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第4分科会 報告

子どもたちのバッファ・ゾーンBufferZone(緩衝地帯)


           浅井 定雄(発達問題研究会)


【分科会要項】
・テーマ 子どもたちのバッファ・ゾーンBufferZone(緩衝地帯)
・司会 清水忠司 記録 浅井定雄 担当【発達問題研究会】

【基調報告】
・「人間発達の課題と環境の視点から」・・・・(西浦秀通:発達研事務局)

【報告】
  @「春討と高校生の成長、及び課題」・・・・(久田晴生:府立朱雀高校定時制)
  A「自然って、楽しいなあ!」・・・・(岡 敏明:乙訓第5向陽小)
  B「木津川流域などに生きる植物探索研究」・・・・(山村武正:やましろ里山の会)
  C「理科室から見た子どもたち」・・・・(浅井定雄:教育センター)



基調報告(要旨)

人間発達の課題と環境の視点から (西浦 秀通 発達問題研究会事務局)


【テーマ設定の理由】

 大津市の住宅地にサルが出没、熊の出没、バッファ・ゾーンの衰退が言われる。里山の衰退、動物たちが緩衝地帯がなくなり、いきなり住宅地に出没。これは動物たちの棲息地域をもおびやかすものになっている。子どもたちも、大人たちの保護のもとで、発達を保証されてきたが、今は、そのバッファ・ゾーンが薄くなり、情報化社会の中で、子どもたちが大人を緩衝として社会とつながってきたのが、直接社会とつながり、攻撃にさらされるということになってきている。そういう意味でも生きていくことがたいへんむずかしいもとのなっている。成長・発達におけるバッファ・ゾーンというのもある。教育用語ではないが、今回は、そういう意味でテーマに掲げて取り組んでいる。

 この間、発達問題研究会では、資料にあるように公開研究会などを取り組んできた(資料参照)。社会と自分との間にバッファ・ゾーン(緩衝地帯)があることによって、自分が守られるという、このことは、教育や子どもの発達において重要性がある。幼児期、少年期、青年期の中で守られながら育つという、そういう緩衝的なことを経て、自分が自立していくというプロセスが大切になっている。自立に置いても、自分だけでできないことでも、誰かの援助においてそれができていくということが大切になっている。

 そういう背景の中で、今回のテーマを設定している。昔はよかったというだけではなくて、新聞記事の「遊びが減っている」という記事にもあるように、三輪車を飛び越えて、いきなり自転車に行くように、そういうことがあちこちで起こっているのではないか。なんとか、そういう子どもたちを保護し、包み込むような緩衝剤が今日的に必要になっている。

【基調報告に対する質疑】(●参加者 ○報告者 以下同じ)・・・・略


報告(1) 山城地域のおける自然学習(山村武正 やましろ里山の会)・・・・略


報告(2) 春討と高校生の成長、及び課題〜「自分の土台になる」取組 (久田 晴生 府立朱雀高校定時制)・・・・略


報告(3)自然って楽しいなあ! 岡 敏明(乙訓向日市第五向陽小学校)・・・・略


報告(4)理科室から見た子どもたち(浅井定雄 市内音羽小学校)・・・・略


【全体についてのまとめの討論

(司会):今日は4本のレポートの中で、「バッファ・ゾーン」を議論した。まとめに入りたい。

●子どもが話し合いによって、成長していかないとか、教師もそうなっているというのがあり、管理職がそれをつくってしまっているというのがあり、そういう力をなくしてしまっているというのを感じる。子どもたちが、今後、こういう力を吸収していくように援助していきたいと思った。

●発達研でなかなかまとまりづらかったが、高校の春討の議論ともかみあって、子どもはいろいろ雑多な情報を身につけながら、まとめていくことがわかった。10歳ぐらいまで、木津川の見学に参加するような、そういう経験を経て成長するということと、今の教育の状況が、次世代の子どもをつくっていくという上から見て、本当に絶望的な状況である。「賢い」トップが上から命令するような教育では、大企業はそれで都合良いかも知れないが、子どもの発達にとっては、決してそうではないということを、勉強していかなければならない。

●今年はダーウィン生誕100年祭。高校で進化論を教えないということもあったが、100年先のことを考えてみる。たとえば、今から100年前に自分の祖先は何人いたかを聞いたことがある。五世代とすれば、先祖の数は二の五乗になる。そういう遺伝子の中で我々は育っていくと言うことを知って、近くの草花も自分たちが親しく感じるようになる。だいたい「理科」という言葉自体に問題があり、入試に出しやすいような問題ばかりをやっている。文科省「推論と量的法則性を学ぶ」とあるが、30項目だして、その中でピックアップしたものが、今日の理科である。具体を抽象したものを法則化するというように、下から行かなければならない。文科省は技術的なものにするから、こういうふうになってしまっている。我々は生きているということから、考えると、我々も子どもも自然の一部としての子どもというように考える必要がある。

 私は生活指導的に自分探しというのは本末転倒だと思っている。人工の世界に閉じこめられているから、自分というものがわからなくなる。自分たちの時代は、家に帰れば、自然もあるし、友だちもいるし、遊べる。今は、世界が非常に狭くなってしまっている。もう一度、この世界を構築しないことには、日本の子どもたちは救えない。

●今までぼやっと思っていたことが「バッファ・ゾーン」という形で提示されて、はっきりしたと思う。困難でも、人との関係をつくっていかなければならないのではないか。それが大切だと思った。

●こういう所にくると、自分は今、幸せだなとつくづく思っている。これからも努力したいと思っている。


(詳細については「京都教育センター年報 21号(2008年度版)」をごらんください。)

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