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青年教師のための お助け「玉手箱」 3

「教師と子ども」実践「玉手箱」


生徒に伝わらなかった言葉

          倉原 悠一(京都教育センター)


(2006年10月10日)


 もう二十五年ほど前の出来事になるだろうか。当時三十代の私にとって忘れられない一コマがある。その当時、担任をしていた高校での朝会で、いっこうに指導にのってこないある男子生徒に業を煮やして、「○○。今日こそ君に引導を渡すからな!」と怒鳴った。その場はそれで済んだのだが、放課後、職員室にその彼がやってきて、「先生。来ました」と言うのである。私は彼を呼んだ覚えがないのできょとんとしてると、彼は「先生。今朝何かを渡すと言うたやんか」と説明する。私は最初何を言っているのかわからなかったが、やがて「引導を渡す」と怒鳴ったことを思い出して、改めて彼に何も意味が伝わっていなかったことを思い知ったのである。その時以来、授業でも、生活指導の場面でも、生徒に概念を伝えるときは、言葉に気をつけ、出来る限り丁寧にしなければならないと肝に銘じた。

授業での場面

 私は化学を教えているのだが、授業では「具象から抽象へ」という理解の法則を大事にすることに心がけている。そのためまず小学校や中学での学習の確認をし、新しい概念の感性的な理解を深めさせる。その上に少しずつ概念を発展させた発問を重ね、抽象的な概念へと誘う。その時、授業が一定の緊張感のあるものであることが大事。こちらの発問に対して具象から抽象へと思考を発展させて、新しい世界を知る「そうか!」と言う喜びを実感して欲しいと願っている。

 ところが、今年になって悪戦していることがある。それは、高校一年生のかなりの層が、小学校二、三年生での算数分野でのつまずきを抱えていることである。分数の簡単な計算が出来ない。以前から「b/a=d/cのときcを分数で表せ」という問題が出来なくなって久しいが、いまは、例えば(2/10)の値がすぐ出てこない。多くの生徒が(1/5)としてから、筆算を始める。また、分数が「分子割る分母」なのか「分母割る分子」なのかがあやしい。だから(8/40)の値が(0・5)になってしまう。最初なぜこの値が出てくるのかつかめなかった。また、「分母、分子の移項」が扱えないことも計算を遅くしている。高校の授業では理解に一定の早さが求められる。算数分野でつまずいていた場合、授業中にここまで戻って教え直すには限界があり、見切り発車をせざるを得ない。でも高校化学の計算の大半は比例計算である。放っておくわけにも行かず、「あー。これも三割削減、ゆとり授業の現実か」とため息をついている。この現実に悩んでいる教科は理科だけではなく、家庭科や社会科でも直面している。こうなると高校でも早い時期に「百マス計算」的な計算の基礎トレーニングが必要になっているのかもしれない。
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