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特集1 戦争する人づくりと教科書問題

教科書採択の意義とあり方を考える


       大八木 賢治(京都子どもと教科書ネット21)
 

「戦争する国」の「教育再生」とのたたかい

 今回の教科書検定について、東京新聞(4/7)は次のように「解説」している。「安倍政権は検定基準と学習指導要領解説書を個別に見直すという異例の手段を使ってまで、教育の統制を強めた。…安倍首相は第一次政権時に教育基本法を改正し、『愛国心』養成を教育目標に盛り込んだ。今回の検定では『教育基本法に照らし重大な欠陥がない』よう合格基準を厳格化。結果、国旗・国歌などの記述が目立つ一方、旧日本軍による残虐行為や中韓などから見た領土や戦争の記述は抑えられた。」この解説は今回の教科書検定の本質的な特徴を端的に述べている。教科書が政権の「政治パンフレット」化していいのかという批判の声が起こってくるのも当然である。

 この背景にあるのが、安倍政権の「戦争をする国」への暴走と直接結びついて「戦争をする国」への「人材」育成をめざす「愛国心」養成をめざす「教育再生」政策であり、そのための教科書づくりが行われてきた。しかし「愛国心」を育成のための歴史教育について、国際的な問題として国連総会(21013年、第68回国連総会)で歴史教科書に焦点を定めた報告(A/68/296)では「歴史教育は、愛国心を強めたり、民族的な同一性を強化したり、公的なイデオロギーに従う若者を育成することを目的とすべきでない」と明確に述べている。さらに「幅広い教科書が採択されて教師が教科書を選択できることを可能にすること、教科書の選択は、特定のイデオロギーに基づいたり、政治的な必要性に基づいたりすべきでない、歴史教科書の選択は歴史家の手に残されるべきであり、特に政治家などの他の意思決定は避けるべき」と勧告している。しかし今回の検定は検定基準の改悪などで政府見解を押し付けるとともに、「合格基準の厳格化」という脅しのもとで、南京虐殺や戦後処理、慰安婦など近現代史の記述で政府見解が押し付けられた。また教科書会社も検定不合格を避けるため教科書会社が自主規制を強めてきた。そのため「どの教科書も同じ」という声も起こってくるのであるが、実際にどのような教科書ができあがったのか、確かめることは極めて重要になっている。

 しかし、今回新しく参入してきた「学び舎」の歴史教科書が注目されている。「歴史が楽しい」と思えるような教科書をめざし、現役の教諭を含め小中学校で歴史を教えた約30人により、各分野の専門家のアドバイスを受けながら、現場の先生が授業目線から全ページを執筆したものである。さらにこの教科書で「慰安婦」記述が復活したことの意味である。検定で修正意見がついたが、著者の努力で結果的により深く理解がすすむように改善され、検定合格したのである。検定基準の改悪など文科省による厳しい統制の下、自主規制を強いられている中でも、子ども目線に立ち、歴史の真実を伝える教科書づくりができることを示したといえる。この背景には家永教科書裁判以来、これまでも教育現場と研究者の連携、市民の支援の中で、検定などの文科省による統制とたたかいながら教科書づくりが行われてきた歴史があることを忘れてはならない。


不当な政治介入は許せない

 近年自民党などの右派政治家が、地方議会などで教育基本法第2条の「教育の目標」にある「伝統と文化」を取り出し、事実上育鵬社や自由社の歴史修正主義の教科書の採択を迫るという横暴な教育への政治介入が目立っている。教育への政治介入は、学校が子どもたちを戦場に駆り立てた戦前の教育の最大の反省点であり、戦後一貫して「不当な支配」として教育内容に行政や政党による政治介入は否定されてきた。そして今日の改正教育基本法においても16条で「不当な支配」として明文化されているのである。

 さらに教科書選定において安倍政権の「教育再生」を受けて、「伝統と文化」や「愛国心」を一面強調した選定項目にさせようとする動きを見逃すことはできない。教師は学校教育法により教科書使用義務がある。結果的に子どもたちがこのような形で選ばれた教科書で学ばされることは、個人の思想良心の自由(憲法19条)や信教の自由(同20条)などを侵害するおそれがある。日本弁護士連合会の「教科書検定基準及び教科用図書検定審査要項の改定並びに教科書採択に対する意見書」が次のように指摘していることは重要である。少し長いが引用する。

 教育基本法の目標に掲げられた項目は、多義的なものであり、その内容の理解の仕方は、人によって当然異なるものである。国が、学校教育の名において、個人の尊厳を中核として、自由、平等、公正及び寛容などの憲法的価値を扱うことは当然に是認されるとしても、個人の嗜好・信仰・人生観・家族観などといった基本的に各人が自ら考えて選び取るべき事柄についてまで、特定の考え方や生き方のみを『善い』ものとして公定し押し付けることがあれば、扱う内容やその扱い方、指導方法、評価方法などによっては、個人の思想良心の自由(憲法19条)や信教の自由(同20条)などを侵害し、許されないといわざるを得ない。

 そして「教育基本法に定める教育の目標に基づく教育が憲法の下で許容されるのは、憲法の保障する精神的自由を侵害しない範囲及び態様においてのみであり、少なくとも、多義的であるべき前述各教育目標を具体的な教科書の記述を評価し、当該教科書の検定合格不合格を判断する基準として用いることが許されないことは明らかである。」と指摘している。これは検定のみならず採択においても適用できる。


教育現場に教科書採択権を取り返す取り組みを

 教科書は学校教育における主たる教材であり、どのような教科書が採択されるかは教師の授業実践に大きな影響を与える。しかし実際には学校現場の意見を反省させるしくみがほとんど保障されていない。教育委員会に教科書の採択権があるかのような理解が流布されているが、これは文科省の通知による一方的な理解である。もともとは学校現場で教科書を選定していたもの水準の確保や地域の共通性などを理由に採択区が定められ、学校現場の意見を反映しながら採択されて手続き的に教育委員会で確認されてきたものである。しかし教科書に対する攻撃が強まる中で、選定委員や選定委員会は公開されず、学校現場の意見が反映される制度的保障がはずされ、現場教員にはどんな教科書があるのかすら、見えなくなってきている。さらに今年4月、文科省は学校現場の意見の反映させないよう求める通知を出している。実際に子どもに教える教師の意見を聞かないで教科書を選定するという教育のあり方としてありえない実態が日本では横行しているのである。これは国際的に見て異常な実態である。

 日弁連の意見書は採択についても旭川学力テスト事件最高裁判決から、そもそも教育が教師と子どもの間の人格的接触に基づいて行われることを指摘し、子どもの学習権を保障するためには「教師や学校現場に、教育についての専門性に基づく一定の教育の自由が保障される必要がある。」としている。またILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」では「教員は生徒に最も適した教具及び教授法を判断する資格を特に有しているので、教材の選択及び使用、教科書の選択並びに教育方法の適用に当たって、…主要な役割が与えられるものとする」と指摘している。

 教育に直接責任を持つ教師として今回の検定で教科書がどうなっているのか、主体的に選択する取り組みをすすめることは極めて重要になっている。


子どもたちの願いに答えて

 歴史学習を始めるにあたり、沖縄のひめゆり学徒隊の学習をして中学2年生が次のような作文を書いている。「先生は『歴史を学ぶことは未来のあり方を考えることだ』と言ってましたが、私は『もう二度と同じ過ちをくり返さないため』に学ぶのだと思います。戦争は絶対にいけないし、今の時代で戦争を体験した人は少なくなってきているから、その人たちのお話など大切にしていきたいです。そのために私たちから積極的に学習して、真剣に真正面から学んでいきたいです。歴史はただ暗記という人もいますが、ただ暗記だけでなく、その由来や関係を調べていくと、頭にのこるし、きちんと『歴史を学ぶ』ということになると思うので、私はこれからそんな学習をしていきたいです。」

 こんな願いを持つ生徒に答える歴史教育のためにどんな教科書と教育が必要なのか、教師の責任は重大です。その第一歩が主体的に教科書を確認し批判検討をしていくことです。そこから教育実践が見えてくるのではないでしょうか。

 
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