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特集1 これでいいのか、京都市のまちづくりと教育
●総論 子どもを真ん中に新しい京都市政を!



(1)アベノミクスと一体化した学校跡地利用

                 池田 豊(京都自治体問題研究所事務局長)

 

■門川京都市長が本音で語る学校統廃合効果

 今年5月19日、安倍首相に教育提言を行う諮問機関の教育再生実行会議第3分科会で「教育投資・教育財源の在り方についての自由討議」が開催されました。門川京都市長は京都を離れたせいか、饒舌に本音の発言をしました。

 「市民参加のもと、これまでから学校統廃合を徹底して実行してきました。この間、既に68校が17校に統合しました。京都は1000年を超える歴史と伝統がありますので、その中には在日韓国朝鮮人の方がたくさん住まわれる。あるいは被差別、かつての同和地区と言われている地域もございます。 そういう背景も超えて学校統合が地域住民やPTAの方々の主体的な議論でどんどん深まっている。この財政効果は、年間学校運営費が22億円減っている。そして、学校の施設の改築経費は441億円削減されている。また、学校が適正規模になることで教職員が358人減り、人件費は年間32億円減っている。5校を1つの小学校にする、あるいは4校を小学校3校と中学校で、4校1つの小中一貫校にする。その場合、校長先生1人です。養護教諭1人です。事務職員1人です。プールの大きさも25m、一緒であります。講堂の大きさ、体育館の大きさも一緒であります。これが、いかに財政効果が大きいか。」

 学校統廃合の目的、結果、その財政効果について誇らしげに東京で語りました。その姿からは、長年歩んできた教育公務員としての教育に対する情熱も、教育論も感じ取ることはできません。この姿勢が現在の学校跡地問題をめぐり、アベノミクスの京都における最も忠実な推進役としての役割を与えています。

 小・中学校68校を17校まで減らし、現在は小学校170校、中学校75校となっています。市内中心部に広大な学校跡地が生まれ、その活用をめぐっては、単なる教育の問題をこえて地域社会のあり方、まちづくり、防災問題など京都のあり方そのものを問う問題となっています。小論では学校跡地問題の変化と背景について概括します。


■第一期 「都心部小学校」 1992年〜2007年

 92年の洛央小学校に始まり、高倉小、洛中小、御所南小、梅小路小、西陣中央小、新町小、二条城北小開校までの、「都心部小学校」と言われる上京区、中京区、下京区の小規模校である番組小学校の統廃合(28校から8校に)と、それらの小学校からの受け入れ中学校ともいえる03年の御池中学校(6校)、07年下京中学校開校(5校)までは学校跡地問題の第一期といえます。

 当初の跡地利用は、1994年8月の「都心部における小学校跡地の活用についての基本方針」で定められ、その対象は廃校となった「都心部小学校」20校でした。

 基本方針では「当時新たに編成された自治の単位である『番組』ごとに小学校開設を競った町衆の思いは、『人づくり』による京都の再興であった。したがって、小学校跡地の活用に当たっては、こうした創立に込められた京都再生への思いや、地域の中心として今日まで地域ぐるみで育成し、そしてこのたび、子供たちの教育の充実を目指して、小学校の統合という学校創立以来の英断がなされてきた歴史的経過について十分配慮することが重要である」と述べられています。

 そして、①京都市の事業として行う、②地域コミュニティ活動に配慮した活用、③市民、市会、学識経験者等で構成する「跡地活用審議会」設置、などを決めて具体化の際の適合性等の検討をしながら推進してきました。この基本方針に沿って、10校の跡地を医療、福祉、介護、芸術、など地域に密接し、歴史と文化を反映させた施設をつくりました。


■第二期 「小中一貫校政策」と財政危機

 学校跡地問題の性格を大きく変えたのは、リーマンショック後の財政難と、京都市教委による施設一体型の小中一貫校政策でした。小中一貫校推進は「都心部小学校」以外に中心区小中学校で大量の跡地を生み出しました。

 11年から14年にかけて、東山区では、開晴小・中学校(7小学校と2中学校)、東山泉小・中学校(3小学校と1中学校)、南区では凌風小・中学校(3小学校、1中学校)が開設されました。東山区では4年間でなんと10小学校が消滅し、現在は統合された2校が残るだけとなってしまいました。

 いまだに「有効活用」の道が見いだせない10の「都心部小学校」と、小中一貫政策により大量の学校跡地が生じることになり、京都市と市教委は、従来の「都心部における小学校跡地の活用についての基本方針」を大転換しました。

 11年9月、4年間休会していた「跡地活用審議会」を再開。わずか1ヶ月で、①活用対象を「都心小学校跡地」から、すべての小・中学校跡地とする、②民間事業による活用を認める、③跡地活用審議会を解散することを決定しました。11月には新たな「学校跡地活用の今後の進め方の方針」を策定し、財政難を理由に学校跡地の切売りへと大転換しました。


■市有財産は「経営資源」

 門川市長は「京都未来まちづくりプラン」の中で「保有資産の有効活用により財源を確保」することを決め、二期目の当選を決めると12年6月には「京都市資産有効活用基本方針」を策定しました。

 そこで初めて、市民の財産である京都市の資産活用にあたって、「資産」は「経営資源」であること、そして経営学・経済学の用語である「機会損失」という考え方を導入しました。市は売却可能な未活用資産をリストアップし、「貸付・売却により、他の公的機関や民間を主体とする事業も含めて検討」さらに「財源確保という観点からも、積極的に売却を進め、社会全体で有効に活用する」として、市民の公的財産を民間の利潤獲得の手段として活用することを強力に推し進めることを決めました。

 同時に一刻も早く「有効活用」するために、「市民・事業者からの提案制度」を決め、翌7月には「学校跡地に係る市民等提案制度」を策定、今回の清水小学校跡地の民間事業者によるプロポーザル方式採用の根拠となりました。


■第三期 「資産切売り」市政推進とアベノミクス

 学校跡地の民間への切売りの具体的推進は、14年3月策定の「京都市公共施設マネジメント基本方針」により一気に加速しました。市の公共施設をリストアップし、公共建築物と公共土木施設に分類してマネジメントをする方針を策定しました。

 京都市の所有する建築物は施設数が約1450施設、総床面積が約485万㎡、学校は約169万㎡(約35%)最も大きな面積を占めています。基本方針では①長寿命化、②廃止を含む保有量最適化、③有効活用の3つの方向性が示され、学校跡地は有効活用の最重点として位置づけられました。

 同時にこの方針を後押したのが、安倍政権の成長戦略、地方創生でした。安倍政権は13年に「日本再興戦略-Japan is Back-」いわゆる成長戦略を策定、それを受けて国は「インフラ長寿化基本計画」を決定し、14年4月には全国の自治体に「公共施設等管理計画」策定を求めました。

 総務省は計画策定にあたって、14~16年度の3年間特別交付税措置、公共施設等の除却に対する地方債の特例措置など様々な財政措置による政策誘導をしかけています。

 京都市は同時並行的に進めてきた「公共施設マネジメント基本方針」を総務省の求める「京都市公共施設等管理計画」として位置づけアベノミクスと一体化しました。

 全国的には地方創生の名のもとで、公共施設の再編、長寿命化、廃止、売却等を通じて、地方再編をおこない、同時に民間活力の活用で、従来の大規模開発と合わせて、日本のすべての地域にICTや新技術の導入を図ろうというものです。


■学校跡地は「経営資源」ではなく、地域の社会的資源

 市内の中心区だけで10万㎡を超える広大な統合校跡地の活用は、市民と地域の財産として長期的な視点から、住民の自治意識を背景にした合意をもって進めるべきものですが、門川市政は「経営資源」として現金化活用の道を選択しました。

 この道はアベノミクスを積極的に呼び込み、地方自治体を経済利益優主義に変えることにほかなりません。今年4月、京都市は行財政局資産活用推進室を新設し、学校跡地活用の所管を移しました。

 人口3万9千、高齢化率31.5%、歴史と多くの観光資源に富む東山区では、4万㎡という甲子園球場を上回る規模の学校跡地が民間に開放されようとしています。すでに清水小学校跡地について京都市が提示した事業条件は、ホテルまたはブライダルです。

 地域には長年の歴史と、育まれてきた文化、人のつながりなど固有の財産と社会的な仕組みがあります。学校跡地は、地域住民と無関係な行政の「経営資源」ではありません。地域の社会的財産です。東日本大震災は地域の絆の大切さと、地域社会こそが防災力の要であり、復興の原動力、基礎単位となることを示しました。

 学校跡地や公共施設の再編、統合、廃止に対しては、住民が声を上げ自らの地域を考え協力する事が重要です。新たな住民自治を育て地域を創っていく絶好の機会といえます。






 
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