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連載 情勢ナビ
沖縄と米軍基地問題−未来に米軍基地はいらない!−
「悲惨な戦争に繋がる米軍基地は京都にも日本にもいらない」

* 篠原 真弓(京都安保破棄事務局長)
 

 沖縄は、第2次世界大戦がはじまるまでは、日本軍も駐留しない島でした。はじめて軍隊が本格的に駐留したのは、1944年、第二次大戦で日本の敗色が濃厚になり、天皇制を護持するために沖縄を「決戦場」にすると天皇制政府が決めたときでした。

 日本軍配備により、日本の中でただ一つ住民を巻き込んだ地上戦がたたかわれたところになりました。1945年3月末から沖縄戦が終わったと言われる6月23日までの戦闘は、使われた砲弾の多さから”鉄の暴風”といわれており、言語に絶する苛烈(かれつ)なものでした。その結果、米軍に11万数千、日本軍に約9万の死者がでました。同時に、県民の4人に1人が犠牲になり10数万人が命を失いました。

 米軍は読谷、嘉手納、北谷に上陸し海を埋め尽くす1500もの艦船、18万の兵員、後方支援部隊を含めると54万人という太平洋戦争最大規模の作戦でした。読谷村付近に上陸を始めた米軍は、3日後には中部一帯に進み、主力部隊は、さらに南を目指しました。その先に、嘉数高台はありました。

 嘉数高台に戦争遺跡、トーチカが今も残っています。圧倒的な物量のアメリカ軍を食い止めるため、分厚いコンクリー卜で固めた日本軍の小さな攻撃拠点です。陣地づくりには、嘉数集落の多くの住民が駆り出されました。

 嘉数高台をめぐる戦闘は、15日間続き、集落も戦いに巻き込まれました。

 「この嘉数高台には京都出身者の将兵2530名余りの人が、郷土を想いつつこの地で倒れた、又、多くの沖縄住民も運命を共にされたことは、まことに哀惜にたえない。」(昭和39年建立の京都の塔の碑文より)



 この沖縄戦に勝利したアメリカ軍は、生き延びた住民を県内の16箇所に設けられた収容所に入れ、無人となった沖縄の地に日本本土攻撃の準備のための巨大な基地の建設に着手します。

 この時アメリカ軍が基地に選んだ土地は、広大な平地、そして見晴らしの良い高台がある場所です。それが普天間基地のある場所です。軍事的に有効性があることがその理由でした。

 1950年代には住民に銃剣を突き付け住居や農地を奪い、基地を拡張しました。いずれも占領下の民間地奪取を禁ずるハーグ陸戦条約(戦時国際法)46条違反です。

 その後、米軍は基地のために必要な土地を確保した上で、不要な土地は住民に返します。基地のために土地を奪われた住民はアメリカが指定する地域に移住するしかありませんでした。

 飛行場を設営した際には、飛行機の離着陸時の墜落等の危険を回避するため緩衝地帯という、十分な余白地帯を作らなければなりません。しかし、アメリカ軍は不要な土地を返すだけで緩衝地帯を設定しなかったため、飛行場のすぐそばに住宅が設置されてしまうという危険な状態が出来上がってしまったのです。

 市街地の真ん中にある、「普天間基地」は、住民は日常的に墜落の危険と爆音などの被害にさらされています。1980年代以降、歴代の県知事が訪米して返還を米側に“直訴”してきたのも住民の強い要求があったからです。不法に奪い取った土地は返すのが当然であり、「移設」を認めなければ返さない態度に一片の道理もありません。

 県民の怒りの火に油を注いだのが、1995年に発生した米海兵隊員らによる少女暴行事件です。米軍の蛮行に県民の怒りが爆発し、8万5000人が参加して県民総決起大会を開くなど、「基地をなくせ」の声が大きく広がりました。

 1996年に日米両政府は普天間基地の「移設条件」付き返還などを決めたSACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意を発表。現在の辺野古新基地問題の出発点になりました。

 このような経過を経た普天間基地撤去と辺野古新基地建設反対のたたかいは2014年の知事選では前回知事選の「県内移設反対」という自身の公約を投げ捨てた現職に対し「今や米軍基地は沖縄経済発展の阻害要因だ。政府が強行する辺野古新基地建設に断固反対する」と述べた「元自民党県連幹事長」でオール沖縄の翁長さんが歴史的勝利をしました。翁長さんは前知事が2013年に行った名護市辺野古の埋め立て承認を2015年10月13日に取り消しました。

 翁長知事は、第三者委員会の検証結果を受け、「関係部局で承認内容を精査したところ、取り消すべき瑕疵が認められ、取り消しが相当であると判断した。今後も辺野古に新基地を造らせないという公約の実現に向け全力で取り組んでいきたい」とのべました。

 翁長知事の決断は、名護市長選、県知事選、総選挙などで繰り返し示され、動かしがたいものになっている沖縄県民の「新基地建設ノー」の総意の実現にむけた歴史的な英断です。

 これに対し国・防衛局は法を無視して強権的な姿勢で辺野古新基地建設を強行しています。この暴政にたいし沖縄県民はオスプレイ配備撤回、普天間基地の閉鎖・撤去、辺野古新基地断念の「建白書」実現へ全県民的な幅広い運動を統一的に展開する「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」を結成しました。「オール沖縄会議」は、裁判闘争支援や辺野古現地への支援活動、大規模な県民集会の開催、全国と世界に理解を広げるための活動に取り組むとしています。この運動をおおいに励ましオール沖縄をオールジャパンに発展させ戦争法廃止、京都の米軍基地撤去のたたかいとあわせ「米軍基地は沖縄にも京都にも日本のどこにもいらない!」声を京都から発信しよう。

 
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