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青年教師のための お助け「玉手箱」 5

「教育について学びたい」 理論編「玉手箱」
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今こそ、憲法を教育に生かすために意識的なとりくみを
              三上 悟(京都退職教職員の会会長)

(2008年10月10日)



 退職して十三年半の私が、「今更何をか言わんや」ですが、最近思っていることを述べたいと思います。二〇〇六年十二月に教育基本法が改悪され、翌年五月には、憲法そのものの改悪を狙う「国民投票法」が強行されるという流れの中で、今こそ意識的に「憲法を教育に生かす」とりくみが必要だと思っていました。

 そんな中で、九月八日〜九日に新潟市で開かれた日本高齢者大会に参加しました。その分科会の中で「軍隊をもたない国・コスタリカでは、幼稚園のときから『争いは、話し合いで解決するもの』との指導がされている」との発言があり、ハッとさせられました。帰ってから、早乙女勝元さん編集のビデオ「軍隊をもたない国・コスタリカ」を改めて観ました。  さて、憲法を教育に生かすことについて、どうすることなのか考えてみました。そこで、先輩から言われた「原点に返って考える」を思い出しました。日本国憲法の三原則は、@国民主権、A平和主義、B基本的人権の尊重です。

 二十二年教育基本法第一条「教育の目的」には、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行なわれなければならない。」(-―部分は、削除されました。)と記されていました。

 私は、「自分の頭でかんがえ、自分の判断に基づいて自己を表現し、みんなの考えとつき合わせながら結論を得る」という自主性と柔軟性をもった人間になってほしいと思ってきました。また、ともすれば騙されやすい世の中にあって、真理を愛し、真理を探究する力を育てるために、何をどうすればいいのかを、教科指導や他の分野で意識的に取り組むことが重要だと考えてきました。

 今から四十五年も前のことです。八木中学校で担任した喧嘩をよくする野球部所属の生徒H君、彼は在日朝鮮人の子どもでした。喧嘩をやめさせることより先に、彼のことをよく理解しようと考えました。当時は、日本赤十字社と朝鮮民主主義人民共和国赤十字社とで締結された「在日朝鮮人の帰還協定(カリカッタ協定)による帰還事業が始まっていた頃でした。  

三上―「君の父さんと母さんは、夫婦喧嘩することあるか?」  
H―「あるよ」  
三上―「喧嘩の種はなんや?」  
H―「わからん」  
三上―「何でわからんの?」  
H―普通の会話は、日本語やけど、喧嘩のときは朝鮮語やし、何言ってるのかわからん」  
三上―「ところで君は、将来朝鮮へ帰りたいと思っているの?」
 しばらく考えて---H―「帰りたいと思っています。」  
三上―「そうか。父さん、母さんの喧嘩の種も分かるし、将来朝鮮へ帰っても必要やから、朝鮮語の勉強したらどうやろ。京都にある『朝鮮中高級学校』へ行ったらどうえ。それからもう一つ、君はよく喧嘩するけど、その理由はいちいち聞かないけど、帰還するとき、『よく喧嘩する子やった』と思われながら別れるのと、仲良くして、良い友達として別れるのと、どっちがいいか考えような。もし君が、自分の気持ちをクラスのみんなに伝えたいなら、毎日出している『学級通信』に載せて、先生からも補足したいので、原稿を書こうと思ったら書いてな」

 ---二〜三日後、原稿が届きました。「自分は将来朝鮮へ帰ろうと思う」と、自分の気持ちを綴ってくれたのでした。さっそく学級通信に載せて、私からも補足し、「朝鮮へ帰るまでいい友達でいたい」との気持ちを伝えました。暫くして帰還事業が中止になったため帰還は実現しませんでしたが、今となればその方がよかったのかもしれません。その後喧嘩はしていません。

 文科省が削除した部分について、具体的な内容で教材化することが必要だと、心がけた毎日でした。

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