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特集1 戦争する人づくりと教科書問題

原発問題はどう教えようとしているか


       市川 章人(京都府立高校非常勤講師)
 

■原発・放射線問題の扱いが広がったことについて

 文部科学省は2016年度から使われる中学校の教科書についての検定結果を4月6日に公表した。一部の教科書しか内容を知ることができない段階であるが、新聞記事などを手掛かりに、原発・放射能問題の扱いについて、問題点とどう教えるべきかついて見解をのべる。

 産経新聞(4月7日)には次のようにある。「東京電力福島第1原発の事故については全教科書の29%にあたる31点が扱い、現行の16%を大きく上回った。現行教科書では社会、理科、技術・家庭の3教科に記述があるが、今回は保健体育と国語も加わり、5教科に増えた。公民では6点全てがエネルギー問題と絡めて原発事故を記述。「再稼働」と「脱原発」の両論を併記して生徒に議論を促す教科書が目立った。」

 扱う教科がひろがったことや、中学1年でも一定の内容を取り入れた教科書があることは、幅広く様々な面から学ぶ機会を広げた点で歓迎すべきことである。

 また、放射線や被ばくの記述が増えたことは、被害の根源であるから当然であり、詳しく記述すべき事柄である。ただし、記述内容の当否は健康への影響をどう扱ったかで問われるが、低線量被ばくや内部被ばくの危険性の軽視があれば問題である。また、子どもたちが被害を受けやすいことや甲状腺ガンが福島で多数発生していることも伝えるべきである。


■最も伝えるべき内容が希薄ではないか

 2011年3月の東日本大震災に関して、子どもたちに伝えるべき最も重要なことは、原発事故の被害の実相であり、原子力発電を今後とも続けるべきかどうかという判断の材料である。

 地震・津波は地球の自然的営みであり、その発生自体を止めることはできない。しかし、原発問題は、自然災害でなく、「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」が指摘したように「人災」である。原発自体は、技術であり、事故や核廃棄物の問題は原発政策がもたらしたものであり、これらは人々の意志によって状況を変えることができる。しかも、原発事故はひとたび起これば社会そのものの存立を危うくする問題であり、今後の社会を担う子どもたちが判断できるようにしっかり伝える必要がある。その意味では、多数の教科で扱うことになり、「公民」で記述が多いのは当然である。

 しかし、その扱い方は、「各社とも東日本大震災に伴う原発事故という事実を淡々と記述」(産経新聞)とあることから(傍点筆者)、東日本大震災については分量を割きつつも、被害を極めて深刻なものにした原発事故については、世界を揺るがした重大性にふさわしい記述をしていないことがうかがえる。政府の姿勢を気にして腰が引け、被害の実相も原発の危険性も具体的にわからず、どう考えるかを判断する材料に欠けていると思われる。そのことは、教科書会社の編集者の声として「危険から捉えるやり方はあると思うが、バランスを取らないと検定を通らない恐れがあった」や「リスクがあるというトーンは強くしたが、学習指導要領が変わらない以上、原子力の正負の面を対等に扱わざるを得なかった」という記事(京都新聞4月7日)からも推測できる。


■「両論併記」の落とし穴

 新聞等では「再稼働と脱原発併記」という指摘がなされているが、「火力や水力などと並んで原子力発電が紹介され、大きなエネルギーの獲得といった長所と、有害な核廃棄物という短所を併記する考え方には物足りなさを感じる」という記述(京都新聞)もある。これは「物足りなさ」というより「誤り」というべきである。なぜなら、原発事故による被害と放射線被ばくの影響には、他の事故とは異質で深刻さのレベルが違うにもかかわらず、無理やり「バランス」をとろうとするからである。
一般的に、認識や判断が分かれる問題については、教科書での「両論併記」は必要といえる。特定の意見を押し付けるのは教育の正しいあり方ではなく、子どもたち自身が考えを確立し、主権者としての自分たちの社会のあり方を構想し、実現できる力を育てることが、教育の役割であるからである。

 しかし、両論を併記すると言っても、それぞれの問題を考える上で前提にすべき事柄がある。科学的判断に係る場合は、事実および確認されている科学的知識が前提である。社会的判断あるいは価値判断の場合は、事実および確認されている科学的知識に加えて、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(憲法13条)を保障する観点が大前提である。人々の安全と幸福を損なうような論は批判の対象としてあつかうべきであって、併記で終わらせてはならない。

 原発に関しては、再び事故を起こせば国を滅ぼしかねないほど深刻なリスクをもつ極めて異質な技術であるだけに、危険性についてとことん知る必要があり、歴史に残る大事故と甚大な被害の実相をきちんと学ぶことが不可欠である。原発事故は、エネルギー問題でも経済問題でもなく、命の問題である。したがって、生存を危うくする原発の「危険性」を他の「経済性」などと同列に並べて天秤にかけるような併記はまちがいである。


■育鵬社「公民」にみる記述の問題点

 育鵬社「公民」のP194、195に「東日本大震災―国民の絆,世界の絆」という項目がある。そこに、「この地震と津波によって東京電力福島第一原子力発電所(福島県)で放射性物質が漏れ出す深刻な事故が起きました。周辺の多くの人が故郷に帰れず避難生活を送り,また風評被害も起こっています。」とある。2ページの中に、たったこれだけであり、被害の深刻さ、リアリティは全くない。

 p200の「資源・エネルギー問題」では、「原子力発電の見直し」という小見出しにもかかわらず、「これからも,エネルギーの一部は原子力発電に頼らざるを得ないかもしれません。しかし,今回の大津波被害の教訓を生かし,海岸沿いの低地の大型原子力発電所に頼るのでなく,原子力発電所の小型化や地下設置も含めて大幅な見直しが必要です。」とある。原発事故対策は、津波対策や小型化などで大丈夫であると思わせ、「地下設置」というまともに検討されたこともない技術を述べるなど特異な考えを記述しながら、原子力発電の継続に誘導する意図が見える。育鵬社は歴史問題や憲法問題で、「国の広報誌」的な役割を発揮しているが、原発問題でも同様である。


■放射線副読本に、原発教育をすすめる政府の本音

 文科省は2011年10月に「放射線副読本」を出し、2014年3月には改訂版を出した。最初の放射線副読本では、原発事故にも被害にも一切触れず、放射線の健康への影響を否定することに力を注ぐ異常さに厳しい批判が集まり、改訂版では、事故と被害を載せたものの、リアリティが全くなく、復興が進んでいると強調し、復興を妨げているのは風評被害を引きおこす国民の無理解と言わんばかりの内容であった。被ばくの健康への影響の扱いも基本は変わらず巧妙な表現に変わっただけである。これらの副読本では、“子どもたちは、どれほどの事故が起きようとも原発を推進し膨大な放射性物質を抱えた社会のあり方に疑問を抱くことなく、その枠内で必要なことを身につけよ”という意図が露骨である。

 福島原発の事故によって、問われたのは、どのような社会をつくるのか、どのような未来を選ぶのか、であり、未来を生きる子どもたちに、この課題を総合的に考え、判断し、行動できる知識と学習が不可欠である。教育現場では、検定教科書の内容の不十分さを越えて、子どもたちに豊かな教育内容と教材を与える努力が求められる。

 
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