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青年教師のための お助け「玉手箱」 5

「教育について学びたい」 理論編「玉手箱」
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実質的に未来に希望を抱いた「教育のつどい」
              京都教育センター代表 野中 一也

(2008年9月10日)



 京都で8月21日から24日まで「教育のつどい2008」が開催されました。現地実行委員会代表の一人として全日程に参加しました。右翼からの妨害をはねのけ集会成功のために尽力された皆さんに頭が下がる思いです。あらためて京都の民主勢力の底力を感じ何度か感動しました。そして「つどい」では全国各地でとりくまれている実践報告を聞く機会を多くいただきました。

 まず第一の感想は、子どものことと子どもをめぐる背景を語り合って、そこに“希望”を見出し元気をもらってまた自分の地域に帰っていったように思いました。すべてのものが市場原理でしか評価されない氷のような冷たい施策が押しつけられ、人間としてのつながりがバラバラに切り裂かれて孤立感を深めている現状があります。その本質は新自由主義といわれるものですが、「つどい」に集まって語り合う中でその本質が水面上に浮かび上がってよく見えるようになりました。

 多くの実践報告が語られましたが、その典型的なものをあげてみましょう。「教育改革」の分科会での大阪からの報告です。橋下知事は「子どもの心が明るくなる大阪」「教育日本一」をつくると言ってマスコミをフルに使って当選しました。しかし知事に当選するや否や劇的な「豹変」をし、夕張市のような赤字自治体にならないようにするといいだし、教育・福祉を含む経費節減を強行しだしました。ウソを平気で公言するその狙いは、財界の利益追求である道州制の実現をめざすものであることが明確になってきました。しかし、最初は「かなわんわ」という愚痴が共同のものとなり共感の輪となってひろがって行き、連合日教組とも共同行動がとれるようになりました。まだ先が具体的には見えませんが、明らかに“希望“が見えてきたように思います。共通の願いが共感の輪となり、民主的な力となって広がっていっています。

 次に、個人的なことなのですが、私自身の世界観が大きく広がったように思います。性教育バッシングがあれば守らなければならないと思い、防衛要員として「両性の平等」の分科会に参加しました。その不安は幸いにも杞憂に終わりました。むしろ大いに勉強させてもらいました。人間は男性・女性の「両性」だけではなく「多様な性」で成り立っており、それが根源的な人間存在であるということです。人間とは何か、ということを原理的に追っかけていく課題を背負いました。

 また、教育フォーラム「ネット・ケータイと子どもの世界」では、小・中・高の若者を中心としてネット世界の問題が語り合われました。否定的な部分だけではなく、肯定的部分を含んで考えていかねばならないと確認されました。正に弁証法的思考が要請されているように思いました。パネラーの中西新太郎さんは、「文化はバーチャルである」といっていましたが、考えさせられる提起と受け止めました。私は、世界観として、現実・地域を生活土台として理想を内包しながら「超越的世界」を一人ひとりがもつことが極めて重要であると思っています。

 個人的にも課題を背負って前向きに進んでいきたいと思っています。「教育のつどい」のよびかけの基調は、子どものことを語り、平和の文化・社会・世界を展望することでした。「つどい」では、世界に誇れる日本憲法、とりわけ九条の意義が深められていったように思います。やがて九条が日本の“伝統”になっていくように努力したいとあらためて思いました。

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