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早川幸生の京都歴史教材たまて箱87

京の「しまつ」
−「京の衣・食・住」にみられる生活の知恵−

  早川 幸生
   「ひろば 京都の教育」187号では、本文の他に写真・絵図などが掲載されていますが、本ホームページではすべて割愛しています。くわしくは、「ひろば 京都の教育」181号をごらんください。  
 

―くず豆―

 中京区寺町二条上ルに、「五色豆元祖」の屋根看板があがる「舩はしや總本店」があります。そのお店の売れ筋のひとつに「くず豆」と呼ばれる商品があります。一袋百グラム二百二十円で、とても求めやすい価格です。実はこの豆は、店の看板商品である「五色豆」の製作途中にできた規格外品なのです。五色豆は、一つ一つの豆を中心に、その周りに五色の砂糖を溶かした液をかけ、豆を回転させながら、砂糖をぶ厚くコーティングするのです。が、その途中、震動や衝撃、厚みの違いや豆と皮との剥離等の原因で、はがれたり割れたりした豆や五色の砂糖のコートの寄せ集めの「訳あり五色豆」です。味はまったく遜色ありません。考えようによっては、うま味の塊です。

 その豆の存在を知ったのは、一人の生粋の京都人の叔母でした。夷川高倉の叔母の家を訪れたときに、おやつとして出してくれました。

 小学生当時、虫歯で固い豆など苦手だった僕には喜びでした。よく見ると、五色豆の形はしているものの、ほとんどは豆が抜け落ち、外側の五色の砂糖のコートの集まりだったのです。「あんたには、これの方がええやろ」叔母が笑いながら出してくれたのでした。

 「舩はしや」さんとは、歩いて七、八分の距離。お使い物や贈答品としては正規の品物を買うそうですが、家用には「くず豆」とのことでした。以来数十年来の「くず豆常連さん」でしたが、今回の取材のため訪れた時には、一袋もなくビックリしました。お店の人の話でわかったのですが、最近「木屋町・寺町」を中心に外国人観光客専門にガイドをしている男性が、お客さんを連れて来て、その人たちが多量に「くず豆」を買って行くとのことでした。

 「もったいない」「しまつせなあかんえ」の言葉通り、売る方も、買う方も、そして利用する方にも良い結果(効果)が生まれる代表例の一つです。


―京の「しまつ」とは―

 京都でよく耳にする「もったいない」そして「しまつせなあかんえ」とはいったいどういう意味なのか調べてみました。

 まず、京都の人が言う「始末(しまつ)する」という意味は、「片付ける」「処理(処分)する」「始終をととのえる」という意味ではありません。広辞苑に載っている「始末」の中の「つつましやかにして浪費しないこと」に当てはまります。また「倹約」も該当するようです。

 祖母や母、叔母などの言葉や日常的にしていたことを思い出してみると、さらにいろいろな言葉や信条、生活の智恵的なことを見つけました。「使える間は使うてやらな」「ほかす(捨てる)のはいつでもできる。なんでも置いといたらいつか何かの役に立ちまっせ」「ほかすものは、おへん(捨てるものはありません)」「最後まで、ちゃんと使いよし(最後まできちんと使い切りなさい)」「もったいな!」「そんなんしたら、もったいないえ」等の言葉です。上記の言葉は、老人や両親(当時の大人)だけでなく、同世代の姉兄、従弟や先輩、町内の年長者からも言われたものでした。

 京都の「始末(しまつ)する」とは、ただの「倹約」とは違い、食材や物を有効に使い、無駄に捨てないように、「一工夫」加えて「使い捨て」ではなく「使い切る」ことのようです。このことは特に家計を担された「京の女」が心がけた「京のしまつ」の芯のようです。「京の衣・食・住」で捜してみました。


―「衣」のしまつ―

 昔から「京の着倒れ、大阪の喰い倒れ」という諺があります。この「着倒れ」とは、着るものに金をかけすぎて財産をなくすことで、服飾にできる限り贅(ぜい)沢をする京都人の気風を端的に表現したものです。しかし、このように衣服にお金をかけることができたのは、一部の富裕層の人々であったようです。

 「衣」のしまつの例として伝わっているのは、京都だけではないかも知れませんが、着物や帯を再利用したり、最後まで活用したことです。例えば、夕方(ゆかた)の布では、寸法直しで数代活用したうえ、赤ちゃんの「オムツ」(古い布ほど柔らかくて良い)、その後は下駄の鼻緒や竹籠の背負いの布紐(ひも)になり、最後は夏虫除けの蚊くすべに使われました。

 明治・大正・昭和初めの商家では、盆と正月の宿下り(やぶ入り・帰省)の時に、奉公人に夏物・冬物の新しい着物を着せる習慣がありました。その際、柄は男性女性を問わずどちらでも着られるものにしたことや、一人一人の採寸・仕立ではなく反物で買い、店の女中さんや若奥さんや娘さんが縫(ぬ)ったそうです。

 退職後「学校ボランティア」をしていた、上京区の「翔鸞小学校」には、西陣織の地域らしく大小数十枚の西陣織の「端切」や見本が貼られた、金屏風がありました。当然、学校の宝物とされ、入学式・卒業式の壇上を現役で飾っています。地域の誇りと共に、始末する心も伝わってきます。

 昔、織物の町「西陣」には「にばんや」という店があったそうです(露地の奥等の家で、看板もない)。貴重品であった絹糸の残りや余った物を集め、やりくりする所であったそうです。織子各家から集められた糸は、長短かつ色も様々であったようですが、綴(つづれ)織りの帯を織る時に、少ししか使わない糸を一からわざわざ染めずに、「にばんや」の色糸の中から探し出して使われたという話が伝えられています。(手間と余分な出費の節約)

 西陣地域で聞いた話ですが、昔機織りの際使っていた「足つぎ」は、椅子としての機能と、側面に空いた丸や四角い穴には余った糸や糸くずを入れたゴミ箱を兼ねたものだったとも聞きました。そして織物屋専門の、余り糸・くず糸の回収業者が存在したようです。それらの糸が集められたのが、「にばんや」なのでしょうか。


―「食」のしまつ―

 昭和三十年代に小学生だった頃の、我が家の野菜等食材の使い方に、ある一定の決まりごとというか、メニューがありました。例えば「大根」では、買った初日新鮮な時は大根おろしか人参との酢の物。二日目は田楽。三日目はおでん。四日目は冬であればかす汁といった具合でした。ひとつの食材から何通りのおかず(お惣菜)が作れるかが、その家の女性陣の腕の見せどころでした。

 京都では、普段家庭で食べるおかずのことを「おばんざい」と言います。漢字で「お番菜」と書き、このときの“番”には、番茶や番傘と同じく「普段の、粗末な」という意味があります。お番菜には次のような共通の約束ごとがあることもわかりました。

(一) 家庭料理として、町屋や京商家で伝えられてきたおかずのことをいう。

(二) 暦や年中行事に合わせて作られる料理がある。

(三) 食材を最後まで無駄を出さずに使い切る「始末する」という京町衆の心意気が込められている。

 以上の三つの約束ごとを見たとき、明治四三(一九一〇)年生れの父のことを思い出しました。彼は、小学校卒業後直ぐに、四条寺町上ル宝石商の商家に丁稚奉公に上がりました。そして三十三才で召集されるまで、その商家に勤め、生活をしたのでした。聞いた話では「食事は毎月同じ日になると、同じ献立が出された」こと。「新入りの丁稚から古株の大番頭まで、奉公人全員一堂に集まり同じ席で同じ献立の食事を摂るのが常であった」こと(ただし夕食は、早々に軽く済ませ、番頭仲間で好物を食べに行ったとのこと)。「月末には必ずおから料理が出て、毎月のことで好きになれなかった」こと(八七才で死去するまで、おから料理が嫌いでした)。「正月の祝い膳の頭(かしら)芋。暑い土用に出されたとうがん入りのくず湯。この二つは、奉公人全員でっち泣かせと呼んでいた」こと等を思い出しました(正月の出世のための頭芋は、雑煮碗一杯の大きさで、肝心の餅はほんのわずかであった。また、夏土用のとうがん入りのくず湯は、主人や奥さんから「たくさんあるし、たくさんおあがり。おかわりしてや」と言われても、熱くて食べられないくらいの代物(しろもの)だった)。

 おから同様、「頭芋」も「とうがん」も嫌っていた父を思い出し、「京のしまつ」の当事者だった、いろいろな立場の人のことに思いをはせることができました。

 おばんざいの「決まりもん」

@ 毎月一日「ニシンとこぶのたいたん」

干物の身欠ニシンと刻みコンブを甘辛く炊き合わせた料理です。込められた意味は「月初めに、新しい月を無事に迎えた感謝と共に「今月も渋う、こぶう(しぶってケチって)暮らしましょう(励みましょう)」という心で食し、商売繁盛に更に精を出すよう心掛けたそうです。

A 毎月八日「オアゲとアラメのたいたん」

水にもどしたアラメとオアゲ(油あげ)を一緒に炊き上げたものです。「たいたん」とは、京都の言葉で「煮物」を意味します。八の付く日との関係は、コンブの仲間のアラメは末広がりのゲンを担ぎ「先行き良し」「商に芽が出るように」「よろこぶ」「病人、ケガ人が出ないように」という願いを込めて食べたようです。

B 毎月末の「おからのたいたん」

おからにニンジン・青ネギ・油あげ等を入れて煮たり炒ったりした料理です。月末はお金の出費が多く、財布が空になりがちなことから「お金やお客さんが途切れず、沢山入る(炒る)ように」と縁起を担いで食べました。

また、おからは包丁を使わず調理ができるため、「切らず」が転じて「きらず」とも呼ばれました。これには「お金の縁や人との縁が切れない」という意味が込められているそうです。

以上の「決まりもん」は、日々の献立や節句や行事の準備に悩まず、手間隙をかけない

合理的な暮らしの智恵となり質素倹約に役立ちました。


―「住」のしまつ―

 「学校ボランティア」をした際、六年生と校区の「町屋」調べをして気づいたことがありました。それは、京町屋の建築様式には、自然と共に暮らす智恵とともに工夫が多く組み込まれていることです。町屋の材木は寸法が規格化されていて接着剤など使わず組ばらしができることから、新築の際にも古材を再利用するなど繰り返し使うことができる「もったいない」と「しまつ」の現れ技法なのです。

 また、木材や建具などは徹底して地域の材を用い、やがてすべて自然に帰るものでした。「地産地消」「エコライフ」の典型が「京町屋」なのです。

 地域の「京町屋しらべ」で、子ども達が気づき感心した代表的なものを紹介します。

@ 坪庭・玄関庭

東山、北山、西山と三方を山に囲まれた「京都盆地」の夏。うだるような蒸し暑い夏を、立て込んだ町屋の軒を連ねて生活する京の町衆にとって、夏を健康的に過ごすことが最重要なことでした。「鰻の寝床」と呼ばれる短冊型の町屋。昼間でも家屋の中央部分は薄暗く陰湿になります。そこで考えつかれたのが、屋内に涼しい風を呼び込み、太陽の光を導くエコシステムとしての「坪庭・玄関庭」でした。

A 京塀

千百年近く日本の都であったこともあり、京都には「築地塀」をはじめ黒目板塀、土塀、石塀、紅殻塗のよろい塀などさまざまな塀が見られます。これはリサイクルの考え方を含め、あらゆる素材を駆使した工夫の上の作品です。

B バッタリ床几・揚げ見世(あげみせ)

室町時代に出現し、「洛中洛外図」にも登場する「棚でもなければ椅子でもない」妙なはね台です。京都独特のもので、商品の陳列台・作業台で、将棋打の台にもなります。脚を折りたためばドロボウ除けになり、軒下の軽四輪車輌向きの駐車場にもなる、多目的生活用具のナンバーワンアイデアのおすすめ品です(目下激減中)。

 
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