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青年教師のための お助け「玉手箱」 5

「教育について学びたい」 理論編「玉手箱」
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教員免許更新講習に参加して
   「これで不合格なら、たまったものではない」

          久田 晴生(府立朱雀高校定時制

(2009年9月10日)



履修認定試験に異議あり

 私は八月、某大学で教員免許更新講習に四日間参加した。その際、大きな問題と感じたことを報告させていただきたい。それは四日目のことである。講習の内容は最先端の研究を紹介するもので、全部で六コマ用意されていた。いずれも興味深いものであり、新たな視点を提供してくれるものであった。その内容について疑義を挟むものではない。問題と感じたのは最後に行われた「履修認定試験」(以下「試験」とする)についてである。

 その「試験」は、各講義一時間につき五問、全部で三十問、各設問とも五つ(または三つ)の選択肢から一つ正解を選ぶというものであった。設問内容は講義で触れられたことであるが、いずれも知識を記憶しているかどうかを問う問題であった。そしてその多くが私自身この講義で初めて知ったことで、例えば、いくつかのアルファベットからなる略称を問う ものなどは、聞いただけではとても記憶できるものではなかった。

 私自身それまで同校で三回講習を受け、「試験」はいずれも、講義の内容を授業に生かすにはどうしたらいいかなど、日常の学校教育との関連を論述するものであった。他大学でのことや昨年の試行のことを職場で交流しても同様であった。だから今回もてっきりそのような「試験」だと考えていた。そこにこの問題が配られたのである。呆然となった。それは私だけではなかったことが教室の雰囲気や事後の会話で伺えた。


講習で学ぶべきことは知識の暗記か

 要項には「択一式または論述式の筆記試験を行います。授業内容の理解度に基づき採点し、一〇〇点満点の六〇点以上を合格として履修認定します」とある。これによれば、上記の設問は何ら問題ない。だが、現場の教員からしたら「この問題はないだろう」というのが率直な意見である。

 第一に、この講習で最も学ぶべきことはこれらの知識を暗記することだったのか、という問題である。前述のように、私が最も学んだのはこれらの研究が新たな視点を切り開いてくれたことであった。講師の先生方も、おそらくそのことを最も伝えたかったのではないか。しかし今回の「試験」はそれを問うものではなかったし、受講者は学んだことを表現することもできなかった。

 二つ目は、これらの知識が現場教員として記憶しなければならない事項なのか、という問題である。確かに研究者にとってはその必要性があるかもしれない。しかし現場の教員にとっては初めて聞く知識であり、この知識をどのようにしたら授業に生かせるのかイメージできなかったし、ましてや、記憶しておかねばならないとは到底思えなかった。

 三つ目は、もしどうしても知識を問う問題を出すというのなら、そのことを予告すべきである、ということである。前述のように、このような「試験」が出されるとは想像もしていなかった。だからこそ呆然となったのである。ついで言うと、講義で使われたパワーポイントは画面も配布された資料も文字が小さく、読めないものもあり、知識として記憶する 前提が保障されているとは言い難かった。

 四つ目は、知識を問う問題を出すというのなら、その学習時間を保障すべきである、ということである。六時間もの講義があって、その復習の時間もないまま新しい知識の記憶を問われて、「六〇%以上の正解」は酷である。ましてや記憶力急降下世代である。大学の先生からしたら「これなら六〇点は行けるだろう」と予想されたかもしれないが、実態は違うのである。

 そして最後に、この「試験」で「六十点未満で不合格」ではたまったものではない、ということである。すべての受講者が六時間真剣に受講し、勿論遅刻も早退も欠席もしていない。私が出席した四日間いずれもそうだった。みみっちい話だが、講習費六千円、講習と往復にかかった十時間と交通費、さらに申込みにかかった費用と時間、それらはいったい何のためだったのか。「また来年受けなあかん」となったら、落ち込みは激しい。


大学と現場の意思疎通を

 私は講習終了後ただちに手を上げ、以上のことを発言させてもらった。担当者の方から、それを誠実に受け止め前向きの回答をいただいたことは幸いであった。

 大学の先生方に非があると言っているわけではない。そもそも免許更新制度自体に問題がある。大学としても講習をやむを得ず引き受けたという面もあるだろう。そんな中で精一杯やっていただいていることも伝わってきた。大学としても試行錯誤しているというのが実情なのだと思う。ならば、私と同じ様な問題に直面した人や疑義を感じた人はきっと少なくないと思う。

 だとすると、大学と現場の意思疎通を早急に図る必要があろう。特に、それぞれの代表が該当した者全員に問題点などを聞き出し、双方が同じテーブルについて真剣に検討・改善することが絶対に必要だと思う。

 最後に、皮肉に聞こえたら恐縮だが、今回のことを通して、「では私自身、生徒にとって意味のある授業やテストをこれまでやってきたのだろうか」と考えてしまった。教える−学ぶという営みを、もっと真摯に考える必要があると改めて思った。

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