の人は優しいと思う。」「人数が合わなかったのだから入れない時もある。」「関係ないという言い方はひどいな。」等々。

 自分の気持ちをみんなに伝え、真剣に聞いてもらい一男の表情は明るくなりました。誰が良くて、誰が悪いと暴くのではなく、どういう行為、行動が正義なのかをみんなで確認していきました。

 私は、学級開きで「学校は失敗や間違いをしてもいいところ。その失敗や間違いから勉強していったらいい。安心して失敗していいよ。」と言っています。毎日の終わりの会は、その勉強の場です。自分達の生活を振り返り、何が正義で、どういう行為は許されないのかを明らかにする「価値討論の場」であると思います。三年生の子ども達ですから、教師の力を借りなければ十分に討論することは出来ませんが、毎日の積み重ねが、高学年になった時に自分達で問題を解決していく自治の力の基礎になると思っています。

○終わりの会プログラム
@嬉しかったこと、良かったこと
Aいやな思いをしたり悲しかったこと
B係からの連絡
C当番(日直)から
D先生の話
Eさよならコール

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