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青年教師のための お助け「玉手箱」 5

「教育について学びたい」 理論編「玉手箱」



『未履修問題』を考える
──歪みを正して学習指導要領の根本批判を、教基法改悪阻止を──

           高橋 明裕(京都教育センター)

(2006年12月10日)



 高校をはじめとした未履修問題が波紋を呼んでいる。しかし、履修科目の「読み替え」や、普通科高校における二年次以前の段階からの文系・理系分けによる必修科目の選択科目化などによって、「未履修」状態が起こっている現場の教員にしてみたら何をいまさらという感が強いのではないかと思う。

 マスコミにしても例えば毎日新聞二〇〇五年四月二十日付け(東京朝刊)が教育特集でとりあげていたように、新しいニュースであるわけではない。それが教育基本法「改正」の国会審議の局面でニュースにされたことは、教員、校長、教育委員会への不信感を醸成し、「改正」の機運を後押ししようとする意図が感じられる。もちろん履修していない科目を履修したとして調査書に虚偽記載した行為は許されることではない。しかし、そうまでさせて高校を受験競争にあおり立てている今日の教育をめぐる構造、「教育改革」こそ非難されるべきだろう。

 受験実績による学校間競争が今回の問題の背景にある。とりわけ地方の公立高校にそうした傾向が強いことは、未履修状況の数字が表している。

 「学力」を全国一斉テストによって判定しうる領域にしぼり、競争を通じて「学力」向上を目指すという、歪んだ教育改革が進行中である。未履修問題で槍玉にあげられたのは世界史であった。報道によれば、今回のニュースの発端となった高校の校長は、「日本史のなかに世界史の内容も含まれていると思った」と発言した。不見識な発言ではあるが、今回の世界史未履修の問題は、受験偏重のために世界史履修を忌避している現実に対して、どのような日本史・世界史の学力を保障するのか、という教育課程の内容に踏み込んだ議論が必要である。

 さらに懸念されるのは、この問題によって学習指導要領は厳密に遵守されるべきものとの観念が教員や保護者に植えつけられるのではないか、ということである。しかし、現行の学習指導要領においてさえ、学校ごとに「地域や学校の実態、…生徒の心身の発達段階及び特性等を十分考慮して、適切な教育課程を編成するものとする。」と明記されている。指導要領は全国的な「基準」にすぎないのであり、教育課程づくり、学校づくりは生徒、教員、保護者の自主的な共同によるべきものである。

 それを規定しているのが「教育は…国民全体に大使直接に責任を負って行われるべきものである。」と定めた教育基本法第十条である。政府案ではこの教育の直接責任制がそっくり削られている。教基法の改定を許せば、今以上に指導要領の拘束力が強まることとなる。

 未履修問題をめぐる議論を教育不信に結びつけるのではなく、教基法改悪阻止にむけて組み立て直すことが緊急に求められると同時に、どのような学力を生徒に保障していくのか、自主的な教育課程づくりの努力が不断に求められているのだと思う。

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