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特集1 戦争する人づくりと教科書問題

「戦争する国・人」づくりと教科書問題の今


       石山 久男(前歴史教育者協議会委員長)
 

1.検定制度の改悪と新中学校教科書への検定

 4月6日、新中学校教科書の検定結果が公表された。歴史は「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社・自由社とその他の5社、それに民間教育団体で活動してきた教員を中心に編集し新規参入した「学び舎」版の計8種が検定合格した。ただし自由社と学び舎はいったん不合格となり、指摘された「欠陥箇所」を修正し再提出して合格した。公民はそのうち自由社と学び舎を除く6社が合格した。自由社は旧版がそのまま採択に参入する。

 今回の検定を前に、文科省は検定制度を変えた。第一は社会科・高校地歴・公民科の検定基準に、政府の統一見解または最高裁判決にもとづいて書けという項が付加された。第二は同検定基準に、近現代史で通説がないものはその旨明記せよという項が付加された。第三に第一と連動する形で社会・地歴・公民の学習指導要領解説が改訂され、竹島と尖閣諸島に関する領土問題についての政府見解が詳しく書き込まれた。第四は検定審査要項に、愛国心など改悪教育基本法の目標に照らして不適切な教科書は検定不合格にするという項が付加された。

 第一の新設検定基準が直接適用されたのは「学び舎」版(不合格版)の「慰安婦」問題の記述である。それは「東南アジアの日本軍」という項の「朝鮮・台湾の若い女性たちのなかには、『慰安婦』として戦地に送りこまれた人たちがいた。女性たちは、日本軍とともに移動させられて、自分の意思で行動できなかった。」という記述と、戦後史のなかの「問い直される戦後」の項での「慰安婦」が問題化した経緯や政府の姿勢、国際社会の反応などを記述した本文全体である。

 欠陥箇所の「指摘事由」は「政府の統一的な見解に基づいた記述がされていない」ということであり、ここでいう「政府の統一的な見解」とは、「河野談話」発表までに政府が発見した資料の中には「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」とする辻元清美議員への答弁書(平成19年3月16日閣議決定)と、国連人権委員会のクマラスワミ報告書について「重大な懸念を示す観点から留保を付す旨表明している」とする片山さつき議員への答弁書(平成24年9月11日閣議決定)であるという。

 しかしこれらの「政府見解」については、「河野談話」発表時においても、その後発見された資料等によっても、文字通りの強制連行の事例やだまして連行した事例が数多くみられること、「河野談話」は残された公式文書だけでなく被害者からの聞き取りなどを総合して強制性を認めたものであること、日本軍「慰安婦」については、連行時だけではなく「慰安所」収容後の移動や逃亡の自由が奪われたもとでの性暴力の強制こそが問題であること、などの数多くの異論が出されている。これらの異論をまったく無視し、8年前の政府見解のみが永久に唯一の正しい結論であるとして、教科書記述の修正を強制したのである。そもそも歴史的事実は歴史研究者の研究と議論を通して確定されてゆくべきものであり、政治権力者が歴史的事実を決定し、それを押しつけることは、学問の自由、表現の自由を侵害する憲法違反の暴挙である。このような結果が生じたのは昨年の検定基準の改定によるのであるから、昨年新設したこの検定基準の条項は直ちに廃止すべきである。

 第二の新設検定基準が適用されたのが、清水書院の関東大震災における朝鮮人虐殺事件犠牲者数に関する記述である。「警察・軍隊・自警団によって殺害された朝鮮人は数千人にものぼった」との現行本記述をそのまま検定提出したのに対して検定意見が付され、「自警団によって殺害された朝鮮人について当時の司法省は230名あまりと発表した。軍隊や警察によって殺害されたものや司法省の報告に記載のない地域の虐殺を含めるとその数は数千人になるともいわれるが、人数については通説はない。」との必要以上に詳細な記述に変更された。

 そもそも何が通説か、学問的根拠のある異説があるのかを判断するのも歴史研究者の議論を通じて著者が判断すべきことであって、断じて政治権力が判断すべきことではない。この検定も学問・表現の自由の権力による侵害であり、それをもたらした検定基準改定は撤回廃止すべきである。

 第二の検定基準が直接適用されたわけではないが、日本文教出版の「政府は、1899年に北海道旧土人保護法(「保護法」)を制定し、狩猟採集中心のアイヌの人々の土地を取り上げて、農業を営むようにすすめました。」という現行本通りの記述を「政府は、1899年に北海道旧土人保護法(「保護法」)を制定し、狩猟や漁労中心のアイヌの人々に土地をあたえて、農業中心の生活に変えようとしました。」と修正させた。1997年に「アイヌ文化振興法」が成立したことで旧土人保護法は廃止され内容的にも否定されているにもかかわらず、その条文に「土地を与える」と書かれていることを根拠に不当な検定意見を付したのである。

 第三の処置の結果、竹島と尖閣諸島については小学校で1社、中学歴史でも1社のみが記述していたものが、すべての教科書で学習指導要領解説=政府見解の通りに記述されるようになった。中学校ではこれに関する検定意見はなく、全教科書が、韓国が不法に占拠しているなど、日本政府の見解だけを結論として教えるようになっている。韓国・中国の見解について記述したものはない。

 育鵬社版・自由社版でなくても、こんな教科書で学んだら、これからの日本をになう若者がアジアの人々との対話ができず、平和的な関係がつくれなくなることが心配される。

 第四の検定審査要項が適用された例は今回はなかったが、領土問題にも示されているように、各社が政権寄りに記述を自主規制する動きがさらに強まることか予想される。

 以上のように、今回の検定では昨年度の検定基準等の改訂と「学習指導要領解説」の改訂が、検定の在り方に大きな歪みをもたらしていることが明らかになった。「政府見解」という新たな明確な基準に基づいて「書かせる検定」という性格があらわになり、歴史でさえ政府見解に基づいて書かせるという驚くべき段階に達している。それは安倍右翼政権がめざす「戦争する国」づくり、「大企業が最も利益を上げる国」づくりのために教育・教科書を最大限に利用しようとしていることを示している。


2.歴史を歪曲し日本国憲法の破壊をめざす育鵬社・自由社版教科書

 上記のような許しがたい検定が行われ、一部に戦争記述などの自主規制の動きもあるが、それでも、育鵬社・自由社以外の教科書に関しては、検定に対する一定の抵抗もあり、一部には記述の改善もみられ、安倍政権がねらったすべての教科書の育鵬社化は貫徹しえなかった。一方、育鵬社・自由社の内容は本質的に変わらないばかりか、改憲へ誘導するねらいをいっそう明確にした部分もある。その意味で、やはり育鵬社・自由社と他社との違いは依然としてはっきりしていることを、まず指摘しておきたい。

 したがって、その違いを一層わかりやすく多くの人に知らせ、採択させない運動の発展に役立てていくことが求められている。そこで、以下に両社の内容の特徴を示しておく。

1)《歴史》について

 日露戦争については、ロシアのアジア進出を「わが国の存立の危機」(育鵬)、ロシアの軍事力が「日本が太刀打ちできないほど増強されるのは明らかだ」(自由)と事実にも反して危機を強調し、自衛のための戦争と正当化するまた、国民全体が戦争に協力した姿を強調する一方、他社で必ずとりあげている当時の反戦論や重税反対の動きはまったくとりあげない。戦争の目的が日本の朝鮮支配確立だったことは隠している。

 韓国併合後、朝鮮で土地を追われた農民が多数出たことは、2006年版までは両社と本文に書いていたが、現行版から育鵬社は全部削り、逆に併合後、朝鮮の人口・耕地面積・米生産量・学校数が増えたことを示す表を載せ、日本の「善政」を強調している。

 満州事変に関しては、「満州国」での工業の発展と人口増加を強調して日本の満州支配を美化し、そのうえ日本の満蒙開拓団入植も全く無批判に書いている(育鵬)。

 日中戦争に関しては、自由社版はついに南京事件の記述をまったく削除した。

 アジア太平洋戦争については、当時の日本政府の主張そのままに、アジア諸国を欧米の植民地から解放するための戦争だったと教えようとしている。戦争初期の「日本軍の勝利に、東南アジアやインドの人々は独立への希望を強くいだきました」と書き、インド国民軍、ビルマ独立義勇軍、インドネシア義勇軍などが日本軍に協力して戦ったことを強調する(育鵬)。戦争の名称についても、アジア解放の戦争という意味をこめて当時の日本政府がつけた名前を使い「大東亜戦争(太平洋戦争)」(自由)、「太平洋戦争(大東亜戦争)」(育鵬)をタイトルにしている。国民が正義の戦争だとだまされていたことは書かずに、ここでも国民が積極的に国家に協力したことを強調している。

 沖縄戦について育鵬社は「集団自決に追いこまれた人々もいました」とは書くが、他社のように「日本軍によって」という言葉はなく、日本軍による住民虐殺にはまったくふれていない。自由社は「集団自決」の記述を今回全面削除するとともに、「日本軍はよく戦い、沖縄住民もよく協力した」との記述を付け加え、戦争を最大限美化しています。

 両社とも、架空の人物神武天皇を初代天皇であるかのように扱い、人名索引にまで入れた。現代では昭和天皇の人柄を描き賛美する1ページのコラムをもうけて、天皇への尊敬の念を養おうとしている。

 両社とも明治憲法の問題点にはふれず、「アジアで初めての本格的な近代憲法として内外ともに高く評価されました」(育鵬)と称賛する一方、日本国憲法はアメリカから押しつけられたことを強調し、その積極的意義や国民が憲法を支持したことにはふれない(育鵬)。

2)《公民》について

 育鵬社・自由社の国民主権の扱いが他社と大きく異なるのは、「国民主権と天皇」(育鵬)、「天皇の役割と国民主権」(自由)のように天皇とセットで扱っていることである。しかも国民主権の説明が約三分の一、天皇の説明が二分の一程度で、誰が主権者なのかわからない。そして「公民」とは「自分を社会など公の一員として考え、公のために行動できる人」だとして、主権者ではなく国家に奉仕する人間を育てようとしている。

 基本的人権の項目でも、両社とも人権保障についておよそ三分の一、人権の制限と国民の義務にそれより多い三分の二程度をあてている。しかも基本的人権のとらえかたが他社と大きく異なる。帝国書院は「基本的人権は、国家や憲法によって与えられるものではなく、すべての人が生まれながらにして認められるべき権利です」と書いているのに対し、育鵬社は大日本帝国憲法について「古くから大御宝と称された民を大切にする伝統と、新しく西洋からもたらされた権利思想を調和させ、憲法に取り入れる努力がなされました」と述べて、あたかも大日本帝国憲法が日本の人権思想の源であるかのように書いている。「公共の福祉」による人権の制限の説明も、他社のように他人の人権を侵すことになる場合に人権が制限されるとするのではなく、国家・社会の秩序を守るために人権が制限されるとして、歯止めのない人権の制限を容認している。

 両性の平等の問題でも、現実にある男女差別の実態にはふれず、男女共同参画条例についても専業主婦の役割を軽視しているなど否定的な見解をわざわざとりあげている。男らしさ・女らしさを大切にすることを強調している点も他社との違いである。

 平和主義についても、9条の原理を扱うのではなく、自衛隊の説明に4分の3をあてている。日米安保体制のもと軍事力で国を守る必要性を強調し、憲法で国防の義務を課している国もあるとの資料を掲げたり、「国防という自衛隊本来の任務をじゅうぶんに果たすためには、現在の法律では有効な対応がむずかしい」とか、「自衛隊が「積極的に海外で活動できるよう法律を整備することが議論されています」「政府内で集団的自衛権に関する議論が行われています」などと書き、さらに政府は負担軽減のため「普天間飛行場の辺野古への移設などを進めています」とまで書いている。

 全体として安倍政権の政策そのままを正しいものとして宣伝しており、まさに「戦争する国づくり」のための教科書といえる。

 さらに他社では数行をあてているに過ぎない「憲法改正」について2ページの独立の項を立て、各国の憲法改正回数一覧表まで掲げて、改憲が必要という主張を打ち出している。

 原発については、白表紙本では「これからも、エネルギーの一部は原子力発電に頼らざるをえないかもしれません。」と書いたが、検定意見によりその表現はなくなった。しかし「人類のエネルギー問題を根本的に解決するには、人工の太陽をつくり出す核融合発電の実用化を待たなければなりません。」との一文が残り、原子力利用にこだわっています。


3.教科書採択をめぐる動向と私たちの運動課題

 前回の中学校採択が行われた2011年から、自民党本部の党を挙げての取り組み指示のもと、自民党・日本会議の地方議員らが地方議会での質問・決議などに取り組み、採択に積極的に介入するようになり、育鵬社版採択で成果をあげた。安倍政権のもとで右翼勢力が勢いづいている今回の採択では、そうした政治介入がさらに進むことが予想される。

 さらに昨年6月、「教育再生首長会議」が結成されたことも無視できない。結成総会には下村文科大臣が挨拶し、現在80人以上の首長が参加しているようだ。教育行政がまだ全体としては地方自治の形で行われている以上、安倍政権の「教育再生」政策は、地域で具体化していくほかない。教育再生首長会議は「教育再生」政策を地域から支え地域で具体化していくことをねらって結成された。その当面の具体的目標は、今年の中学校教科書採択で育鵬社・自由社版の採択を採択率10%、12万部まで伸ばすことにおかれている。

 そのさい、昨年改悪されて教育行政への首長の介入を可能にした地方教育行政法を最大限活用し、教科書採択への首長の介入を強めて育鵬社・自由社版を採択させることをねらってくると思われる。

 このような条件のもとで、今回はどこでも育鵬社・自由社版採択の危険がいままでになく大きいとみなければならない。とくに教育再生首長会議に参加している首長がいるところや、日本会議所属議員が多い自治体は、とりわけ危険性が大きい。

 そうしたなかで、今年の採択をめぐる運動では、次のような新しい視点から運動をおこし、ひろげることが求められている。

 第一に、教科書採択への首長の政治介入をさせないために、地方教育行政法改定の国会審議と参議院附帯決議をふまえて出された昨年7月17日付の同法施行についての文科省通知を活用して、教育委員会の独自性・主体性が守られるよう、教育委員会と首長に働きかける。とりわけ教育委員会の専権事項とされた教科書採択への首長の介入が行われることのないよう教育委員会と首長に要求していく。

 同通知では、首長と教育委員会によって構成され新たに設置される総合教育会議は、首長と教育委員会という対等の執行機関の間の協議・調整の場であること、総合教育会議で教育委員会が合意しなかった事項は教育委員会に執行義務は生じないこと、教科書採択など教育委員会の職務権限(専権事項)に属する事項については、総合教育会議の議題とすべきではないことなど、教育委委員会の独立性が尊重されることが明らかにされている。

 第二に、教育委員会としての採択の在り方について、あらためて改善を求めていくことである。とくに、学校現場の意見にもとづいて採択を決めること、採択過程の公開性を強め教育委員会の傍聴を制限なく認めること、教科書展示会の開催方法の改善など市民参加・市民意見の反映などに努めること、などの改善を求めていく。

 とくに学校現場の意見反映という点では、教員も参加する教科書の調査報告のさいに、どの教科書の採択を希望するかについて明示できるようにさせることが重要である。この点に関して、4月22日に衆議院文部科学委員会で行われた日本共産党・畑野君枝議員の質問と初等中等教育局長の答弁が重要な意味をもつ。そこでは、第一で述べたように、教科書採択に関して首長が特定教科書の採択を推進するような権限はないことを明確にした。さらに、4月7日付の教科書採択についての文科省通知のなかで採択が「綿密な調査研究に基づき」行われるべきこと、調査研究は専門性を有する調査員を選任して行い充実した資料が作成されるべきことなどが示されていることをとりあげ、現状では行政当局からの制約で調査員がどの教科書がいいのかを書けないようになっている場合が多いが、それでは綿密な調査研究とはいえないのではないかと指摘したうえで、調査員が順位付けも含め評定を行うことは不適切ではないとの答弁を引き出した。

 また、採択の公開性や市民意見の反映についても、前記7月17日通知で、教育委員会と総合教育会議の公開と多くの住民の傍聴、議事録の作成と公開、市民との意見交換などに努力することが求められているので、私たちも大いに要求を強めていきたい。

 第三に、教科書採択への介入が、日本会議系地方議員の策動によって進められていることに着目し、それを許さないために、民主的な議員との連携を強めて対応する必要がある。

 第四に、教科書問題が安倍政権の「戦争する国づくりの一環として一体的に進められていることに注目し、戦争法制反対をはじめ安倍政権の政策に反対するさまざまな分野の運動と結んで、教科書運動ももっと多くの人々とともに手をつないで大きく発展させたい。
 
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