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特集 1 変わりつつある大学の現状と課題

今日の大学改革の特徴と課題



          佐藤 敬一(大学院生)
 

■今日の情勢の基本的特徴

 大学図書館は、節電のためといって午後八時には二階の電気を消してしまう。これでは、二階の本棚にある教育学や授業研究の本を借りることができない。大学にいても仕方がないから、学生や院生はさっさと帰ってしまう。まじめに勉強しても、授業実践にすぐに「役に立たない」研究は必要ないと言われた。教育哲学や教育史のようなものは、しなくてもいい、ということだ……。これは大学院生から聞いた、西日本のある教育大学の実態である。

 新自由主義的な大学改革は、近年いっそう加速化するとともにその矛盾は大学の危機として現われている。従来から乏しかった政府予算は実質的な削減と競争化が進んでいる。国立大学のばあい、二〇〇四年に法人化されてから、政府は運営費交付金を十年間に一五〇〇億円以上も削減している。非常勤講師の首切りや職員の非正規化は今や当たり前で、地方の小規模な大学では、老朽化した施設が立て替えられなかったり、図書費が大幅に減らされたりと、教育と研究の場が脅かされているのである。私立大学のばあいも事態は深刻だ。日本の大学の設置数と学生数の約七割を支えているのが私立大学にもかかわらず、一大学あたりで二〇倍以上、一学生あたりで一二倍以上の格差が国費支出をめぐって存在している。

 政府は大学の教育や研究に関する基礎的な予算を減らす一方で、政府や経済界の意向に沿った特定のプロジェクトのための競争的経費を増やしている。予算の確保のためには「役に立つ」教育や研究が優先され、「役に立たない」とされるものは放置されるか、悪くすれば廃止されてしまう。低い予算は、その分、学生の負担となる。現在、学生が一年目に払う学費(授業料の他に実験・実習費、教育充実費など)は国立大学で約八〇万円、私立大学で約一三〇万円に上る。これは、事実上、世界で一番高い学費である。


■大学改革は新たな段階に入った

 ここで近年の大学改革の歩みを振り返ってみたい。よく知られているように、現在の教育改革の出発点は一九八〇年代半ばの中曽根内閣時代の臨時教育審議会(臨教審)だが、この時は、大学改革については本格的に議論されていなかった。大学改革が本格化したのは九〇年代に入ってからである。第一段階では、国際化や多様化が追及されて、規制緩和のなかで大学の規模が拡大し、新た強い大学や学科の設立が相次いだ。このように書くと、良いことのように思えるかもしれないが、実際には、大学は内部から変質し、教育と研究に果たすべき政府の責任は回避されるようになっていった。

 第二段階では、大学審議会答申「二一世紀の大学像と今後の改革方策について」(通称二一世紀答申、一九九八年)や文部科学省「国立大学の構造改革の方針」(通称遠山プラン、二〇〇一年)が画期である。その内容は、グローバルな競争のなかで、民間的発想の経営原理や競争原理を持ち込み、外部評価をテコにして大学の教育・研究内容の改編を迫るものである。歴史的に見れば、大学改革は本格的な新自由主義の段階に入ったと言える。

 さらに、二〇一二年頃より、大学改革は第三段階に入ったとわたしは見ている。これまで文部科学省主導で進んできた改革が、官邸主導の「国家戦略」として、より経済界の意向に結びついたものへと変化したのである。二〇一二年の「大学改革実行プラン」や翌年の「国立大学改革プラン」は大学や学部の機能分化や再編を視野に入れ、大学を経済界に奉仕するための人材を供給する機関にすることを狙っている。こうした構想を実現するために、まず法律面での環境整備が行われた。改革を実行するための学長や理事者のリーダーシップ強化を目的として、一四年に学校教育法と国立大学法人法の改悪が行われ、去年四月に施行された。


■去年から今年にかけての注目すべき動き

 新しい大学改革の動きは、学問の自由や大学の自治と民主主義を本格的に破壊する形で進んでいる。去年から今年にかけての注目すべき動きを見てみよう。

 その一。二〇一五年四月の安倍首相が国会答弁で「(国立大学が)税金によって賄われているということに鑑みれば新教育基本法の方針にのっとって正しく実施されるべき」と述べている。これを受けて、六月に下村文部科学大臣(当時)が国立大学に入学式や卒業式等での「日の丸」・「君が代」を求めた。現在の馳大臣も、二月に岐阜大学の卒業式で国歌斉唱を行わないことについて「国立大として運営費交付金が投入されている中であえてそういう表現をすることは、私の感覚からするとちょっと恥ずかしい」と発言した。

 その二。同じ六月に文部科学省が出した通知では、国立大学に対していっそうの改革推進を大学の要求し、人文・社会科学系の廃止・縮小を項目に掲げた。こ大学改革が官邸主導で進もうとしているなかで、文部科学省が主導権を握りかえそうとして、さらなる暴走をしたのではないかと、わたしは見ている。

 その三。二〇一五年度から防衛省による軍事研究費が大学に下りることになり、五八大学が応募して東京工業大など四大学や宇宙航空研究開発機構(JAXA)など計九件が採択された。宇宙の軍事利用については、二〇一二年にJAXA法が改悪されて宇宙開発を平和目的に限るとして条項を削除していた。法律面では、宇宙上・地上に関わりなく軍事開発は可能になっている。

 その四。十月に財務省が国立大学法人への運営費交付金を私立大学なみにまで削減する構想を発表した。この予算削減には文部科学省も反発したものの、自民党や公明党は反対する踏み込んだ発言をしていない。これまで財務省は、曲がりなりにも「改革」のための予算削減だと主張していたが、予算削減のための予算削減を主張するようになったのは、明らかに異常事態である。

 こうした動きの問題点は、国家主義と新自由主義を巧みに織り交ぜながら、教育と研究をねじ曲げ、自由と民主主義をないがしろにする点である。その際に、政府や経済界の「役に立つ」、「役に立たない」が判断材料とされている。今年二月に政府は「指定国立大学」の創設を狙って、国立大学法人法の改定案を国会に提出した。この法律が通れば、旧帝国大学に予算を集中的に配分して政府の意向を受けたグローバルなトップ・エリート大学をつくり、その他の大学を序列化してさらなる予算削減を行うだろう。そうすると、進学の機会は不平等化し、学費もいっそう高くなることは疑いない。それは、次に見る大学生・大学院生の実情から見て、あまりに悲惨な結果を招くことが容易に予想できる。


■大学生・大学院生をめぐって

 大学生・大学院生は高学費に加えて奨学金制度の不十分さにも苦しんでいる。日本学生支援機構(旧・日本育英会)の奨学金はすべて貸与制であり、このうち七割は利子を付けて返済しなければならない。家計が厳しいなかで学生への仕送りは十年間で三―五割減少し、大学生の五割が何らかの奨学金を借りるようになった。借入額は、学生では二〇〇―三〇〇万円が一般的で、大学院生では借入総額は四人に一人は五〇〇万円以上、一〇人に一人は七〇〇万円以上もの額が事実上の「借金」としてのしかかっている。しかも、厳しい雇用情勢下では卒業後の返済もままならず、滞納者のほとんどは経済的厳しさを理由として挙げている。追い打ちをかけるように取り立て強化も進められ、いまや奨学金は政府による「ローン事業」と化した。財務省の国立大学への交付金削減計画は、単純計算で四〇万円の学費増となり、この状況に追い打ちをかける可能性が非常に高く、断じて容認できない。政府は二〇一二年に留保を撤回した「国際人権規約」社会権規約一三条の学費の漸進的無償化に向けた、具体的な行動を起こす責任がある、とわたしは訴えたい。

 学生・大学院生をめぐる厳しい経済環境は、大学生・大学院生の働く権利・学ぶ権利を侵害している。就職率は一時期に比べて改善したものの、若者の非正規雇用率は高く、違法な労働を強いる「ブラック企業」の問題も深刻である。そのため、若者の経済的自立の見通しは極めて不透明であり、結婚や出産をたくさんの人が諦めるなど、一人一人の若者の尊厳が侵されている。また、就職活動時期の変更による中小企業への就職環境の悪化や「オワハラ」問題も見逃せない。さらに、厳しい経済環境は大学および大学院への進学の機会を奪い、また長時間のアルバイトよって学習の時間も奪っている。厚生労働省の調査は、六割もの学生がアルバイトをめぐってトラブルの経験を持っていることを明らかにした。こうした学ぶ権利の侵害は教育と研究の質の低下を招いており、歴代のノーベル賞受賞者も基礎研究分野の弱体化を危惧する声をあげている。実際に、大学院生の数は二〇一一年をピークに四年間で約一割も減っており、高度な専門職や将来の教育・研究の担い手が育たないことを懸念している。


■高まる大学関係者の声と運動

 「軍学共同」には六割以上の研究者が反対しており、国立大への交付金削減には中央教育審議会や国立大学協会も反対の声を上げた。「文系廃止」通知には経済界からも異論が出されている。こうしたなかで、世論と運動の広がりは新たな展望を切り開いている。例えば、厚生労働省は「ブラックバイト」の調査を行い、結果を公表した。加えて、文部科学省による大学での授業・研究補助アルバイトに関する調査が現在準備されている。また、不十分な点を含んでいるものの、就職活動時期の再見直しを日本経団連が発表したことも注目される。あまりに酷い非常勤講師の首切りで「ブラック早稲田」とまで呼ばれた早稲田大学では、非常勤講師の労働組合が結成され、解雇の撤回と賃上げを勝ち取るまでに至った。

 ここまで見てきたような大学改革をめぐる矛盾と、大学関係者や国民の運動の高まりは政府や支配勢力も認識しているようである。最近は選挙目当てと思われる発言が相次いだ。例えば、おおさか維新の会は、学費を無償化するために憲法を改正しよう、と訴えている。言うまでもなく、現在の日本国憲法の範囲内で学費の無償化は可能であるし、学費無償を目指すなら先に法案を国会に提出することができるはずである。また、安倍首相は二〇一六年度予算が成立した直後に、給付制奨学金の設立を目指すとする発言を行った。もちろん、今年度予算案にそんな文言は一言もない。しかし、大学関係者は決して騙されない。

 昨年の安保法制をめぐっては、学者・研究者や学生・大学院生のあいだで反対運動が大きく盛り上がり、「有志の会」は四二都道府県一三〇以上の大学に広がった。九月の地方公聴会で広渡清吾・日本学術会議会長の「反知性主義」という批判は多くの大学人の共感を得た。それは、戦争の危機が大学をめぐる矛盾と危機と結びついているという自覚に現われであると言えよう。大学改革に対抗する自由と民主主義の回復は、今日の大学人の切実な要求である。現在、少なくない地域で、大学関係者は野党共闘のために積極的な役割を果たしている。

 最後に指摘しておきたい点がある。それは、大学の自治や学問の自由の破壊は、単に大学関係者の問題にとどまらないということである。欧米の憲法典では、学問の自由とは思想・表現の自由の一部とされており、一人一人の市民が自由にものを考え、発言することと深く結びついていると理解されている。別の表現をすれば、今日の大学の危機は社会の危機の一部であり、大学は社会との正しい結びつきを通じてのみ、新しい展望を切り開くことができると言える。「役に立つ」「役に立たない」を決めるのは政府でも経済界でもない。わたし、や、あなたたち、一人一人の市民が決めるものである。

【付記】本項は第四六回京都教育センター研究集会の「基調報告」の「5 大学改革問題」を加筆したものです。

 
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