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青年教師のための お助け「玉手箱」 2

「「教科指導」実践「玉手箱」


通算1万号をこえた日刊「教科通信」
−『SATOBINのちょっとはずか史』−

      京都府立乙訓高校 佐藤 敏正


(2007年1月10日)


 「SATOBINのちょっとはずか史」は1995年4月、前任校の桂高校で発行し始めました。2000年4月現任校の乙訓高校転勤以降も同名で継続発行し続けることにしました。2007年1月7日付けのもので第12巻第17集通算bP1,023までになりました。12巻というのは創刊12年目、第17集というのは2006年度の分が17冊目になったというこどです。冊子は約80から100号分で綴じ込むことにしています。

 桂高校の後半から乙訓高校転勤以降約10年間は休みなく毎日発行してきました。 「ちょっとはずか史」は一言でいえば、私が担当してきた日本史・地理・政治経済・倫理の「教科通信」のプリント(B5サイズ)を冊子にしたもの、と言えます。桂高校で発行した当初は単発ものの授業補足用プリントのでしたが、量が多くなり、校内で大量に「生産される」裏白の紙を再利用して冊子にして配布するようになったのが今日の原型です。

 現任校に転勤してからはB5サイズからA5サイズに変更し、自家製のA5サイズ専用版下用紙に直に手書きで書いていきます。これは気づいた時にその場で書き留めることがコツです。まとまったものを書く場合はパソコンを使います。

 これまで私が書いてきたこと、載せてきたことを分類すると以下のようになります。

 現任校での第六巻以降は、@授業の感想や要望・質問・「ちょっとはずか史」そのものに対する感想や意見、A担当する分掌(進路指導部)の関係で始めた放課後補習講座「乙訓小論文講座」に関係する新聞記事の紹介やマスコミ報道への問題提起、B筆者の日本史・地理などの教科に関する私の「研究論文」C筆者の日常や過去の出来事をエッセイ風に紹介する、などに力点を置いて書いています。

 @はA5サイズをさらに半分にした専用の用紙を用意しておき、授業などで時々書いてもらい、回収してそのまま転載します。  なるべく本音に近いものを書いてもらうように促します。書いてもらう場合、一応テーマを提示し表しますが基本的に内容自由で書いてもらいます。事実でないこと、ひとを傷つけないこと以外は自由ということを明示します。書いてもらったものを転載する場合は、どんなに短いものでも必ずコメントを書き込みます。内容が「重い」ものの場合は、転載の可否を本人に問うことにします。またコメントでは言い足りない場合は本人への「回答」を別に書いて直接渡すこともと時としてあります。

 「感想」他を書いてくれた生徒は私のコメントに興味があって自分のものが載ったものはよく読んでくれます。同時に、ふだんは仲良く付き合っている隣人たちの感想・意見に触れて、「そんなことを考えていたのか」と感じているようです。  これらは、生徒間および生徒と私の「キャッチボール」です。授業やふだんの学校生活だけでは触れあえないチャンネルでの接触です。

 最近の生徒は討論らしいことができなくなり、自分の考え・主張を持てなくなっています。また仲良くしているように見えても「周囲に合わせているだけ」で本音の付き合いになっているかどうか怪しいと思う時があります。その意味で「ちょっとはずか史」は生徒間の貴重な交流の「ひろば」になっていると思います。

 また、卒業生が学校に顔を出す時があります。出会えた場合は先ほどの用紙に在校生へのメッセージを書いてもらいます(シリーズ『卒業生来訪』というコーナー。連載進行中五六回)。これも好評です。OBとしての失敗談や後悔は下の学年の生徒にとっての「教訓」として読まれています。卒業生は「まだ続いているのか?」と言いながら書いてくれます。卒業生へのお土産に何冊か持ち帰っでもらいます。前任校の卒業生も時々登場します(なお現役・OBとも全員匿名です)。

 Aは日本史・地理などの授業にも資料として使用できます。また、時事問題の学習にも使えます。また小論文試験の予想対策としでも有効だったという受験生の声は何度か耳にしました。イラクでの高遠さん他の日本人人質事件での「自己責任論」や、最近の「ワーキングプア」「格差社会」などでの資料提供は好評でした。

 Bは、私自身の研究の報告であると同時に、生徒にはいわゆる「固い」文章や表現に少しでも接して欲しいことを意図しています。  山林の中で良木を探索しえ伐採し、椀や盆を轆轤(ろくろ)を使って製造する「木地師(轆轤師)」の文化と歴史を現地調査を踏まえて書いた「草刈義勇軍に行く」(100余回)、ティモールの独立までの動向を連載した「インドネシアウォッチング」(200余回)、最近では「安藤昌益のこと〜不耕貪食から万人直耕へ」(現在進行中35回)、「マグロを買い漁る国」(同17回)などです。また、旅行その他で行く先々の地理的(?)「紀行文「冒険少年B ○○を行く」(同424回)などもあります。

 Cでは、亡父の生き方や子ども時分の回想を述べる「土に生きる」(同485回)日常の出来事のエッセイ風「いつどこでそんなに」(同453回)、音楽と青春や社会を述べる「長くて曲がりくねった道」(同228回)、映画の話「映画三昧」(同65回)、現任校の校舎改築と40余年の歴史を述べる「乙高的惜春」(同四七回)などがあります。

 生徒が持ち帰った冊子を保護者が読んでくれているということも耳にします。

 以上のように継続ができているのは、私自身が負担にならない程度にしながら、前述した「キャッチボール」を楽しむことに徹しているからだと思います。「紙」で「生徒が変わる」などというだいそれたことは微塵も思っていません。生徒たちに対してこうして欲しいという私の「要求」は書きますが、それは結実することよりも霧散していくことのほうが当然なのだと思えば気が楽です。「紙」に過大な期待はしません。ただ、長い間継続し、考えるきっかけを提供していればずっとずっと先のいつかどこかで「なるほど」とか「そうだったのか」と思ってくれれば何かしら意味があるのかも知れない…。そう思います。軽く、長く書き続ける、これがいつまで続くかわかりませんが、私の密かなライフワークです。

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