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青年教師のための お助け「玉手箱」 5

「教育について学びたい」 理論編「玉手箱」
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「キャリア教育」への疑問

        築山 崇(京都教育センター研究委員長)

(2009年7月10日)



納得のいく進路を求めて

 ゼミの卒業生の「その後」は、現代を生きる青年が納得のいく生きかたを求める探索の歩みであり、生徒指導・進路指導を研究テーマのひとつとする私にとって、貴重なテキストでもある。この間、何名かが転職を果たしている。高齢者施設から社会福祉協議会へ、銀行から自治体行政へ、飲食店から高齢者介護の世界へ。この三つの事例は、とにかく就職≠フ世界から、大学で学んだこと、専門性を活かしたい、あるいは人とかかわり人を助ける仕事につきたいというそれぞれの願いを実現したケースである。

 私のゼミは、社会教育・生涯学習分野の専攻であり、この間、身近な地域における住民の地域福祉やまちづくり活動の実際に触れる活動を軸にしている。毎年夏の恒例行事となった長野県松本市訪問(調査・研修)では、地区や町内会の公民館を拠点に、安心して住み続けられる地域づくりに元気に取りくむ多くの住民と出会う。その人たちの暖かくも強い思いは、自分に自信がもてず、将来に漠然とした不安をいだいている青年たちに、人間に対する信頼感を育ててくれている。

 転職によって納得がいく仕事に就くためには、自分に対する信頼と粘り強さが必要であるが、身近な地域で地道な努力を続ける住民の姿が彼らを力づけてくれている。不確かな社会の中に息づく信頼できる存在に出会っていくことが、本当の意味で人間を育てるのだと思う。


キャリア教育への違和感

 昨今、生徒指導・進路指導にかかわって、キャリア発達、キャリア教育という視点・考え方が強調されている。文科省の調査協力者会議の報告書(二〇〇四年一月)によれば、「キャリア」とは、「個々人が生涯にわたって遂行する様々な立場や役割の連鎖及びその過程における自己と働くことの関係付けや価値付けの累積」とされ、その「キャリア」が、「子どもたちの発達段階やその発達課題の達成と深くかかわりながら段階を追って発達していくこと」が「キャリア発達」とされる。

 「立場や役割の連鎖」「自己と働くことの関係付けや価値付けの累積」という定義には、違和感がつきまとう。そして、「生徒一人ひとりのキャリア発達を支援し、それぞれにふさわしいキャリアを形成していくために必要な意欲態度や能力を育てる教育」としてのキャリア教育という定義も、私にはどうもしっくりこない。なぜだろうか。

 私にイメージでは、子どもたちの発達は、その内的世界の構造の質的変化である。キャリアという言葉は、日常語としては、経験の蓄積、その結果形成された能力のイメージが強いからかもしれない。教育用語としてのキャリア意味は、そうではないのであるが、やはり、キャリアが発達するのではなく、子どもたち自身がそのキャリアを変容させる過程で発達していくのであって、あくまでも発達の主体は子ども自身ではないのか。「連鎖」「累積」という概念は、子ども自身を語っていないように思えてしょうがない。


適応ではなく、変革・創造の営みに学ぶ

 すでにキャリア教育は、職業体験やインターンシップ、ボランティア活動、社会人・職業人講話などの様々な体験活動の奨励・実施として具体化され広がりつつある。「生徒の適性と進路や職業・職種との適合」ではなく、「時代の変化に力強くかつ柔軟に」適応していけるようにする指導が重要であると先の報告書はいうが、はじめに紹介した学生たちの進路開拓の力を育てたのは、適応というテキストではなく、社会の変革・創造に向う生活者の姿ではないだろうか。働くことと学ぶことを結びつけていくことに異議はないだけに、キャリア教育の行方が気になる。

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