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■情勢ナビ  戦争法案問題

「権力」の恐ろしさを記憶にとどめ、
日本国憲法を「我がもの」にする!



                  奥野 恒久(龍谷大学政策学部教授)
 

 「安保関連法案」は、憲法9条のもと、これまで政府自身が行使できないとしてきた集団的自衛権を行使できるようにするものであり、憲法にも立憲主義にも反する。加えて、後方支援活動を拡大させる点、PKOなど自衛隊の海外活動を拡大させ、かつ武器使用も拡大させる点で、実態としての戦争に参加する可能性が飛躍的に高まることから「戦争法案」と呼ばざるを得ない。2015年6月以降、圧倒的多数の憲法学者や内閣法制局長官経験者がこの法案を「違憲」と断じ、世論も「反対」が多数を占め(毎日新聞7月6日では、「賛成」が29%で、「反対」が58%)、保守政治家の重鎮たちも「反対」を表明した。「どんなことがあっても戦争をしない国に」というのは、保守や革新といった政治的立場を超えた、戦後の日本国民が築いてきた良識・見識であり、それが示されつつあるのである。

 ところがこの「戦争法案」、7月15日、衆議院平和安全法制特別委員会にて、与党が単独で採決を強行して可決し、翌7月16日に衆議院を通過した。安倍晋三首相は特別委の締めくくりの質疑で、「国民の理解が進んでいないのも事実だ」としつつ、「1960年の日米安保改定も国民の理解はなかなか進まなかった。PKO協力法もそうだが、その後の実績で国民から理解や支持を得た」と述べている。「国民の理解が得られなくとも、自分たちが正しいとするものは正しいのだ」と、論証抜きにいうのである。この政権がいかに独善的・独裁的で、主権者国民の意思を無視しているかは明らかであろう。だが同時に、数を持っている権力の恐ろしさを、まざまざと見せつけられたのも事実である。

 国会審議は参議院へと移る。憲法59条のいわゆる「60日ルール」により、参議院での審議を「消化試合」のように見る向きもないではない。だが、決定的な勝負は国民の主体的な声であろう。権力の恐ろしさを前にして諦めるか、声を上げ続けるか。このまま独裁政治を許していいのか、という問いに私たちがどう向き合うかである。「戦争法案」反対運動は、近年になく若い人の参加も多く、大きな広がりと盛り上がりを見せつつある。それが新たな運動のスタイルをつくりつつもある。(私の勤める龍谷大学でも、教職員と学生とが一緒になって集会を開催する準備を進めており、SNSを駆使した学生たちの情報伝達の速度は、「時代遅れ」の私にとって、驚くべきものである。)「安倍独裁政治」の暴走は、自ずと「沖縄辺野古問題」や「原発再稼働問題」等にも及び、それだけに「独裁政治NO!」で、新たな運動の広がりを生み出す契機も内在しているのである。

 与党政治家が怯むほどの圧倒的な「オール日本」の世論で、安倍政権を包囲し「戦争法案」を葬り去る。そうすることが、戦後70年の今年、「非軍事平和で行くのだ」という日本国民の意思をアジアの人々や世界に、さらには将来世代にも示すことになるはずである。だとするとこの闘い、日本国憲法を改めて「我がもの」にする闘いでもある。

 
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