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青年教師のための お助け「玉手箱」 5

「教育について学びたい」 理論編「玉手箱」
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吉野のおじいちゃんは、いるか?
                  西條 昭男 (京都教育センター)

(2008年3月10日)



 映画『母べえ』(山田洋次監督)を観にでかけた。母べえ役の吉永小百合、学生の浅野忠信もよかった。子ども役の女の子は泣かせる。監督の思い入れが随所にみられる秀作だ。

 ところで映画では鶴瓶が演じるところの吉野のおじいちゃんが登場する。母べえのおじで、しばらく東京に滞在する。これが、なんとも型破りで厄介なおじいちゃんで、その無神経な言動のせいで女の子を泣かせてしまう。

 大っ嫌いなおじいちゃん、どうして、あのおじいちゃんが家にいるの、と母べえに泣いてつめよる女の子に、吉永小百合が演ずる母べえは、でもあのおじさんがいるとなんだかほっとするのと言う。

 また、このおじさんは、贅沢は敵だと、街頭でキャンペーンをはる婦人たちに食って掛かり、贅沢はステキだと言い返して、官憲に連行され、絞られたりもする。普段はおじいちゃんには、いささかうんざりしていた周りの者も、そのときばかりはおじいちゃんに意気投合し、溜飲を下げるのである。

 いっしょに生活していると、厄介なおじいちゃんではあるが、どこかほっとさせる何かを持ち合わせているまことに貴重な存在として描かれている。  さて、私は教室の子どもたちを思うのである。ミニ吉野のおじいちゃんはいないかと。

 いるいる。立ち歩く、突然大声で歌いだす、その上教室を飛び出す大ちゃんは手がかかる子だが、これがなんともおもしろい。

 月曜日の朝の健康観察。頭が痛いとか、ちょっとしんどいですとか、みんな、ぐだーとして元気がない。今日の体育はドッジボールしようと思っていたんやけど無理みたいやねえ、みんなしんどいみたいだから、センセイがそう言ったとたん、「もう、なおったあー」。大ちゃんが叫ぶ。つられて、あちこちから、「なおったあ」「もうすっきり!」口々に笑いながらの合唱。センセイもはははっと笑って、教室はいっぺんににぎやか。元気を取り戻す。大ちゃんのおかげ。

 四時間目後半、音読の調子がいまひとつ。センセイいわく、今日の給食はカレーうどんやから、早めに終わろうと思ってたんやけど、この調子では終われへんなあ・・・。すると、すかさず、大ちゃん、「みんな、本読み、ちゃんとがんばりや。カレーうどんですよー」ときた。その一言でみんなははっとして、本読みの声に勢いと張りがでるから愉快だ。大ちゃんのおかげ。

 掃除をさぼって大ちゃんが大目玉。ボクらはセーフ。大ちゃんのおかげ。

 そんな子はどこの教室にも一人や二人はいるものだ。教室は「よい子」ばかりではつまらない。「よい子」のふりをしているとすれば余計に始末が悪い。職員室だって「よいセンセイ」ばかりが幅をきかせているとしたら子どもが不幸だ。もともと世の中はいろんなタイプの人間が集まって出来上がっているのだから。

 文科省『心のノート』は「よい子」量産路線だ。いつも、やさしく、明るく(暗くなく)、規律正しく、秩序を乱さず。疑問をもったり、疑ったりせず、素直に(従順に)人の意見を聞く(人の意見に従う)。

 息がつまる思いで現代を生きている子どもたちに、さらに追い打ちをかけるかのように「よい子」になれと。そして最後は愛国心を持て、である。

 国を愛せよ、お国のために銃を取れ。オレ、そんなん嫌やあ!と大ちゃんが大声で言って、はっとしたみんなが、「嫌です!」「かなんわ!」と声を上げ出すかもしれない。

 ミニ吉野のおじいちゃんは大切にされねばならないのである。

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