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青年教師のための お助け「玉手箱」 2

「「教科指導」実践「玉手箱」
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やっぱり学ばないとわからない

      京都橘大学文学部児童教育学科 生源寺孝浩


(2008年5月10日)



■昨日の自然科学概論の授業は「ものとその重さ」の二時間目、「体重計の上に、両足で立つのと片足で立つのと、親指で体重計を思い切り押してふんばるのと、どれが一番体重計のメモリは多くなるか」でした。ふんばるのが一番重くなると答えている学生もちらほらあります。

■昨年の四月から自然科学概論を教えています。受講者は百十人ほどですが、授業の一時間目に「物とその重さ」の理解度について予備調査をしました。「台秤でレンガの重さを量ります。レンガをタテに置くのとヨコに置くのとでは秤のメモリはどちらが多いでしょうか」から始まって、「木片が水に浮いたら重さはどうなるでしょう」や「アルコールが膨脹しする前と膨脹した後では重さはどうなるか」、また、「丸底フラスコに炭素(美術用木炭)の粉と酸素を入れ、風船でふたをします。バーナーの火にかざすと炭素に火がついて燃えました。燃える前と燃えた後とでは重さはどうなりますか」まで、十一問題を問うてみました。平均点は六・九九でした。「スチールウールが燃えた後は」軽くなるが四七・八%、重くなるが四七・八%で同数でした。「アルコールが膨脹すると重くなる」と答えた人が三四・八パーセントありました。やっぱり思ったとおり学生たちは被害者でした。

■日本の理科教育の中に「ものとその重さ」の学習がまともに位置づけられたことはいまだかつて一度もありません。つまり、日本政府の教育行政に携わる人たちは、自国の国民にまっとうな原子論的物質観=自然観を身につけさせようとはしてこなかったのです。膨脹という現象を、ただ単にモノの体積が増えることととらえることはできても、原子や分子の数には変わりはなく、体積が膨脹するのは原子や分子の間の隙間がふえたのだととらえることはできません。モノとその重さの学習をした後、図を書いて原子や分子の振る舞いを通して膨脹を考えたとき、学生諸君は、「なるほど」と言ってくれます。

■今度の指導要領の改訂で「物と重さ ア 物は、形が変わっても重さは変わらないこと」という内容が小学校三年に位置づけられました。これには二つの面から問題があるようです。  第一は、「ア 物は、形が変わっても重さは変わらないこと」だけでは「ものとその重さ」の本質は見えてきません。次期指導要領にある「ものの形と重さ」に加えて「ものの変化と重さ」についても取り扱わなければならないのです。つまり、「水に砂糖が溶けたら重さはどうなるか」であるとか「アルコールが膨脹したら」や「炭素と酸素が化合して二酸化炭素になったら」などの課題についても、系としては変化しておらず原子の数に変わりはないことを認識していく必要があるのです。  第二は、上で述べた「ものの変化と重さ」についての認識は、四年生の終わりから五年生にかけてでなければすべての子の認識にはなり得ません。

■それぞれの教科の本質にせまる学習内容を、そのことが認識され受け止められる力が付いてくる段階で学ばなければなりません。学んでなければどれだけ年を取っても、自然にそのことを理解できるようにはなりません。  学習指導要領が改訂されようとしています。丁寧な見直しを経て教育の論理でもって行われる自主編成が求められています。(二〇〇八・四・二九.)

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