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青年教師のための お助け「玉手箱」 5

「教育について学びたい」 理論編「玉手箱」
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あなたの学校に文章化≠ウれた冊子としての『教育課程』がありますか?
──辞めてから分かって来たこと──
                  藤原 義隆(京都教育センター)

(2008年2月10日)



1、(かけ算九九が×2≠ゥら始まる非科学性)

  昨年八月、私は親・教師三十人弱の研究会で主として家庭学習について話をしました。話の途中で質問、挙手してもらったのですが掛け算九九は全員「×2」からでした。「×0」「×1」はないのです。

 これは累加・累減で乗除算を習った痕跡≠ナす。量で乗除算を教えない指導要領の非科学性がこんな形で表れているのです。「あれっ、割り算してるのに答えが増えてる!?」という迷いを子どもに与えてしまいます。

 教育は、目標、内容、方法、評価が一体のものとなって進められます。上の例は、内容が科学的でないことの破綻です。どうするか?この難しい課題は学校ぐるみでなないと方法は見つからないし、そのためには学校としての教育課程が必要です。指導要領も総則の中で学校ごとの教育課程の必要性を認めているのです。やり方次第で道は開ける≠フです。


2、(辞めてから分かって来たこと)

 今、述べたことは、実は辞めてから身にしみて分かってきたことなのです。教育課程というのは単なる教科の時間割ではありません。子ども・地域の実態を分析した結果から作り出す学校(地域)作りの全体計画なのです。当然、子どもの家庭状況(就学援助率など)体力、運動能力の調査・分析も必要です。

 これらの資料を元に教職員(教員だけではない)で作り出す全体計画、これは文章化すればとうとう分厚い冊子になります。こういう作業を経て教育方針が時には親・地域住民も含めて共有化され力を発揮するのです。

 私は現職中、ここまで気付きませんでした。こう考えるきっかけを与えてくれたのは、中須賀ツギ子先生の石田小の実践、小野英喜先生の朱雀高校の教育課程でした。


3、(学年作り抜きの学校づくりはあり得ない)

 私は双子を持つ他校の親から「兄弟なのに弟の組は宿題があるけど兄の組にはない。どうすれば良いか?」と質問されたことがあります。どちらの先生も組合に入っておられるのにこういう違いが起こっているのです。

 「宿題をどうするか」ということも教育課程の重要な内容です。独習を援助するという観点で宿題を考えれば、独自のカリキュラムの作製も可能です。

 私は辞める前の12年間、どの組も同じ宿題、毎日するということを貫きました。この12年間は私が学年主任ということでリーダーシップ発揮したことになります。ほとんどプリント化、休日、学校行事などの日も例外を設けないということは、教師にとっても子どもにとっても思想闘争でした。

 親の評判抜群、子どもも誠実に応えてくれました。学校ぐるみと言いますが、学年ぐるみ抜きの学校ぐるみはあり得ません。

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