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青年教師のための お助け「玉手箱」 5

「教育について学びたい」 理論編「玉手箱」



行政当局の解釈に対する批判的視点を
──生徒の学習権と教師の教育の自由の保障のために──
           室井 修(京都教育センター・和歌山大学名誉教授)

(2006年7月10日)


 今日、政府の教育政策や教育行政の展開の中で、教師の教育の自由の保障の在り方がつねに問われています。組合などではこのことを厳しく問題にしているにせよ、教員の中には、当局や校長が法令上の根拠を示して、しかるべき指示をしてきた場合、納得しているわけではないが、やむを得ずそれに従っている者も少なくないと思います。

 例えば、学習指導要領、指導要録、内申書、通知票など教育内容や教育評価にかかわるものについては、教育行政と教師の権限関係が法制度上、どのようになっているのか、解釈の変遷、判例や学会等の動向に目を向けて、教育実践にも生かしていってほしいと思います。(最高裁旭川学力テスト判決‥一九七六・五・二一など)。

 よく問題にされる学習指導要領は、学校教育法二十条、同法施行規則二十六条を根拠に文部科学大臣が定め、公示していますが、それゆえ、同要領を法規(命令)として各学校の教育課程の編成の際、教育委員会や校長はそのまま押しつけようとしたり、一般の教員の中にも法規なのだからやむを得ないという考えもみられます。

 しかし、同要領は無原則にそのまま従ってよいというものではなく、人間の内面的価値形成にかかわる教育にあっては、その自主性の確保は不可欠で、それゆえ教育基本法第十条一項の定める教育に対する「不当な支配」の禁止に抵触するような同要領の運用は認められないのです。

 いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為(文部科学大臣の公示による同要領〉にも、教育基本法第十条一項が適用されるのです(上記学テ判決)。最近では、文科省も「学校の自主性・自律性の確立と自らの判断による創意工夫」をこらした学校づくりの必要性を述べている(一九九八年中教審答申)のだから、文科省の真意はともかく、各学校における自主的な学校づくり、教育課程づくりは尊重されて当然なのです。

 次に、小中高校の教師の「教育の自由」保障について、最高裁は国際的永準(ILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」)に近づいたと思われる「教育の自由」を一定の範囲で認め、「教師が公権力によって特定の意見のみを教授することを強制されない」ことを言及しています。これは生徒の学習権保障にとって重要な視点です。日の丸・君が代の指導の強制は、この視点から見れば教師が公権力によって特定の意見のみを教授することになり、憲法上も許されません。このような判例を視野に入れて、教育実践を確かめることも大切ではないでしょうか。

 以上取り上げた問題は、教師が日常の教育活動において当局や校長との関係で直面することが多いだけに、これらの問題に対して評価できる判例などを武器にした自主的な教育実践を進めていってほしいと思います。


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