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■特集テーマ 2
  小中一貫校と学校再編は子ども・地域に何をjもたらすか
 

地域の宝物である学校の灯を消すな
――「学校の再編・統廃合と小中一貫校」の考察――

           
大平 勲(京都教育センター 発達問題研究会)
 
 
 

1.学校はそこに住む人の「宝物」、「原風景」のひとつ

 日本の公立学校は、その多くが明治5年の学制施行以降、明治33年の第3次「小学校令」で授業料不徴収となり義務教育制度(尋常小学校4年)が確立されることになり、全国各地で地元財政や篤志家寄金によって役場などと併せて設立された。そうした、由緒ある公立学校が「時代の波」(少子化や「切磋琢磨」による競争教育など)によっていとも簡単に消えていく現象がこの10年あまり全国的に広がっている。悲しむべき出来事といわねばならない。文科省の資料によっても毎年400〜500校の小中高校が廃校になり2003年以降に急増している実態がある。

 学校は今そこで学ぶ子どもたちや保護者の場であることにとどまらず、その地域に住む人々やそこで学んだ卒業生や設立や維持に尽力された先人たちの「拠り所」として存在する地域の「宝物」である。また、小学校は近くの神社や小川などと共に、人生の終焉を自覚する高齢者にとっては幼少期の思い出を想起する場として心に生きる「原風景」の一つであるとよく言われる。

 だから、かつては数百人の児童がいた学校が100人前後になったとしても、歴史あるその学校の存続については現在在籍する子どもたちの父母などの関係者だけの思いで判断することは早計であると言わねばならない。教育の問題であると同時にその地域の歴史と未来に関わる「まちづくり」の課題として考える土俵を広げた議論が不可欠であると思うが、現実は教育関係者による教育論議として遂行されている「狭さ」が各地で見受けられる。


2.こうした動きの背景に何が?

 学校の統廃合はそれだけではむけむけの「学校リストラ」になるので、そのムチを緩和する付加価値としてのアメ的な施策として打ち出されているのが「小中一貫教育」の推進施策である。戦後の日本で長く定着している「6−3−3−4制度」(国際的にみてこの制度がベストかどうかは議論があるが)を維持したままで、特認した学校だけに「4−3−2制」や「5−4制」など「繋ぎ目」を変える「小中一貫校」として統廃合した学校を「再生させる」という発想は、エリート校にはなりえないとしても時代の先進をいくような幻想を抱かせる「まやかしの試行錯誤」であると言わねばならない。

 こうした動きの背景には、今世紀に入って小泉政権以降加速した「新自由主義」や「規制緩和」を基軸としたグローバル社会での「生き残り戦略」がある。そして、教育基本法の「改正」を強行した(2006年)安倍政権になって教育の分野に広げられ「教育再生」の名のもとにさまざまな「教育改革」施策が教育的な論議を経ないままにトップダウンで遂行されてきた経緯がある。それらのもとで学校リストラが強行される「元凶」にあるのが次の国家戦略である。

 1つは財務省主導で進められている「国庫負担金」の削減の柱として1/3負担する教員給与の総額を減らすために、学校を統廃合して教員数を少なくしていくことがある。2014年4月に財務省は、各自治体に「公共施設等総合管理計画」の策定を求め、公共施設の「整理・統合」を計画する数値目標を定めさせた。そして2014年の法律「改正」により、教育委員会が「総合教育会議」に改変され、首長も参加して主導するようになって統廃合に拍車がかかるようになった。

 もう1つは、こうした財務省の圧力に対して文科省は教職員定数配置などでは一定の「抵抗」姿勢を示しているものの結果的には財務省言いなりであり、その証として2015年1月に文科省が58年ぶりに「学校統廃合の手引き」を改正したことがあげられる。そこでは、単学級(小6、中3)以下の学校は「統廃合の適否の速やかな検討」に加えて、通学時間をバスなどの利用で1時間以内と拡大するもので、財務省の狙うコスト削減に呼応する官僚的手法と言わねばならない。また、2015年6月に「学校教育法」が改正され、新たな校種として小中9年間一貫の「義務教育学校」が可能になり、2016年4月は全国で22校が開設され今後も114校で予定(京都では亀岡市立川東学園など)されており、過疎地での統廃合を推進する施策として「5−4制」や「特認校制度」などとセットしてつくられようとしている。


3.京都府内の状況

 〈京都市〉京都では、コミュニティスクールや小中一貫教育などで「先進都市」を自負する京都市が突出している。京都市にあっては、明治5年の学制発布以前の明治2年から各町組に町衆の寄付金でつくられた64校の番組小学校が町役場も兼ねて生まれた。昨年の11月に教育センターと自治体問題研究所が共催した「京都まちづくりシンポU」で「京都小学校校舎の歴史と学区」と題した大場修京都府立大学院教授の講演を聞いて、番組小学校の発足の経緯やその後の移転や改築を経てもシンボルでもある校門や講堂、「望火桜」などが今も寺院などで保存されていることを知り、そうした歴史的遺産を易々と廃校にしてしまったことに大きな悔いを痛感したものである。1978年の銅駝中学校統廃合をめぐっては同盟休校や地元住民による抵抗運動があり、その後も1980年代の木村万平氏らによる「まやかしの住民合意」による学校統廃合反対の運動が展開されたが、この間に68校が17校に再編され番組小学校も殆どその灯が消されてしまった。90年代に入り、それと併行してすすめられたのが小中一貫教育であり、1995年に10校を廃校にして開校した御所南小・高倉小は「学力伸長」を看板としたエリート小学校としてマンモス化し、改めて分離新設するという「歪んだ再編」を余儀なくされている。また広島呉や東京品川に続く小中一貫校の開設を急ぎ、周辺地域の花脊小中学校、京都大原学院に続いて東山開睛館小中学校(2011年)、凌風学園(2012年)、東山泉小中学校(2014年)を設立し、今後も北桑・京北地域や伏見・向島地域での新設を目論んでいる。その手法は過去の苦い抵抗運動から学んで、教育委員会が前面に出で強要する形を隠蔽し、市教委の傘下にあるPTAや自治会などの連合組織を焚きつけて「要望書」を出させ、それに応える形でコトを進めるという手の込んだ「住民無視」の手口である。また、廃校になった中心部の小学校跡地も「経営資源」として民間企業の営利の場に提供しようとしていることに対して今、遅まきながら「跡地は住民の財産である」との視点での新たな運動が起こりつつある。

〈京都府内〉府内にあっては京都市のように急激な学校リストラは行ってこなかったが(全国統計では多い方から30番目)、この10年ほどで亀岡以北の地域で小中学校の再編計画が具体化し、戦後手がつけられてこなかった府立高校の統合再編も丹後地区や口丹地区などで企てられている。北部の高校や福知山、亀岡での動きと運動の展開についてはこの特集の各論で述べられているのでそこでの論を参照いただきたい。ここでは、青森県津軽、岐阜県恵那と並んで地域に根ざす戦後教育の「三大メッカ」のひとつといわれた京丹後地域の学校統廃合について考察したい。

 京丹後地域は旧6町時代にあっては、時計台付きのモダンな設計の学校が「住民と教職員の創意」によって存在したことに象徴されるように、過疎地の小規模学校であっても統廃合には手が付けにくい「住民の力」が機能していた。しかし、2004年に6町が合併し京丹後市となり総務省天下りの中山市長(昨年4期目で落選)が誕生して以来、強権的な手法で統廃合がすすめられた。2010年7月には「今後10年間で小学校30校を12校に、中学校9校を6校に再編し、将来的には旧6町単位で1小学校1中学校の小中一貫校をめざす」とした「再配置計画案」が発表された(この計画案は香川県さぬき市の計画の「丸写し」であることが判明)。発表後に行われた旧町ごとの説明会では、参加者から「反対」「撤回」「拙速」などの声が相次ぎ、住民組織からの請願なども提出され、市議会は一旦継続審議にしたものの2010年12月議会では共産党以外の会派の賛成で可決された。議会承認後は反対運動も下火になり、統廃合に向けての施策が「粛々」と実行されていった。その結果、2015年までの5年間で31小学校が19校に、9中学校が6校に統合され、全国的にも異例といえる半減近い学校リストラが一気に遂行された。統廃合後の問題点などの検証は十分になされていないが、登下校時には丹後一帯で60数台のスクールバスが巡行し、学校生活はバスのダイヤに縛られ、中学校では部活の全員加入が義務づけられ7時半からの一斉朝練が当たり前のように実施されている。

 また、口丹以北の地域で学校統廃合と結合して小中一貫教育の推進が叫ばれ、舞鶴や綾部でも見通しのないままに形式的な小中一貫教育が強要されようとしている。施設一体型の小中一貫校も京都市内に続いて宇治黄檗学園(2012年)、福知山市夜久野学園(2013年)、綾部市上林小中学校(2015年)、亀岡市川東学園(2015年、2017年度から京都初の義務教育学校に)などが設立され、今後綾部市東綾中地域や福知山市三和・大江地域での開設が見込まれている。その一方で、「小規模校をつぶすな」の声を上げる幅広い地元住民の運動が展開されている。例えば、旧福知山市内の天津、上六人部、金谷、佐賀などの小学校は30人に満たない全校児童であるが、退職教職員などで組織された「教育ネット」や保守層・古老などが「残せ」の声を上げた結果、簡単には統合できない状況を生んでいる。また、綾部の志賀郷地域では10年ほど前から地元の学校を残すために自主的に空き家を活用した移住促進にとりくみ、若い世代を中心に30世帯のIターン定住があり、志賀小学校は全校児童54人中19人がIターン組で存続に成功している(「人間と教育」92号平岡和久論文参照)。住民投票で合併しないことを決めた伊根町では2009年に出された教委の統合計画に対し、これも住民投票によって小学校を2校とも残すことを決めた。(教育センター刊『ひろば』2010年2月号参照)


4.根拠のない「小規模集団」否定の教育論

 教育委員会などが学校統廃合や小中一貫教育をすすめる根拠として用いているのが、小規模の学習集団では「切磋琢磨」が薄れ競争心が育たないこと、中学1年生で不登校やいじめなどが増えるという「中1ギャップ論」である。まるで小規模集団では学力がつかず、成長が阻害されるような主張であるが、複式を含めて小規模学校で学んだ子どもや父母、教職員はその見解を強く否定している。むしろ、小規模でこそ学力形成を含めて豊かな人間的成長が保障されていることに確信を持っている声がしばしば届いている。「中1ギャップ論」で言えば、小6と中1の「繋ぎ目階段」を低くしたからといって解消されることではなく、この問題の本質は小学校とはあまりにも異質な今の中学校での競争管理的な教育のありようにメスを入れない限り改善されないと私は考える。

 先行して開設された小中一貫校では、中1問題よりも小学校高学年での出番が減り高学年らしい活躍と成長の機会が阻害されていることから新たな「小6プロブレム」と言われる課題が指摘されている実態がある。一貫校と非一貫校の児童生徒の意識を問う比較調査(2013年度の和光大学チームによる)によっても、一貫校の高学年児童の方が「自信」「自己価値」「友人関係」「疲労感」が非一貫校児童に比べて下位にあることが示されている(別掲資料参照)。 このあたりに資料を挿入


5.まちづくりの課題と結んで、「学校残そう」の大運動を

 このような公教育破壊の策動は、再来年以降の「道徳の教科化」や2020年からの新学習指導要領実施など教育内容の国家的管理統制と相まって、今後いっそう強められる可能性がある。その様な情勢下にあって、子どもと学校を守るために私たちが留意すべき視点について提起したい。

〇「百年の計」で考察されるべき学校の存続については、「誰が?いつ?どこで?何を?」決めたのかを検証する。父母にとどまらない住民の総意が反映されたのか、学校現場での教育的議論が尽くされたのかが問われる。

〇小中一貫教育については形式的な学年制の変更ではなく、すべての子どもの発達に責任を負う立場から小中学校がかつての同和教育などの成果に学んで発達保障の観点での「連携」を深めること。

〇これらは教育の問題として教育委員会やPTA組織の問題として狭く扱われていることが多いが、学校の存続問題は、そこに住む人やそこから巣立った人々の故郷の未来が問われるテーマであり、その地域の発展的存続を願う「まちづくり」の問題として捉え、議論すべきである。

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