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青年教師のための お助け「玉手箱」 5

「教育について学びたい」 理論編「玉手箱」
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改めて教育の意味を考える-卒業生の姿を通して-

        京都府立高等学校教職員組合執行委員長 原田 久

(2009年5月10日)



 今年の四月、「あなたは現場向きやと思うけど」という妻の言葉に少し動揺しながら、私は府立高教組の専従になった。

 最後の勤務校は奇しくも新任で着任した須知高校で、親も教えた生徒たちに見送られ、思い出深い学校を後にした。今回は、この須知で三年間担任した食品科学科の生徒たちとのことを書いてみたい。

 食品科学科は京都府下全域から受験できるため、四十人の生徒たちは北は綾部中学校、南は山科の大宅中学校からやって来た。彼らとの三年間がどのようなものだったのかを想像してもらうために、 京都新聞に投稿した一文を紹介したい。

 三月一日、教え子が巣立っていった。振り返ると濃密な三年間だった。「このクラスだ大嫌いやった。学校も辞めたいと思った。でも、今は大好き。今までは 言いたいことも言わずに、(そのため) ケンカもなかった。でも、このクラスで はケンカが毎日のように起こった。おかげで自分も変われた。」 「みんなのおかげで今の自分がある。いろんなことを乗り越えてがんばってこれた。」 (略) 「三年間で二回本気で学校辞めようと考えた。 けど、心配してくれた先生と仲間たち。感謝。辞めなくてよかったって、率直にそう思える。」「高校生活いろいろあった。本気でムカついたり、傷ついたりもした。けど、そんなこと乗り越えてきた。 いろいろあったクラスやから『いいク ラスやったなあ』って心から思える。」 「三の一のみんな、私はみんなの担任で本当に良かったよ。卒業おめで とう。

 この時から早くも四年間が過ぎ去った。私は担任の時に『ほっとステーション』というクラス新聞を発行してい たが、今も卒業生版『ほっとステーシ ョン』を不定期に発行している。卒業生たちはとても楽しみにしてくれていて、しばらく出ないと、「先生、『ほっとステーション』まだか?さぼっとるんちゃうか」と叱ってくれる。記事を書くためには卒業生に電話をしたり、時には出会う。すると、驚くような卒業生たちの近況が見えてくることもある。

 たとえば、就職した卒業生たちの現実である。 「先生、俺もうアカン。辞める」「先生、今から店を出て、家に帰るところや(午前○時三十分の電話)」 「もうやっとれんわ。店終ってから掃除して、それからミーティング。ミーティング終わるの、夜十一時やで」、電話の向,こうで彼らは必死に叫んでいた。

 就職をした十六人の内十人が五ヶ月以内に職場を去った。その中には、離職後日雇い派遣の仕事に就いたものの、怪我をし、補償もされないまま、やがて仕事が来なくなり、引きこもり一歩手前まで追い込まれた場合もあった。 こんな話が舞い込むと、詳しく聴くために出かける。話していると、学校時代にもっとこんな力や知識を培う必要 があったと反省することも多いし、なによりも卒業生たちがどんな現実に出 くわして、苦悶しているかを進学した生徒も含め、私たち教職に関わる者がもっともっとつかむことの大切さを思い知らされる。

 最近はうれしい話がよく舞い込む。 「先生、今度結婚するし、披露宴jに来てな」、「S子、もうすぐお母ちゃんになるよ」、「先生、今度沖縄に住むことになった」、こんな話がやってくると早速カメラを持って出かけていく。話を聴いていると、ついこの間まで天真爛漫な高校生だった彼らが四年の年月の中でいろんな出会いを持ち、自分の人生を選び取っていこうとしている姿に出くわす。そんな時、「ああっ、人間ってこんな風に自分の人生を歩んでいくんだなあ」と思う。そして、教育とい う営みがその中でどのような意味を持ったのかを考えさせられる。

 卒業生版『ほっとステーション』は これからもどんな物語を載せながら、卒業生たちの間を行きかうのか、ちょっぴり不安でもあり、楽しみでもある。

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