トップ  ひろば一覧表  ひろば182号目次 

平和教育44

福知山戦争展の取り組み


  水谷 徳夫(「2014平和のための福知山戦争展」実行委員会 実行委員長)
   「ひろば 京都の教育」182号では、本文の他に写真・絵図などが7枚掲載されていますが、本ホームページではすべて割愛しています。くわしくは、「ひろば 京都の教育」182号をごらんください。   
 

1. はじめに

 福知山の夏は、暑くて熱い日が続きます。6月末の核兵器廃絶をめざす「平和行進」に始まり、8月の原爆忌、寺々での「平和の鐘」とブロックごとの平和学習。そして、月末の「戦争展」をもって「平和の夏」が終わります。平和行事がいっぱいの福知山の夏です。

 福知山市内のいくつかの団体で実行委員会を組み、前年に引き続き福知山市と市老人クラブ連合会、両丹日日新聞社の後援で準備を進めました。

 8月末の開催日まで後2週間、事は順調に進んでいました。


2. 水害を乗り越えて

 「花火」「水害」で全国に名をはせた福知山。そこへ来て、またもやの「水害」です。お盆過ぎのことでした。「歴史的な集中豪雨」によって市街地の半分が浸水しました。

 展示を予定していた「戦争遺品」を保管する事務所は水没し、協力団体の多くの事務所も、その構成員の方々の自宅も被災しました。全国から被災地ボランティアが入り、開催予定の施設は、被災市民の避難所として使用されていました。このような状況の中で「とりあえず延期」の新聞発表をしました。「市の後援を受けて市民の期待も大きい。市民的な行事をめざすならば、中止でなくまたやろう」「暴走政治は『歴史の真実』まで曲げようとしている。今こそやらねば」という積極的意見が圧倒して、12月開催(延期)を決定したのでした。

 12月20日(土)・21日(日)の両日、福知山駅前に新設された「市民交流プラザふくちやま」で「戦争展」は開催することができました。

 ここでは、これまで積み上げてきた福知山での平和運動や学習実践を織り交ぜて、「戦争展」の取り組みを報告します。


3. 「2014福知山戦争展」の開催

 私達の戦争展は、二日間にわたり「展示」「DVD上映」、メイン行事の二日目午後「特別企画」から成ります。この二年は戦時食の「すいとん」で参観者をもてなしています。(写真7、5)

 展示品は、市民から寄せられた戦争中の衣類や生活用具、出征兵士を見送る幟・日の丸の寄せ書き・千人針。戦地からの軍事郵便や、持ち帰った軍服・靴・飯盒など。とりわけ、シベリア抑留帰還兵士の物品は異彩を放っています。帰国後、無策の日本政府との交渉、加害責任を持つソ連・ロシア政府の無責任さを示す資料もあり、理不尽な戦争が机上に繰り広げられます。

 これらの多くはこの夏の水害で水没してしまいました。泥を洗い流して乾燥させ、革製品はメンテナンスのオイルで養生しました。「元よりもきれいにしてくれた」とは、出品した老兵士の言。

 戦時中の市内を撮った写真にも参観者の目が集中します。市から提供された100枚以上の写真には、学校や市民生活・勤労動員・防空訓練をはじめ、福知山駅前での出征兵士の壮行会や、白木の箱の並ぶ帰還の儀式。(写真1)70年前の自分の姿を見つけて、呆然とする年配の方もいます。今は亡き親兄弟や近親者にここで再会する人もあります。(写真3)

 展示と並行して、映像による報告は、1日目と2日目の午前中。DVDで戦争を追体験します。地元に住む元少年特攻隊員の老兵士にも話を聞きました。

 2日目午後はメイン企画。今回のテーマは「アジアの仲間と共に、戦争の歴史を学び今の平和を考えよう!」。昨今「戦争する国づくり」に暴走する政府は、近隣諸国との善隣を投げ捨て、戦争責任はもちろんのこと歴史の真実までねじ曲げました。今こそ、歴史事実を共有して各国の友好関係を作らなければならない時です。緊迫する政治情勢の続く日・中・韓の「東アジア」をテーマにしました。中国楽器、二胡の演奏を、「和」の琴と大正琴、「洋」のコンドラバスというコラボ演奏の海や国境を越えたハーモニーに感動しました。(写真2)その後、日中韓の在住者をパネラーとするシンポジウムでは、福知山に住み、これからもこの地に溶けこみ住み続ける在住外国人として、「ここに生きて、これからの日本に期待すること」で語りあい、会場一体となって盛り上げることができました。(写真4)

 全体報告では、中高生の平和サークルが取り組んだ「被爆体験紙芝居づくりと原水禁世界大会参加」の活動や、そこで学んだ成長した大学生の活動実践報告を聞きました。核廃絶を市民のなかで取り組む原水協からも活動報告がありました。

 私たちの多彩な中身の「戦争展」ができるのは、さまざまな地域活動の結果です。このような地元の「草の根」活動の総結集が「戦争展」でもあるのです。


4. 戦争遺跡や体験を掘りおこす活動

 福知山は自衛隊の町でもあります。その前身、帝国陸軍歩兵二十連隊は、1937年盧溝橋事件後の「南京攻略戦」では、「中山門一番乗り」を果たし、南京大虐殺にも深くかかわった歴史を持ちます。戦後その跡地に設置されたのが、現在の陸上自衛隊福知山駐屯地です。

 市の郊外には、高射砲陣地や戦闘機製造工場群などの軍施設・軍需工場、朝鮮人を徴用した鉱山や道路工事跡が散在します。「中丹地域の歴史と文化を掘り起す会」は、10年間にわたって、これらの「戦争遺跡」を発掘してきました。とりわけ、福知山盆地の由良川氾濫原に建設された「海軍福知山航空基地」の滑走路。戦闘機「紫電改」製造にかかわった軍需工場群や空襲時の避難場所として使用された「掩体壕」や「地下指令所」を発掘しました。圃場整備で解体寸前になっていた掩体壕を移設保存にむけて、市と粘り強い交渉を重ね、何とかその一部を付近の公共施設の敷地内に移設して展示することが出来ました。作製した掩体壕のミニチュアは、飛行場地図と共に戦争展で展示されています。

 戦争体験や当時の状況の聞き取り調査は、学校現場や地域・団体でも行い公開してきました。福知山平和委員会では、「満蒙開拓」に義勇軍や農業開発に参加した人、さらにシベリア抑留を体験した人、少年特攻兵から帰還したからの聞き取りを行いました。戦争展では、その方々に語ってもらい、資料を展示してきました。新聞やチラシで知った年配の方が、毎回のように戦争展を訪ねて来て、新しい事実を語ってくれています。そのような福知山での「草の根」を見てみましょう。


5. 青年学生の戦争を学び、平和を願う活動の存在があること

 綾部市内で一人暮らしのお年寄り、「福留志な」さん。娘を長崎原爆で亡くされた福留さんが、修学旅行に行く地元の中学生に折り鶴を託したのが始まりでした。「娘のために、せめてお地蔵さんを」という願いを、中学生たちは全国に呼びかけて、長崎原爆資料館屋上に「ふりそでの少女像」を作り上げたのでした。山脇あさ子著『ナガサキに跳ぶ ~ふりそでの少女像をつくった中学生たち~』(1996年刊、新日本出版社)に詳しく紹介されています。「ふりそでの少女像をつくる会」の活動です。

 その後、後輩の中学高校生たちは毎年8月のその日、長崎の高校生たちとともに慰霊祭を開き、原爆・核兵器廃絶、世界平和を願う学習を重ねてきました。そして近年、福知山市内に住む広島で被爆した老人の聞き取りをし、その体験を紙芝居にまとめ上げました。紙芝居は地元の様々な場で上演され、前回の戦争展でも報告しました。

 また、彼らは毎年夏の舞鶴での「浮島丸遭難慰霊祭」や「東アジア青少年歴史体験キャンプ」の行事に役割をもって参加し、活発な活動を続けています。今回の戦争展では、これまでの活動を紹介した展示と、特別企画でこれまでの活動報告をしました。(写真6)大学に進学した先輩は、そこでの平和と核兵器廃絶の活動や災害ボランティア活動の体験を生き生きと語ってくれました。後に続く、「アジア交流シンポジウム」でもパネラーとして出演してくれました。

 青年学生の平和活動は、この地の民主的諸活動にも大きな励ましを与えています。戦争展での高校生たちの発表に接して、戦争年代の方々が孫を見るように目を細めて聞き、「孫に励まされました。また、がんばります」という感想も述べられました。


6. 多彩で活発な平和活動の存在があること

 福知山市内では、「平和委員会」・「原水協」・「9条の会」などが多彩な活動を繰り広げています。

 平和委員会は、米軍基地・自衛隊をはじめとして、日本と世界の平和を脅かす勢力に対する行動と学習をよびかけています。丹後半島での米軍レーダー基地建設は、新しい課題です。

 原水協は、原水爆をはじめあらゆる核兵器を廃絶するために、毎年の平和行進・原水禁世界大会派遣をすすめ、原爆写真展を中学校区ごと、銀行ロビーや公民館で開催しました。4月のNPT再検討会議に向けてのニューヨーク派遣と核廃絶署名に取り組んでいます。

 9条の会は、「憲法9条」の平和精神を守り生かすための活動を、市民に向けて幅広く進めています。毎月9日、5月・11月3日の街頭宣伝は市内各所で行います。

 今回の戦争展も、平和委員会を母体にして実行委員会を組織し、各団体やその友好組織の学習成果を持ち寄ったものです。だから、私たちの戦争展は、福知山地方の平和活動と学習の総結集の場でもあります。


7. まとめ・平和の課題を大胆に市民の前に

 いま日本は、「戦争する国づくり」に向けて暴走を続けています。それは、「積極的平和主義」という隠れみのを伴っています。これを見抜く「平和学習」が必要です。丹後半島に新設された米軍レーダー基地は、北朝鮮からアメリカに向けられたミサイルをキャッチする目的で強行設置されました。地元では、騒音・交通事故・自然破壊など約束の「住民の安心安全」が無視されたまま稼働しています。そして、福知山・舞鶴という京都北部の自衛隊軍事拠点をまきこむ米軍ミサイル防衛システムに組み入れられたものです。

 沖縄での米軍基地をめぐるたたかいは熾烈です。選挙で得た県民の意思は無視され続け、「沖縄はアメリカの植民地」状態です。丹後では、「日米地位協定」の学習会が立て続けに開かれています。日本の法律が「植民地化」を許していることを、市民の側から学習していこうとしています。

 福知山では、平和委員会が毎月「平和学習会」を開いて、「米軍基地」「原発」「戦争遺跡」「戦争体験」などを学習してきました。この多くを沖縄と丹後の基地問題にあてました。

 「福知山戦争展」は、多くの市民が平和を学び、語る場として、ますます大切なものとなっています。

写真説明
1.「展示写真」の一枚。福知山駅前に英霊の帰還
2.二胡と和・洋、みごとなコラボ
3.展示品には、オールドボーイの熱い視線も
4.「特別企画」の東アジア交流シンポジウム
5.戦時食「すいとん」に、当時をしのぶ
6.高校生や若者の報告には、エネルギーをもらった
7.戦争展プログラム


 
「ひろば 京都の教育182号」お申込の方は、こちらをごらんください。
トップ  ひろば一覧表  ひろば182号目次