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私と京都
過去への尊敬


* 張 鴿(ちょう こう 中国山東省出身)
 

 振り返ってみると、京都にいる時間があっという間に過ぎ、研究期間の一年間がそろそろ終わりに近づいた。一年間は短いが、すでに京都に深い感情を抱いたものだとしみじみ感じられる。その中で絆になったのが京都コンサートホールだろう。

 京都に来たばかりの時、たまたま京都コンサートホールのフリーコンサートに行った。それをきっかけにその後も通うようになり、毎月コンサートホールへ行き、クラシック音楽の世界に浸り、その中の愛とか、美とかを感受しながら、天国へ行ったような気分になり、これは最高のリラックスだと今も楽しんでいる。

 11月22日、比叡山へのハイキングのあと、疲労を気にせずにまたコンサートホールに行った。京都府立大学ギターマンドリンクラブ第47回定期演奏会が賑やかに開催された。今回のコンサートは前回の主な聴衆が高齢者だったのと違い、若者でいっぱいで、活力に満ちたホールへ一新したように感じられた。マンドリンの優美な音の中で、眠りを誇われ、目の前に子供の時代からのことが一幕一幕素早く閃き、映画を見るような幻覚がした。時には軽く、速く、力強いリズムで、時には緩やかで甘く、柔らかい旋律で、何という曲かなぁとふっと目が覚めて、序曲「過去への尊敬」(L.M フォークト作曲)だとわかった。「過去への尊敬」だ、道理で先ほど夢を見たように子供の頃からの映像が次々現れ、この曲の中身とぴったりなものが浮上してきたのだ。

 私は中国山東省の小さい町に生まれ、そこはコンサートホールもなく、子供の時代から楽器を練習するチャンスもなく、過去を思い出しながら、なんとなく残念な気持ちになり、本を読む以外に何の特長も持っていないことが心の中で口惜しいことだとずっと考えている。しかし、この曲の名前を見てから、いきなり悟ったように心の曇りが一気に晴れた。過去への無念だけを気にして、残念な過去を考えながら生きていくことは、今の生活も台無しにしてしまうことにならないか。過去への無念より、過去への尊敬を認識すべきではないだろうか。過去の20年間、たゆまずに頑張ってきた私がいるからこそ、今の私がここまでたどり着いたのだ。

 過去の千年の蓄積があるからこそ、京都は世界中で魅力的な古都になった。過去への尊敬があるからこそ、古都の精神が時代を問わずにしっかり伝承されてきて、京都が世界一番の観光都市になったのではないか。人とか、都市とか、または社会や国とか、みんな同じではないだろうか。何でも過去を土台として今を築き上げたのだ。過去のことを尊敬しないと、自分は何者なのかわからなくなるのではないだろうか。過去のことを考えたり、反省したりして初めて、これからの進路がもっと迷わずに明るくなるだろう。

 平和学を学んでいる一人の大学生がフェースブックの中で「多くの日本の学生にとっては歴史を勉強することが重要ではないと思う。今の勉強は試験を受けるため、大学に入るためだけだ。実は世界史だけではなく日本史さえも知らない人もけっこういる」と書き込んでいたのを思い出し、この先についてちょっと不安になる。やっぱり過去への尊敬がないと、今の生活も大事にしないだろう。個人にとっても、都市にとっても、国にとっても、過去への尊敬をもう一度反省しないと、そのかけがえのない歴史遺産が無視されてしまうことになる。これで本当にいいのだろうか。(立命館大学・国際地域研究所・客員研究員)

 
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