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青年教師のための お助け「玉手箱」 5

「教育について学びたい」 理論編「玉手箱」
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「人権教育」のあり方について思う
                国民融合・全国会議事務局長  大同 啓五

(2008年7月10日)



 このほど文部科学省から「人権教育の指導方法等の在り方についてー第三次とりまとめ」が、公けにされたということです。(〇八年二月)

 今後「人権教育」の推進が、ことさらに強調されることと思われます。そこで日ごろ思っていることを若干述べてみることにします。

 @「人権学習」の内容が、実際には差別意識解消のための学習になっていないだろうか。

 九六年の地対協「意見具申」も、つぎのように述べています。「今後、差別意識の解消を図るに当たっては、これまでの同和教育・啓発の中で積み上げられてきた成果とこれまでの手法への評価を踏まえ、人権教育・啓発として発展的に再構築すべき∞同和問題を人権問題の重要な柱として捉え=vと。つまり、「人権教育」の課題を差別意識解消の問題としてとらえ、これまでの同和教育・啓発を無批判に「人権学習」の手本のように扱っています。

 しかし人権にかかわる問題をとりあげるにあたっては、基本的人権がすべての等しく保障されなくてはならないことを明確におさえるとともに、個々の問題をとりあげる場合、単に差別・被差別の関係としてとらえるのではなく、それぞれの問題の本質、問題解決に向けての現到達段階、解決に当たっての当面の課題などが明確にされなくてはなりません。

 Aこの折り、人権について学ぶ子どもたちがそれぞれに、自分の考えを自由に述べ、友達との意見交換を通じて、自らの人権についての認識、自覚がつちかわれていくように配慮され、「人権」の詰め込み教育にならないよう留意されなくてはならないと思います。

 実際に「人権教育」がひとごとの「人権学習」に終わつていて、それぞれの子どもを人権の主体として尊重する観点、教育実践が弱くはないだろうか。人権についての理解、認識を育てていくことと、子どもを人権の主体として尊重していくこととが統一して追求されなくてはならないと思います。

 Bさらに、子どもの学習と発達する権利を保障していくこと自体が、人権の保障であるという認識が弱くはないだろうか。

 今日の学校教育が、能力主義と管理主義の強化という政府の教育政策によって、本来の基礎学力をつちかい、民主的な人格を育てる場からかけはなれ、詰め込みと過度の競争の場、子どもの人格を認めようとしない管理の場に変質させられてきています。人権尊重というならこういう教育政策は直ちに改められねばなりません。

 そのうえ、子どもの人権保障にとって不可欠な基盤や条件が貧しいままに放置されていないだろうか。子どもを絶えず激しい受験競争のなかに追い込み、貧しいままの教育条件と教師の多忙化を放置し、「管理」のみを強めるもとでの人権教育の推進は、本来ありえません。

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