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小さな「戦争展」を一つ一つ積み重ねて、
大きな世論をつくり、憲法が生きる日本をつくろう。


平和教育41
山科・平和のための戦争展、30回をふりかえって


              山科・平和のための戦争展実行委員会
 

1・ はじめに

 毎年8月22・23日には六地蔵の縁日に合わせて、旧三条通りには数十軒の夜店が並びます。
 山科の夏の風物詩ともなっていて賑わいます。
 「山科・平和のための戦争展」はこの日に合わせて開催しています。
  入場者は浴衣姿のカップルや子どもづれの親子も多く、縁日に訪れた人達が沢山入場してくれるという特徴のある「戦争展」です。
  平均2000人以上の入場者があります。


2・ 「平和・憲法・美しい地球を未来に!」

 昨年の12月8日、第30回山科・平和のため の戦争展の記念集会を「平和・憲法・美しい地球を未来に」と銘打って開催しました。
プログラムは次のとおりです。
@平和のための朗読「ともちゃんのおへそ」
A私の戦争体験「広島で被爆して、今」 京都原水協・被爆者懇談会 花垣 ルミさん
B報告 Xバンドレーダーの配備計画について 京都平和委員会事務局長 片岡 明さん
Cコーラス ママと子どもたちの合唱  おとなたちの斉唱
D私の戦争体験「牧師の父は治安維持法に」 京都復興教会・名誉牧師 清水 潔さん
E記念講演「平和・核兵器・原発・放射能」  立命館大学名誉教授 安斎育郎さん
室内のコーナーでは展示も行いました。


安斎育郎さんの講演・要旨 

 まず今年の「流行語大賞」を交えてユーモアたっぷりに今日の政治をきびしく批判、秘密保護法撤廃のたたかいで「倍返し」をと強調。 聞かせどころは、戦争だけが暴力ではないという「平和学」の論拠を詳しく説明されました。
@直接的暴力=誰が誰に暴力を振るっているかが分る種類の暴力で、戦争、核兵器、殺人など
A構造的暴力=社会のあり方が能力をさまたげている暴力で、飢え、差別、環境破壊など
B文化的暴力=直接的、構造的暴力を助長するような文化のあり方で銃社会、体罰主義などにふれて、平和とは「戦争のない状態」だけでなく「暴力のない状態」をつくり出すことが大切だと話されました。
 最大の暴力は戦争であり「戦争阻止、核兵器廃絶、被爆者救援」の大運動を呼びかけたい。
  私たちがとるべき態度は「事態をあなどらず、過度に恐れず、理性的にこわがる」ことが大切だと講演されました。

安斎育郎さんの講演を聞いて

 昭和22年、北九州の八幡生まれで長崎育ち、姑が亡くなり初めて知った被爆者手帳を持っていたこと等、運命を感じ生かされていることに感謝の日々です。
 本日は意義のある集会に参加させて戴き、胸が熱くなると同時に反省の念もわき上ってきました。
 長男がいつも原発やTPPのことを熱っぽく話すのですが、余り理解せず相槌を打っていました。
 今日安斎先生の講演を聞き、著書3冊を購入し「事実を見すえる」「科学する心」「生きる」の貴重なメッセージをサインしてくださり、これまで目をそむけていたことを深く反省した日となりました。ありがとうございました。(女性)


3・ 「戦争展」ときどきの情勢と内容

 「戦争展」は山科地域の民主団体から選ばれた代表者と個人有志で実行委員会を結成し、実施ししてきました。
 展示するパネルは集団で討議し、情勢にふさわしいものを検討して展示してきました。
○兵器の模型などは次のようなものです。
 *トマホークの模型  *リトルボーイの模型
 *クラスター爆弾の模型
○戦時中の衣服・食事 など
 *戦車や飛行機の柄模様の産衣 *国防婦人服
 *戦時食・すいとん
○写真パネルは次のようなものです。
 *「焼き場の少年」   *「原爆と人間」
*沖縄の基地やたたかい *オスプレイ飛来
 *Xバンドレーダー基地 *福島第一原発事故
 *日本国憲法の先進性  *戦争責任問題
 *山科の戦争の爪痕
○折り鶴コーナー
 親子コーナーを設けてツルを折ってもらいまし
 た。翌年の原水爆禁止世界大会に届ける「平和
 の使者」第1号がここから生まれます。
○戦争を経験した人達が少なくなっていく中で、
 お話を聞き「戦争体験集」も編集しました。


4・ 30回も続けられた力の源は

@子どもたちの感想文(原文のまま)

 私たちが様々な困難の中で30回も続けてこられたのは、何より参加者の感想文が私たちに「よし、来年もやろう!」という勇気を与えたくれたことでした。
 「やっぱり戦争はダメです。関係のない人も死んだり傷ついたりすることになるからです。この『戦争展』は戦争をなくす第一歩だと思います。これからも戦争をなくすために頑張ってください」(小5)
 「この戦争でたくさんの犠牲者が出て、今でも苦しんでいる人がいると思うと戦争がきらいなりました。今、戦争の勉強をしているから、この「第30回山科・平和のための戦争展」で学んだことを役にたてたいなぁと思いました。
 日本が平和になるために、二度と戦争がおきてほしくないと思いました」(小6)
 「毎年この戦争展にきていますが、このパネルを何回見ても「悲しい、むごい」と思います。
 今、政府は憲法9条を変えようとしていていますがなぜ変えるのか。昭和時代に経験した戦争を、なぜ又味わなければならないのか。戦争をしても、何の得もなく利益もなくいいことなんか何もない。世界で平和ほど幸せなことはありません。戦争は何時やめるのか。今でしょ」(中3)
 「戦争は絶対にあってはならないことだと思う。人を傷つけ、家族をバラバラにするだけです。戦争を体験した人がどんどん亡くなってきているので、私たちにもっと伝えてほしいです」(中3)
 「私も子どもの時に両親に連れられて、この戦争展に来ていました。今はこの時期に里帰りをして、子どもたちと一緒にきています」(若い母親)

A地域のみなさんのご協力

 何より2002年以降、ずぅーと会場を貸して戴いている真宗大谷派・円光寺さんのご厚意です。「戦争展」開催中の3日間は、参道わきのみなさんも家への出入りが不便になります。特に奥の駐車場を契約されている方は前日から自家用車が利用できなくなります。
 又、京建労山科支部のみなさんには、100枚以上のパネルを展示するための掲示板を前日から20〜30人で製作・設置して戴き、終了時には夜遅くまで撤収作業をして戴いています。
 この大きな協力が「戦争展」を支えています。

回 数 年 度         主 な 情 勢 の 特 徴  な ど 
第1回 1983年 地蔵盆の縁日に空家で「ミニ戦争展」としてスタート。府中で空自初の日米共同指揮所訓練
第2回 1984年 (以降、会場は円光寺参道) 海自、横須賀で初の共同指揮所訓練 
第3回 1985年 中期防衛力整備計画策定(86−90年) 
第4回 1986年 初の日米共同統合指揮所演習。初の日米共同統合実動演習(キーン・エッジ) 
第5回 1987年 核兵器持ち込み「日米核密約」(1960年)の存在公表。 
第6回 1988年 米空母のA6イントルーダーが高知・早明浦ダムに墜落 
第7回 1989年 ソ連体制崩壊始まる。海自海外初の日米共同指揮所訓練・米海軍大学 
    この頃から会場の借用が困難となりその都度変更となる。
第8回 1990年 中期防衛力整備計画決定(91−95年) 
第9回 1991年 自衛隊掃海艇部隊ペルシャ湾へ出発。多国籍軍がイラク攻撃 
第10回 1992年 PKO法など協力法を強行採決。 自衛隊カンボジアへPKO派遣 
    「戦争展」10回記念 「平和の夕べ」開催・永原 誠氏講演他。
第11回 1993年 米、クリントン「ならず者国家論」を受けて、「日米安保共同宣言」発表
第12回 1994年 舞鶴・米軍ヘリ基地建設。自衛隊ルアンダへPKO派遣 
第13回 1995年 被爆50周年。沖縄少女暴行事件。中期防衛力整備計画決定(96−00)。阪神淡路大震災
第14回 1996年 1・15沖縄連帯集会。自衛隊ゴラン高原へPKO派遣。第50回国連総会CTBT決議案採択
  1997年 新「日米防衛協力のための指針」(新ガイドライン)合意 
第15回 1998年 テロ報復攻撃に米軍艦横須賀から参加。 中期防衛力整備計画(96−00)見直し

回 数 年 度         主 な 情 勢 の 特 徴  な ど 
第16回 1999年 トマホーク搭載艦舞鶴入港。 新ガイドライン関連3法強行採決。対人地雷禁止条約採択
第17回 2000年 対人地雷禁止条約発効。初の「周辺事態」想定の日米実動演習。中期防衛力整備計画決定
第18回 2001年 ニューヨーク同時多発テロ。 米、アフガニスタンへ報復攻撃。自衛隊アフガンへPKO派遣
第19回 2002年 (会場は再び円光寺参道に戻る) 
    アフガン報復戦争に対する世界の批判高まる。陸自、米陸軍と初の共同市街地戦闘訓練
第20回 2003年 米・英がイラクへ武力攻撃。イラク特措法成立。 あいば野・対ゲリラ戦闘作戦訓練開始
    「戦争展」20回記念 「うたと講演の夕べ」 開催 講演・西谷文和氏。
    折り鶴コーナー開設、以来 毎年原水爆禁止世界大会へ「平和の使者」として送付
第21回 2004年 有事関連7法と3条約案件成立。全国で「九条の会」結成。「山科・9条の会」も結成
第22回 2005年 被爆60周年。弾道ミサイル迎撃ミサイルの日米共同開発決定。自民党・憲法改正草案作成
第23回 2006年 教育基本法改悪法強行採決。「防衛庁」が「防衛省」に昇格。「思いやり予算」新特別協定締結
第24回 2007年 イージス艦がSM3迎撃実験。「改憲手続き法」強行採決。日本で「9条世界会議」開催
第25回 2008年 「クラスター弾禁止条約」全会一致で採択。名古屋高裁・自衛隊イラク派兵違憲判決
    日米共同統合演習実施(ヤマサクラ55)「9条世界会議」開催。 「憲法9条京都の会」結成
第26回 2009年 諸悪の根源である安保条約改定から50年。海賊対処法緊急上程。海自護衛艦ソマリアへ出港
第27回 2010年 核不拡散再検討会議で10年ぶり「最終文書」採択。「改憲手続き法」施行 
第28回 2011年 政府「新・防衛計画の大綱」作成。あいば野日米合同訓練。東日本大震災と原発事故
第29回 2012年 ミサイル防衛網配備。維新の会橋本代表「慰安婦は必要だった」発言 
第30回 2013年 経ケ岬へXバンドレーダー配備。 あいば野へオスプレイ飛来 
    「戦争展」30回記念 「平和・憲法・美しい地球を未来に」 開催 講演・安斎育郎氏


5・ 30回の「戦争展」をふりかえって

 「戦争展」を続ける中で、私たちの平和の願いが大きく前進する感動的な状況も生れました。
 2008年12月、オスロで開催された国際会議で「クラスター弾禁止条約」が日本を含む全会一致で採決されました。
 2009年4月にはオバマ大統領は「核廃絶を世界に呼びかける」演説をプラハで行いました。
 そのもとで2010年3月に行われる「NPT再検討会議」で「核保有国の完全な核廃絶の明確な約束」を正式議題とすることが決定されました。
 名古屋高裁の「自衛隊イラク派兵違憲判決」は 私たちのとりくみを励ましました。
 過日、福井地裁は、原発は人格権の侵害だとして「大飯原発再稼働差し止め」という画期的な判決を下しました。
 福島第一原発事故以来、戦争展でも一貫して被害の現状と、現在の技術と知識では放射能は制御できないものであることを訴えてきました。
 私たちの「戦争展」への入場者が、どこかで平和を願い、どこかで核廃絶を求め、どこかで原発ゼロをめざして行動されていることが、ストレートではありませんが、曲がりくねりながらも平和を前進させる力になっているのだと思っています。


6・今年のあらたな課題

 安倍内閣は国民の願いに挑戦的な態度で「集団的自衛権行使容認」の閣議決定を強行しました。
 「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」としてきた国是を、国会での討論もなく、国民への説明も行わず、自民党・公明党のみの与党密室会議で決めて閣議決定するという歴史的暴挙に対し私たちは怒りをもって抗議し、撤回を求めます。
 今年の「戦争展」は、安倍内閣が企む「戦争する国」への暴挙が、世界に誇る「憲法9条」と全く相容れないものであることを訴え、世界の歴史の流れに逆行するものであることを大きな世論にしていく役割が求められています。
 力は小さくても、日本中の「戦争展」が徹底して「集団的自衛権」行使に反対し「戦争する国」への法体制の整備にも断固反対し、憲法が生きる日本をめざす崇高なとりくみに全力をあげるならば、世論を動かす原動力になることは間違いない
と思っています。

(文責・事務局長 西川忠男)

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