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特集1 これでいいのか、京都市のまちづくりと教育


学校跡地の民間活用の乱用は京都のまちを破壊する

                 室﨑 生子(子どもの発達と住まい・まち研究室)

 

元清水小学校がホテルに?

 清水寺に向かう五条坂の中腹に元清水小学校がある。傾斜地を生かして建つコの字型プランの中央階段から校庭を見下ろせる魅力的な校舎だ。東山区北部の5小(前7小)2中の大規模統廃合でできた施設一体型小中一貫校開晴館(2011)の開校により跡地になった。今年7月、市は元清水小を定期借地権方式で50-60年貸与しホテルかブライダル施設として活用する事業者の募集を始めた。10月初旬に応募締切り、後は選定委員会(5人)で業者が特定される。一体いつホテル等に決まったのか。3月の広報によれば、「市民提案制度」により5社(ホテル3社ブライダル2社)から提案があり、いずれも着手の条件をみたすので決定したという。するとこの時に地元への事前相談があったと思われるが、地元での合意形成ははかられていず住民はホテル化の話に驚いていた。地元の合意なく民間活用を推し進めていけば、京都のまちがコミュニティ単位で崩壊する。


学校統廃合の経過と問題

 学校跡地を生んできた学校統廃合は1980年後半から始まる都心部小学校とそれに接続する中学校の統廃合を推進してきた前期と、2000年後半からの小中一貫校という名の統廃合推進の後期に大別される。どちらの時期でも市教委主導で巧妙に地元の要望、地元参加を演出して進められた。また、前期は冊子「学校は今・・・」(1988)で小規模校は目がゆき届くが切磋琢磨されない、競争のない教育環境でいいのかと親の教育不安に訴えた。後期も冊子「すべては子どもたちのために(2009)」を作成し、中1ギャップを解消する優れた教育環境だと小中一貫校を提案した。品川区が日本初の施設一体型小中一貫校日野学園(2006)を誕生させると、市は競うように翌年には施設一体型小中一貫校を花脊(2007)で実現し、その後、体制を整えて東山区で施設一体型小中一貫校に着手した。

 統廃合の理由だった小規模校の教育環境が劣ることも、中1ギャップの解消も証明はされていない。それでも市が強引に推進するのは統廃合の真の狙いが校舎の建替・補修費の節減、教職員人件費の節減などの財政効率化と、都心部の跡地資産取得にあるからである。行政はそのため統合にあたっては少しぐらいの譲歩(開校当初の加配教職員、スクールバスの運行等)をしても遂行する方針で臨んでいる。

 都心部小学校統廃合では御所南小学校の大規模校化、地域格差・学校間格差を生じるなどの問題が明らかになっている。また、6年生が離れた中学校校舎で学ばねばならない小中一貫校の矛盾や校区の広域化で子どもの地域生活が奪われているなどの問題が生じている。

 2015年1月に文科省は「学校統廃合の手引き」を出し、標準(12~18学級)以下に対して対応を細かく決め、適正配置をバス1時間以内まで緩和するなど統廃合を強力に推進する姿勢だ。が、一方で標準の機械的適応をせず保護者や住民の意向を尊重することを求めている。つまり、強引な統廃合でなく学校・地域の将来を考えるべきだという国民の声を無視できなくなっているともいえる。


跡地活用方針の変化

 京都のまちになじまない利益優先の経済活動に学校跡地を提供するようなことになぜなったのか。都心部学校統廃合による学校跡地については跡地審議会を設置し「都心部における小学校跡地についての基本活用方針(1994)」を作成した。その時の跡地活用は幼稚園、特別養護老人ホーム、老人デイサービス、在宅介護支援センター、総合支援学校、子どもみらい館、京都芸術センター、京あんしん子ども館、京都国際漫画ミュージアム、学校歴史博物館、ひと・まち交流館京都など京都市事業中心であった。当時は跡地を地域住民の財産として配慮し、売却や民間活用には歯止めがかかっていた。とはいえ、跡地の活用をまちづくりとして住民が取り組むという方針はなかった。

 後期になると財政節減だけでなく利益をあげよと資産活用推進が強化される。全資産対象に売却や転用推進が提言された(「京都市の行財政改革に関する提言(2010)」)。それをうけ学校跡地も「学校跡地活用の今後の進め方の方針(2011)」では、民間活用へと舵が切られた。そして市は「京都市資産有効活用基本方針(2012)」のもと「市民等提案制度」を創設し民間活用の条件を整えていく。この制度による初の跡地活用は元弥栄中学校だった。公益法人日本漢字能力検定協会に60年間の定期借地権方式で貸付られ、「漢字博物館・図書館」が開館予定(2016)である。今年4月になると、学校跡地は市教育委員会から行財政局資産活用推進室に移された。さらに6月には「事業者登録制度」を導入し、活用希望の事業者のニーズ集約を図っている。この時事業対象跡地として15の元小学校(西陣、聚楽、待賢、立誠、教業、格致、有隣、安寧、植柳、白川、新道、清水、今熊野、陶化、新洞)が公表された。リストに挙がった元学区住民はこのことを知っているだろうか。


跡地活用にどう取り組めばいいか

 都心部学校統廃合推進のさなか、学校跡地に対して「学校統廃合を考える会」は「より良い京都の子どもの未来とまちづくりのために統廃合校の再利用計画(案)」を提示した(1993.6)。計画(案)は次の3つの考え方を柱にしていた。1994年の跡地活用方針でも、1と2の考え方は示されず、3の地域コミュニティ活動への配慮も集会所や消防器具庫機能の維持に限られていた。「学校統廃合を考える会」の跡地に対する考え方は今も通用するし、一層重要性を増したといってよい。

 私たちの目指す跡地活用(当時は再利用と表記)の3つの考え方についてみてみよう。

<各考え方の説明は今日の実態をもとに記述している。>

1. 将来、住民が希望すれば、いつでも学校に戻すことができるようにする。

 小規模校が教育環境として劣るという根拠はなく、むしろ子どもの自主性や意欲を育てると見直されている。人間発達を阻害する競争教育より一人一人を大切にする小規模校に戻す選択があってもよい。御所南小の大規模校化に対しては元春日小跡地を小学校にすることになった。広域化した学区の再調整や学校復活という選択を我々が持っていると認識していることは重要である。

2.もともと子どものための空間であったことを尊重して、再利用にあたっても子どもの施設を含むこと

 不足している乳幼児から青少年までの居場所や子育て支援の場など、安心して子どもを産み育てられる環境づくりに活用する。学校は教育施設であっただけでなく、放課後の貴重な遊び場であった。大規模統合による子どもの放課後生活への影響は深刻である。友達がふえたが友達が遠くて遊べず、通学に時間がかかり、遊び時間が減っている。統合前の3年生は「ほぼ毎日」と「週3-4日」遊ぶが6割だったが、統合後の3年生は「ほぼ毎日」と「週3-4日」遊ぶは2割5分に減少した。京工繊大藤川陽子教授は遊びが対人関係の素地と指摘している(2015、9・5京都新聞)。遊べなくなるほどの学区の広域化は問題だ。せめて身近な跡地には遊び場が必要だ。

3. 住民によってつくられてきた事実を尊重し、住民の自治とコミュニティの核になるよう再利用すること

 学校跡地の活用は元学区のまちづくりとしてとりくむ。住民にはまちづくり権があり、それが尊重され、住民主体のまちづくりが進むように市の支援を求める。市が進めてきた地域有力者を取り込んだ形だけの地域の合意は許されない。


おわりに

 学校跡地は住民の貴重な財産で京都のまちをつくってきた地域自治の拠点であり、営利を目的にした民間事業者に貸与するのは論外である。少子化や最新の教育環境整備のためだから統廃合もやむをえない、財政難だから跡地売却谷民間活用も仕方がないと思い込まず、とことんよい方法を考え出す努力が大切ではなかろうか。教育する権利もまちづくりの権利も私たちは持っている。地域と学校をどうするかを決めるのは私たちだ。


参考資料

1.「学校跡地の切り売り」  池田 豊 ねっとわーく京都 2015,10
2.「大規模な学校統廃合による子どもの地域生活の変化に関する研究」森本めぐみ 大阪市大2013年度修論 2014。2
3.「統廃合校の跡地・校舎は地域のコミュニティ空間として再利用を」学校統廃合を考える会 提案ちらし 1993。6

 
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