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青年教師のための お助け「玉手箱」 2

「「教科指導」実践「玉手箱」
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「戦争の違法化」の意義をどう学ぶか


      大八木賢治(京都市立勧修中学校・子どもと教科書京都ネット21)


(2007年4月10日)


 十五年戦争についてこれまでもいろいろな実践があるが、やはり日本史中心の発想が強い。八〇年代以降「戦争の違法化」など世界史的展開の意義を強調しているが、必ずしも実践的には定着していない。

 そこで「第一次世界大戦とその後の世界」の学習を日本との関連で把握することを重視した。第一次世界大戦の学習で、映画「西部戦線異常なし」を取り上げ、「祖国」の名の下に青年が戦争に駆り立てられていく場面や壮絶な陣地戦を見て、生徒たちから「これ実際の戦争?」という質問が出るほど、戦争の恐怖と戦争で死んでいく姿に驚きの声を隠せない。この戦争の経験が国際連盟や不戦条約、ワシントン体制下の軍縮という形で「戦争の違法化」を生み出したことを学ぶ。

 しかし生徒にとって「戦争が違法」という意味が十分理解できないところがある。その理由は戦争とは国家間の問題で、戦争は「国家の権利(主権)」であるという、国家中心の戦争のとらえ方に陥らされているからである。しかし実は人民なくして戦争はできない。人民(国民)は「祖国のため」という美名で、国家に戦争に動員されるのである。そして最終的に一番大きな被害を被ってきたのも人民(国民)なのである。この矛盾に始めて気づいたのがロシア革命やドイツ革命であり、こうした革命を背景に高まった人権意識が女性参政権や労働者の権利などの社会権や、植民地支配に抵抗する民族自決権を生み出したのである。

 「戦争の違法化」を単に国家間の主権の調整としてとらえ、第二次世界大戦を阻止できなかったことで大きな意味がなかったという意見もあるが、「戦争の違法化」は「人民(国民)の人権と主権者意識」の向上との関連でとらえることなくしてその意味はとらえられない。なぜなら人民が主権者としての意識を高めることなくして、戦争をする「国家」の手を実際にしばることはできないからである。

 「戦争違法化」の学習は「満州事変」や日中戦争(「日華事変」)に対する批判を明快にさせる。しかも戦争を肯定する世論の動きや「戦争熱」への異常さに驚くのである。

 リットン調査団の報告や国際連盟の決議は日本の中国侵略に対する「戦争の違法化」を確認した国際社会からのまともな批判であることがわかる。結果として第二次世界大戦が起こるが、この戦争がそれまでのたんなる帝国主義戦争ではなく、「民主主義とファシズムの戦争」という新しい性格を形成する根拠を形成できたのも、「戦争違法化」という国際社会の形成という前提があるからである。

 日本の場合、「戦争違法化」という国際社会の形成の意義をとらえきれなかったといえる。それは日清日露戦争以後のアジアへの帝国主義的な侵略で形成されてきた日本のアジアに対する支配者意識が背景にある。

 このように「戦争違法化」の意義を十五年戦争学習と戦後の歴史に位置付けていけば、憲法第9条は国際社会の発展のなかで、日本の戦争責任の取り方の一つであることが学習の発展の中で見えてくるはずである。

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