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第2分科会 報告

「連帯と共同の関係をつくる生活指導の探求」


           築山 崇(生活指導研究会)


 本年度の生活指導分科会では、基調提案と次の3つのレポートをもとに、研究討議を行った。分科会には、小学校5名、中学校4名、高等学校2名(公立・私立各1名)、大学3名(教員2・学生1)の計14名の参加であった。


T.基調提案の要旨と各報告の特徴

「連帯と共同の関係をつくる生活指導」(分科会テーマについて)

 派遣労働問題に象徴的に表われた経済社会の矛盾の拡大は、働く者の連帯と共同の力に市民の注目が集まる状況を生み出している。昨秋の京都教研生活指導分科会では、例年を上回る参加者が、“荒れ”の再燃を思わせる状況に向かう実践をめぐって、”つながり“をキーワードとする議論を交わした。この二つのことは無関係ではない。本分科会では、@“荒れ”の背景にある生活の困難A子どもたちをつなぐ教育的な働きかけの方法B連帯と共同の力で自治活動をつくる、この3点に焦点を定め、小・中・高等学校からの報告をもとに、生活指導実践の明日のかたちを探ることをねらいとした。

子どもの「荒れ」の背景にある今日の生活問題(困難)の様相

 1980年代以降急速に進んだ市場経済の拡大(特に福祉や教育など公共分野)によって、生活の商品化のひろがりが人と人との関係を侵食し、現代社会における人間性の疎外を一層深刻化させることとなった。また、バブル経済崩壊後の長期にわたる経済活動の停滞は、少子高齢化を背景に、社会保障制度の「改革」において、サービス給付の縮小や利用者負担の増加などによって、制度の対象を狭め、生活困窮状態にあっても社会保障制度の対象からはずされる、いわゆる「社会的排除」と呼ばれる状況をつくりだしている。さらに、2008年後半の世界的な金融不況とそれに続く実態経済の悪化は、派遣労働者の雇い止めや正規社員の解雇へとひろがり、生活格差の拡大、困窮者の増加を招いている。このような、国民生活をめぐる経済的・社会的環境の悪化は、当然子どもたちの生活条件の悪化・不安定化にもつながり、学校におけるトラブルの増加を生み、指導上の困難が増す現状となっている。昨秋の京都教研で報告された「荒れ」の状況のひろがりは、こうした経済・社会状況を背景としてもっており、本分科会の第1報告も、その一典型として読むことができるものである。

 学校、教育における困難の解決は、経済・社会的問題の解決を待つわけにはいかない。「荒れの現象をこえて、どうつながるか」という第1報告のテーマも、そのことを物語っている。第2報告は、地方小都市が大都市以上に困難な状況のおかれていることを背景にとらえつつ、さらに子どもたちに見られる教師不信を生み出している学校教育のあり方(「押し付け研修」や「学力向上」を至上目標にした過密な学校生活など)にも言及しつつ、子どもたちの力を引き出し、その成長を保障する自治活動づくりに取り組んだものである。

 3本目の高校からの報告は、進学実績の向上を主眼とする学校経営のもとで、生徒の自主活動育成の視点が弱まり、例えば、各高校の学校紹介ホームページに、生徒会など自主活動の内容が見られない、生徒とともに学園祭をつくっていく条件がなくなり、従来からの学年指定制(1年:ステージ発表・2年:演劇・3年:自由な表現活動)が崩れているなどの事例が紹介されてた。あわせて、本年度で56回を数える「高校生春期討論集会」が蓄積してきた内容が、活動の大きなひろがりが見られた80年代を中心に紹介され、高校生に潜在する力の豊かさが示された。


U.各報告の概要

報告(1)「荒れの現象を超えて、こどもとつながる」(京都市内小学校)

 全校的に指導が極めて困難な状況のもとで、5年生を担任しての、4月以来9ヶ月あまりの取り組みの経過にそって、子どもとの関係づくり、クラスでのトラブルの解決、宿泊学習や運動会・学芸会などの行事の取り組みの工夫などについて、"若い教師の実践の手がかりになること"を意識した報告である。

 学年のスタートにあたっては、「どうすれば彼ら(子どもたち)が平和な状況をつくっていくことができるのか」という問題意識のもと、書類作成等の仕事はあと回しにして、「とにかく楽しく、叱り方も注意していくこと」などを重視している。

 また、「細かいことをあれこれ言わない/待つの姿勢/担任の仲のいいところを見せていく/担任同士でも、子どもに対しても、優しいことばかけをしていく/子どもの調子が悪いときは距離を詰めない/子どもの声を、文句でなく悩みとして聞く(日記に書かせる、返事は山盛り書く)/クラスのもめ事はクラスで解決する/第三者の意見を入れることで学級みんなの問題として共有する/担任がトラブルを解決することで安心感を与えていく」といった方針を学年の教師で共有するようにしている。

 保護者との懇談では、「混乱した状況は一気には改善されない」こと、「1年かけてゆっくりもどしていく」ことを伝え、保護者の理解を得ることに努めている。日曜参観でも、「よさこいソーラン」の演技で、子どもたちががんばっている姿を保護者に見てもらうことを焦点にすえている。宿泊学習では、活動内容を詳細に考えてから臨み、学芸会では子どもたちに成功体験をくぐらせることを、マラソンでは高学年の意識を育てることを、縄跳び大会では、力を合わせることの大切さを・・・といったように、それぞれの目的を確かめつつ取り組みが重ねられていっている。  このほかにも、班活動、朝夕の会、日直・係活動、教科指導、障害児学級との交流など、多岐にわたりこまかな配慮のもとに学級づくりにあたっている様子が報告された。

 このような実践の重点化と細かな配慮によって、現在学級が一定の落ち着きを取り戻していることが報告されるともに、「いつでも(荒れが)勃発する可能性は十分にある」こと、今の状況は「上もないが下もない(荒れた状態にはならないが、一応の安定状態からさらに高い状態−学習や自主活動の質−に進んでいるという状況でもない)」状態で、来年度どのような状況になるかは、予測しがたいという評価が示されていた。

 紙福の関係でこれ以上詳細に報告における様々な実践上のノウハウを紹介することはできないが、報告後の活発な質問や意見、教職2年目の教員や学生など若い分科会参加者の感想(貴重な示唆が得られた、子どもたちの状況、指導上の困難がリアルにわかった)は、報告の投げかけた波紋の大きさを示している。

報告(2)自治の力・集団の力を育てる生活指導実践 (府北部中学校)

 二人の参加者から、それぞれ、@今何が困難か、そして打開への道は? 「厳しい現場」で常に自分とは?を自問自答しながら追い込み続けるえらさの中で A中学校現場の困難さの質と対応の方向‐子どもの成長の連続性を誰が見るか、中1を節目に−と題して、報告があった。

 はじめに@の報告で、「たんなる義理と人情では立ち行かない、不信と絶望感を奥底にもつ子どもたち」に、何が必要かを問いつつ、「心のそこから感じるえらさ」をもちながらも、「子どもと向き合うことの勝負」を続けている状況が説明された。

 そのあと、Aの報告では、「色々な要素はあるが、学年が上ると問題が減り、教師と生徒との関係も落ち着きを取り戻す」という、「中学校の教育力がきちんと存在するという証明」が見られるものの、「数年前から1年生が毎年のように困難さを見せる」状況について、本年度の1年生の状況の分析と、いわゆる「中一ギャップ」のとらえ方、生徒指導分野における最近の政策状況なども視野に入れた、実践の方向が示された。

 報告にもとづく討議では、1本目の小学校の報告も受けて、子どもの発達段階に即した教育内容・指導方法と、子どもたちの現状を関連付けての意見交換が行われた。例えば、「目を覆うような事象(私語と遊びでサロンのような授業成立の困難状況、「牛乳爆弾」、生徒間・対教師暴力など)」が、少年期的な遊びの世界、子どもっぽさを原因にもちつつ、思春期の不安定さの中で逸脱的な行動が激化するという構造、理由のない騒動で学校の権威に対抗しようとするパワーゲーム的感覚を背景にした行動として報告された。

 「中一ギャップ」と呼ばれる状況については、小学校における指導が、押さえ込みになることで、「話し合い」や「自分たちで考えて、問題解決する」という経験不足を生み、中学校での指導や生徒と教師との関係づくりの困難が表われているのではないかという見方が示された。

 また、教師・指導者側の問題としては、若い教師が自身の学校生活のなかで集団活動の経験を持たず、教職について以降も集団づくりを学ぶ場が少なくなっていることや、保護者との関係づくりを苦手とする教師が増えていることなどに着目する必要があるという指摘もあった。

 報告では、次のような実践の方向性が提起されており、今後の生活指導研究会や教育研究集会等での議論につないでいくことが求められる。

 @新年度、生徒の分析をできるだけ綿密に行い、指導の構想を立てて臨む。A小学校との連携、地域連携が「上から」かぶさってくる。それを逆に利用しつつ、民主的に組み替えて、「ゼロトレランス」の指導では解決しない問題を、解決できる実践を示していく。B「指導部会(生徒指導担当教員)」を中心に、学年の垣根を越えて問題を共通理解しながら、それを契機として子ども集団を変える取り組みを進める。(問題を止めることだけを課題としないで、あくまで子どもの成長を課題としていく)C生徒会、学年委員会などの組織を活かして、生徒の中でのかかわりあいをつくり、上級生の教育力を生かして1年生を成長させていく。D「教師が学べる学校」を考え、組合、サークルなどの枠を広げつつ、若い教師の力を引き出したい。Eこれまで、学校を支えてきた実践の積み重ねを大事にしつつ、子どもの成長を保障する先頭に組合員が立つ。

報告(3) 府立高校の生徒指導の問題点

 生徒の自主活動である学園祭をめぐる本年度の状況、南山城地域の入学者選抜の問題をとりあげつつ、京都の高校生の自主活動として歴史的蓄積が豊富な「高校生春討」について、その歴史と、現状について報告された。1980年代末の「春討」の取り組みについては、学校内での討論の組織が、生徒たちの主導のもとでダイナミックに展開されていた様子が、当時の資料をもとに詳細に報告された。

 「春討」に対する府教委の後援はすでに1982年に打ち切られ、公立高校校長会も87年にはその翌年度からの後援中止を通告している。また、学校を会場として貸さない、教員の出張を認めないなどの申し合わせがなされている。上記の80年代末の活発な取り組みは、そのような困難の中でも、多くの教職員・父母の支えによって、生徒たちの取り組みが大きく広がっていたことを物語っている。

 今日、高校生の自主活動は、学園祭や生徒会活動、「春討」のような学校の枠を越えた交流活動などにおいて、その条件や環境の厳しさから停滞を余儀なくされている。しかし、生徒の要求をとらえ、その実現を励ます自覚的な取り組みがあるところでは、かつての世代とはまた違った力が生徒たちにあることが、今回の報告でも示されていた。今日の高校生がおかれている社会的構造(入学制度、進学・就職状況など)、そのもとで生徒たちが抱えている内面的なしんどさをとらえていく視点をもつことで、彼らの力を引き出し、教職員の成長にもつなげるという方向性がみえるのではないだろうか。


V.討論・参加者それぞれの感想から

 3本の報告それぞれの討議で時間を要し、残念ながら全体的な討論はほとんど出来なかった。各報告の討議に予定以上の時間を要したことは、報告それぞれが提起した問題や、質疑の中で出された論点の重要性を示しており、「今回の報告の一つひとつについて、是非あらためてじっくり検討する場を持ちたい」という感想の通り、今後のセンター研究会での議論に是非つないでいきたい。

 分科会の最後に一言ずつ述べられた感想を以下に紹介して、不十分であるが、本年度生活指導分科会のとりあえずのまとめとしたい。

【一言感想より】

・第1報告からは、担任が特に意識せずに、しかし結果的に指導上の留意点をしっかり押さえた実践が展開されている様子を読み取ることが出来た。子どもが、自分のことばで気持ちや抱えている問題を整理して、周囲へ伝えていくことの重要性を教えてくれる実践でもある。

・第1報告では、かつてとは違った「崩壊」状態が見られる。子どもの目線に立った柔軟な指導が鍵になっている。今回報告された実践の詳細な記録をつくり、多くの教師に広めてほしい。

・小学校での「学級崩壊」的状況や、中学校での暴力的な「荒れ」の状況をみるなかで、あらためて、子どもの発達段階ごとの課題を踏まえた実践の重要性を感じた。それは、中学3年間で力をつけて、さらに高校で、例えば自主活動として、何にどのようにとりくむかという見通しとしてみることもできる。

・今日の生活指導においても、キーワードは自治活動。特に、社会性の獲得が大事だと感じる。その際、活動の過程を大事にしたい。

・ネットいじめやそれと関連した自殺事件に現れている状況も深刻であるが、その際、報道の在り方にも問題があると思われる。学校と保護者との対立構図が作り出されているのではないか。

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