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■エッセー 私と京都

禅からの教え―鈴虫寺を訪ねて―



                  廖 珮吟(リョウ ハイギン) 台湾出身
 

 「リィーンリィーン」、和室に入ったら、発音の規則があるような、発音の規則がないような、鈴のような音が絶えず耳に入ってきた。それは、和室の中の、7000匹の鈴虫を飼う箱から流れでたクリアな音なのである。晩夏に、青緑のかえでと爽やかなシーンを構成している。今私は京都の西京区の鈴虫寺にいる。慌ただしい日々の中で、休息を求めて、山に囲まれている鈴虫寺に来て、散策しようと思っている。

 暑さはもうそんなにひどくないシーズンなのに、鈴虫寺の中の和室に、クーラーがつけてある。それは、なんと観客のために、クーラーを使用するわけではなくて、温度管理によって一年中鈴虫の生きやすい環境を作るものである。そして、私を含める参拝者みんなが、和室のテーブルの傍に座って、鈴虫説法を待っている。各席の目の前のテーブルの上に、お茶とお菓子が置かれている。後からの住持の面白い説明で分かるが、このお菓子は、「寿々むし(すずむし)」という、このお寺の特徴である鈴虫(すずむし)と同じ発音であるが、中には鈴虫は絶対に入っていない。それは、京都の禅寺の一つである鈴虫寺として、禅宗のしきたりで、参拝者をもてなすものである。

 暫く経つと、住持がやさしくて穏やかな声で鈴虫説法を始めた。鈴虫説法の内容は、主に禅の意味を伝達するものであるが、住持が分かりやすくて面白い言い方で説明したので、その内容は外国人の私にとっても、理解しやすかった。特に、その鈴虫説法の内容から、私は以下の三点の貴重な教訓を学んだ。

 第一に、鈴虫のリィーンリィーンの音で五感を研ぎ澄ますことで、心のゆとりを持つようになることである。人は日々様々な情報が飛びかうなかで、たくさんの刺激を受けて、かえって自分の感性が混乱してしまって、物事に対する判断も迷いを生じやすい。これに対して、住持は、自分って実は自然の分身であると提示して、自然に触れることを通して、五感を研ぎ澄まし、自分を取り戻せるものである、と説く。その通りに、鈴虫の音をゆっくり聞いて、私も何とも心が落ち着くように感じた。

 第二に、幸福はシンプルと直接に繋がるものである。鈴虫説法の最初に、住持はこのお寺の幸福地蔵に参拝する方法を紹介した。幸福地蔵様は、人に願い事を一つだけ叶えてくれる地蔵様である。どんな願いがあっても、幸福御守を持って、誠心誠意に自分の名前と住所、お願いを伝えれば、草鞋をはいた幸福地蔵がお願いを叶えるために、わざわざ歩いできて願いを叶えてくれるものである。人は常に欲張りなものであるが、たくさんの慾があると、つい何が一番求めるものであるかを見失って、悩みを生じるようになる。従って、幸福地蔵様への参拝を通して、その願い事への自問自答で、何が一番重要なのかを自分の中でクリアにして、自分のエネルギーをその願いに集中的に投入することこそ、自分が求める幸福と繋がることができるだろう。従って、幸せとは、あちらこちら追いかけるものではなくて、シンプルなことに専念する中で得るものである。

 第三に、行住座臥自分を正すことである。普段の忙しい生活の中で、人は常に生活を疎かにする部分があって、それは、生活の中の混乱の種とも言える。そこで、規則正しい生活に戻るために、まず生活の基本的なところ、つまり、行くこと、留まること、座ること、寝ることの立ち居振る舞いを正すことを意識して、自分の環境を清らかにさせて、自分の行動をキチンとすれば、生活も自然にリズムを創り出すだろう。

 京都に来てから、いつも京都の自然豊かな環境に魅惑されている。今回の鈴虫寺の訪問を通して、自然というものは、単なる観光の対象ではなくて、自然の中で、自分の生き方をも再認識するようになる。禅のことを通して、自分のことをよく知り、自分の居場所を自ら見つけて、自分を取り戻すことができること、それは京都の大きな魅力だと思う。

(京都大学経済学研究科博士後期課程)

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