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■特集テーマ 1 戦後70年、戦争と平和を考える

未来の子どもたちへ



                  藤原ひろ子(元小学校教員)
 

はじめに

 今年は、アジア・太平洋戦争終結から七〇年。日本は「ポツダム宣言」を受け入れ敗戦を迎えました。今日(こんにち)、日本国は国策を誤り、植民地支配を侵略によって、アジア諸国の人達などに、多大な損害と苦痛を与える「間違った戦争」を行ったと認識する事は、国際的にも歴史的にも決着がついています。

 ところが先日、五月通常国会で安倍首相と野党党首の討論をテレビで見て、私は驚くやら、あきれるやら・・・。安倍総理大臣が平気な顔をして、日本共産党の志位委員長に「私はまだ、ポツダム宣言の内容について、つまびらかに読んでおりません」と答弁し、過去の日本の戦争を、侵略戦争どころか「まちがった戦争だった」とすら言いません。

 まぁーっ!あきれましたね。そして、とてもとても心配でたまらなくなりました。

 安倍首相が今、強行を狙う「戦争法案」は日本中のどこにも戦争が無いのに、アメリカが世界のどこかで戦争をし始めれば、日本の自衛隊は、そこへとんで行って戦争をさせられるのです。こんな無茶苦茶な馬鹿げた事がありますか! 更にさらに、大変危険です!! こわいです!! じっと手を拱(こまね)いて見ているわけにはまいりませんよ。


戦前の小学校

 私は今八九才です。一九三三年に、第二衣笠尋常小学校(現、京都市立大将軍小学校)の一年生になりました。

 国語の教科書は、「サイタ サイタ サクラガサイタ」と、二ページにわたる見開き。日本で初めての色刷り教科書。

 担任の男先生は、「天然色だ!!」「お前たちは、幸せだぞ!」「桜の花は、パッと咲いてパッと散る!散りぎわ、グズグズしてはならないっ!!」と、声を高められました。

 次をあけると、「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」その次は「ヒノマルノハタ バンザイ バンザイ」桜と兵隊と国旗がセット。これが全国一律の国定教科書でした。

 修身は、「ニホン ヨイクニ カミノクニ」白馬に跨(またが)る天皇の勇姿。天皇陛下は生き神様。――これを信じ込み、私もそのガンガンの一人でした。

 小学校卒業。進学した京都府立第二高等女学校も、当然のこと、軍国主義教育。

 そして、その五年生三学期は、戦争が激しくなる中で、京都女子師範学校の臨時教員養成所で講習を受けることを命じられました。

 臨教が三ヶ月で終了すると、その途端(とたん)、自宅へ一枚のハガキが届きました。

 「四月より、助教を命ず。月俸四拾円」。

 こうして私は、京都市立翔鸞小学校二年生五〇人のセンセイになったのです。

 授業のまっさい中、「ウーッ、ウーッ!!」と敵機襲来の空襲警報が鳴りひびくと、直ちに勉強はストップ!! 子ども全員に綿入れの防空(ぼうくう)頭巾(ずきん)をかぶせ、教室の後ろの床を揚げると地下壕。そこへ「はよう!はよう!!」と押し込めます。そのうす暗い、ジメジメした防空壕で、警報の解除を待つ日が続きました。


集団疎開〜古川君がいない

 教員二年目の四月。学童集団疎開付添い教員を命じられ、京都の最北端、丹後山田の石川村で、三年〜六年の翔鸞校生徒一五〇人と暮らしました。

 昼間は、踵(かがと)のすり減ったわら草履をはく子ども達を連れ、坂を下った所にある石川小学校で四年生担任。

 勤務を終え、宿舎に戻ると、食料の確保。頭髪や衣服にわく、虱(しらみ)退治。

 夕飯がすみ、あたりが暗くなると、襖(ふすま)の陰で「家に帰りたい!帰りたい!!」シクシク泣く声。私も帰りたい!!子ども達と一緒に泣きたい思いでした。

 ある晩のことです。夜中、「布団かけ」の見回り中、六年生古川君のおふとんが空っぽ!!

 「あれっ!!オシッコかな?」と、お便所を覗(のぞ)きましたがおりません。

 寮母さんを起こし、広いお寺じゅうを駆(かけ)廻(まわ)りましたが、おりません。私は「はっ!」と思いつき、提灯(ちょうちん)を手に外へとび出しました。

 ああーっ!!やっぱり!!・・・・・

 古川君は、山を下り、線路づたいに歩き続けていました。

 「僕は汽車に乗って来た。この線路を反対に歩いて行けば、きっとお母ちゃんに逢える!!」と考えついたのです。

 月の明るい晩でした。線路の向こうの方に、黒い影が動いています。「古川くーん!」そしてまた――「古川くーん!!」私が二回叫ぶと、その影がこっちへ走ってきました。黒い影は、「センセイ!!」と、泣きながら飛びついてきました。

 お母ちゃんに逢いたい!! この一心で、ひたすら歩き続けていた古川君。私は古川君を抱きしめ、古川君と同じ想いでいっしょに泣きました。

 銀色に鈍く光る、あの鉄道線路――。今でも私の脳裡に焼きついて、離れない光景です。もう二度と再び子ども達を、こんな目に逢わせたくありません。当時、「天皇陛下のオンタメに、死ぬこと」以外の生き方を教えてもらえなかった私どもは、戦争を草の根で支える人間に、仕立て上げられてしまっていたのですね。


今、私たちは声を大きく

 しかし、私は、思います。

 一九四五年、日本国敗戦。新憲法と教育基本法で、私たちは、天皇制教育の呪縛から開放されました。教職員組合は『教え子を 再び戦場に送るな』の運動を進め、私も京都教職員組合の一員として、平和と民主教育を守り育てる運動の中で、仲間と力を寄せ合う大切さを学び、教育労働者として育てられました。

 更に、京都教育センターの民主教育三原則の取組みは、今もなお私の支えとなっています。それは(一)全面発達(二)科学的認識(三)集団主義。この三つの原則です。

 これをもとに、職場や地域で、子どもをまん中に、父母と教師が、対等・平等の人間として、語り合い、考えあい、実践を重ねる民主教育に専念できる人間に変革しました。私は、どのような困難をも乗り越えて、教育を二度と再び『不当な支配に服する事なく』発展させるために、みんなで力を寄せ合うことが重要だと考えます。

 勤評反対闘争(昭和三十三年)・安保反対闘争(昭和三十六年)。この闘いを経験し、教育と政治、暮らしと政治は切り離せない。青年・婦人・学者・文化人・あらゆる業者等々。全ての国民が手をつなぎ、労働者はその中核として闘うべきことを学びました。

 みなさん!! 安倍政権は、集団的自衛権行使を国会で制定することを狙っています。さあ!!戦後最悪の戦争法案を阻止できるかどうか。大変、重要なときです。私は、

◎ “教え子を再び戦場に送らない”戦争法案は絶対に、反対です。

◎ “憲法九条は、日本の礎(いしずえ)”これを踏躙(ふみにじ)り、戦争する国にする戦争法案、絶対反対です。みなさん!! 

 今、新しい政治を強く求める国民の闘(たたか)いが日本中で大きく湧き起こっています。

 世界に誇る憲法九条を壊(こわ)して、海外でアメリカと共に戦争する国にしてはなりません。『教え子を再び戦場に送らない』を胸に、私もがんばります。


 
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