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青年教師のための お助け「玉手箱」 5

「教育について学びたい」 理論編「玉手箱」



愛せよ!という「国(くに)」とは何か


           鰺坂 真(関西大学名誉教授)

(2007年4月10日)



 教育基本法が無理やりに変えられて、「国を愛する心」という文言が入り、子どもたちにこれが押しつけられようとしています。教育全般にわたって国家統制を強めようとしていることが問題だと思いますが、子どもたちの心の中にまで踏み込んで、国を愛せよと押しつけようとしていることは、さらに問題だと思います。

 「郷土や国愛する」のはあたりまえではないかと自民党の政治家などが言っていますが、それは本当かということ、そこに疑問はないのかということを論じておきたいと思います。

 まず「国(くに)」とは何かということを明らかにしなければなりません。「くに」という日本語に二義性(あいまいさ)があるということです。「あなたのおくにはどちらですか」と聞かれて、「土佐です」とか「紀州です」とか言う場合で、ここでいわれる「くに」は、生まれ育った「郷土」のことです。ところが「日本という国」と言うような場合の「くに」は「国家」のことです。つまり日本語の「国(くに)」という言葉には、郷土という意味と、国家という意味と二重の意味があります。

 日本は島国なので、こういうことになっていると思われますが、ヨーロッパのような大陸国家では郷土と国家とは明確に区別されています。郷土は、それが都会ならば city であり、田舎なら town であり villege です。これは生まれ育った町であり村です。国家は state であり、国家権力が時代の都合で人為的に国境線を引いて作った統治機構です。ヨーロッパなどでは郷土でもあり国家でもありうるような二義性をもった「国」という言葉は使われていません。

 郷土を愛する気持ちを持つことは、市民としての、町民としての、村民としての自然の気持ちであるといえましょう。権力的な統治機構という意味を含めて国家を愛する気持ちは、これとは全く別のものです。郷土を愛する心はかなり多くの人々の自然の心でしょうが、国家を愛する気持ちを今の日本でどれだけの国民が持っているか、かなり疑問です。

 日本という国家が、本当に民主主義的な国家となり、福祉も医療も充実し、社会的弱者に対して思いやりのある国家となり、平和主義的な国家として、過去の戦争責任を真摯に反省して、アメリカのような戦争国家の同盟者とはならない立場を明確にしたならば、この国家を国民みんなが愛する気持ちを持つであろうし、そうなったらいいと切に願うものですが、現状はそれとはほど遠いと言わざるを得ません。

 日本語の「国(くに)」というのは極めて特殊な言葉だと言わねばなりません。この言葉をいわば悪用して「国を愛する心」を子どもたちに押しつけようとしているのが政府・自民党ではないでしょうか。

 むしろ国民から愛されそうもない国家だから、その支配層は「国を愛する心」を子どもたちに注入しようとしているのではないでしょうか。

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