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青年教師のための お助け「玉手箱」 5

「教育について学びたい」 理論編「玉手箱」
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「子どもの貧困」を解決できる社会をいまこそ
     ――総評の仕事から皆さんとともに

        京都地方労働組合総評議会 事務局長 梶川 憲

(2009年6月10日)



 京教組書記長を終え、四月から専従で京都総評事務局長になりましたが、年度越しで関わった課題が四月二九日、フォーラム「子どもの貧困」の開催でした。

 ちょうど一年前、京都社保協の方から「貧困問題と子ども」について、子どもにかかわっている皆さんと取り組めないかと話があったとき、「待ってました」と話をしました。しかし、まだまだ貧困問題は、その実態も本質も不明確なままでした。特殊な経済状況の課題との受け止めも少なくありませんでした。とりあえず、子どもにかかわって相談活動や福祉分野、医療分野で活動する者が集まってみようと手探りで始めた懇談会は、現実問題として広がっている「貧困の中の子ども達」の姿を目の前に浮き彫りにしました。日本がすでに貧困大国になっていること、セーフティネットも十分でない下で、子ども達が、経済的にも、また、心の問題としても、展望を失っていく姿に、その深刻さを見ました。

 〇八年夏の全国教研の折に、京都独自企画として、「シンポジウム貧困の中の子どもたち」に取り組みました。

 児童相談所やケースワーカー、生健会で生活保護を受けながら子育てをした父母の経験などを出し合い、広がる貧困のもとでの子どもの姿を浮き彫りにするという初期の目的は果たしたものの、何をするのか、どうすれば良いのか大きな宿題でした。

 今回のフォーラムのテーマは、「子どもの貧困」です。貧困の中の子どもの実態をさぐる前回の目的から発展させ、以下のように、その解決策を論議することができました。

 子どもの貧困は、以下のような状況と本質を持っていると思います。@ワーキングプア、経済・雇用危機とつくられた貧困大国・日本のもとで、どこにでもある状況であること、A親の必死の努力と子どもの言い出せない思いのなかで見えにくくなっていること、B今日・明日の問題にとどまらず、子ども達に大人不信やあきらめがつきまとい、結果、その子どもが社会人になったときに、貧困を連鎖させる側になってしまうことです。

 しかし、同時に、貧困問題解決の共同のカギが子どもの貧困にあるという確信を持ち始めています。子どもの無保険問題も「子どもに罪はない」を合言葉に(私は親にも罪はない、政治に罪があると思いますが…)、改善に踏み出したことを見ても、子どもの問題は広い共同を生み出す可能性を持っています。

 今回のフォーラムでも、公的機関からもマスコミからも協力できないかとの申し出があります。そして、この問題の解決のためには、二つの課題があると考えます。第一に、「親の支援」「世帯への援助」という家庭支援策が現在行われている施策ですが、子どもを主体とする支援施策へ転換することです。「直接子どもに対して、どんな家庭・地域でも、等しく、無条件に、そして直接、福祉・教育・医療=育ちと学びといのちは、無料とする」ことが施策転換の勘所だと思います。第二に、経済的に貧困状態の下でも、人間に対する連帯感や信頼を手にした子どもたちは、決してあきらめず、貧困状態と向き合って頑張っていきます。それが子どもたちの可能性です。つまり、「自己責任」の束縛から解き放たれた「連帯・育ち合いの場」が子どもたちにも、親にも必要であることです。

 いま、経済・雇用危機で、子どもの貧困が社会問題化しました。子どもの貧困が社会転換のカギを握っているという意識で、チャンスをものにしていきたいと思います。フォーラム参加者の感想は言います。「私達にもできることがある。地域からこんなネットワークをつくりたい」。いま、深刻な情勢のもとで、新しい共同を子どもたちが苦しみの中から呼びかけてくれている、そんな思いで、子どもの貧困問題を社会問題として広く問い直すために、新しい共同へ、頑張っていきたいと思っています。

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