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揺れ動く中学生の内面に届くのか 〜「私たちの道徳」(中学校編)〜 大平 勲(立命館大学・京都橘大学非常勤講師) |
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○拙速な手法で「教科扱い」へ 文科省は、「道徳教育の充実に関する懇談会」が昨年末にまとめた報告書に基づき2015年以降に、道徳を「特別の教科」に格上げするとしている。2002年から配付されている「心のノート」(今春改訂)に代わる位置づけで、「私たちの道徳」を約10億円の予算で小中学校の全生徒を作成・配付した。ページ数は「心のノート」より1.5倍に増え、「中学校編」は240頁に及んでいる。その内容は「自分を見つめ伸ばして」「人と支え合って」「生命を輝かせて」「社会に生きる一員として」の4つのテーマで24項目を並べている。その内容は、学習指導要領に示された「節度節制」「礼儀」「友情」「社会秩序と規律」などの項目に沿って、物語やコラムを満載している。「中学校編」では湯川秀樹、山中伸弥、若田光一、松下幸之助等の研究者・事業家、松井秀喜、高見盛等のスポーツ選手、緒方洪庵、鎌田實、西岡常一等のその道を極めた人、ガンジー、アンネ・フランク、新島八重等の歴史上の人などのべ81人の幅広い人物の格言や伝記を紹介している。従来の「心のノート」は短文や書き込み方式で抽象的だとの意見も踏まえて、偉人の成功の背景にある悩みや志を考察させ、自分の生き方と結びつけ考えを深めさせたいとのねらいが伺える。 学校現場では、この「私たちの道徳」「心のノート」の他に京都府教委作成の「実践事例ハンドブック」や京都市教委の「心に響く道徳学習のプログラム」等があり、教科書会社作成の資料集(育鵬社版「はじめての道徳教科書」もそのひとつ)も含めて、年間35時間分の「消化強要」に追われ無系統的な「つまみ食い」を余儀なくされている。道徳教育の強化が「安倍教育改革」の柱の一つであることから、「検定教科書」「成績評価」「指導者と免許」などの詳細が見えないままに拙速に現場におろされてくる事へのためらいと危惧が広がっているのが現状である。 道徳を充実させればこの国と国民生活が良くなるとは誰も思ってないし、ましてや多感で心が揺れ動く中学生にとって、「先人の生き方や偉人伝を読むだけでは『自分には無理』と読み捨てることになりかねない」との指摘もある。 ○ いくつかの「項目」の分析と批判 (枠内は本文の引用) ・ 「礼儀の意義を理解し適切な言動を」
「礼儀作法は社会生活の潤滑油です」(松下幸之助)、「小さい礼儀作法に気をつけたらこの人生はもっと暮らしやすくなる」(チャップリン)などの「ひと言」はその通りだと思うし、中学生ならばそんな「常識」はわかっている。でも中学生にもなると小学生の頃は近所の人などに当たり前のようにしていた挨拶もしなくなるのが「普通」なのです。思春期にあっては、それまでの他律(しつけ)についてもその意味づけを考えるようになり、挨拶することにどんな意味があるのか疑問を持ち出す「自律」が芽生えてくるのです。中学時代は友達には気軽に「おはよう」と声をかけるが、先生に挨拶をする生徒はむしろ少ない。だからといって敬愛の気持ちが薄いわけでもない。関わりや結びつきを深める中で自然に挨拶などの形が生まれてくるものです。 ・ 法やきまりを守り社会で共に生きる
ここでは、私たちの社会では一人一人の権利を保障するとともに、それぞれが果たすべき義務を守るために法やきまりがある、と説く。そして、学校の規則も含めて決められたものは納得いかなくても守るべきと言う。「権利を主張する前に義務を果たせ」と言わんばかりの主張である。国民や生徒が社会規範や校則に従うことを前面に出しているが、今の社会状況を直視すれば、政府や権力側が守るべき「平和憲法」や「子どもの権利条約」などのなかみを教えて、そうした理念の実現にどうして接近するのかを考えさせる事が大切であると思われる。 ・ 国を愛し、伝統の継承と文化の創造を
誰かが言う「美しい日本を取り戻そう」というメッセージが聞こえてくる。ここでは、内閣府の「世界青年意識調査」を引用し、日本人として誇りをもっている(81.7%)日本のために役立つようなことをしたい(63.9%)などを根拠にして「国を愛せよ」と誘導している。しかし、朝日新聞が今年4月に発表した「憲法世論調査」では、「愛国心は、学校で教えて身につけさせるべき」とするのが38%にとどまり、「個々人にまかせればよい」とする方が大きく上回り55%になっているのが実態です。「愛国心」の議論ではオリンピックでの「日の丸」と侵略戦争での「日章旗」が論争の対極にあるが、未来を生きる子どもたちが誇れる「愛国」の気持ちをもつためにも、かつて「愛国心教育」のもとで悲惨な戦争を誘導してきた事実に蓋をしてはならない。NHKの朝ドラ「おひさま」や「ごちそうさん」なども戦時下の実態を学ぶ一つの教材になるだろう。 ・ あなたの身近にいじめはありますか
この間、社会問題化したこともあり、「正義を重んじ公正・公平な社会を」「日本人の自覚をもち世界に貢献する」の二つの項目でいじめ問題をとりあげている。ここでは、各自を「加害者」「被害者」「傍観者」のどれかに位置づけ、いじめを受けた生徒の卒業文集から加害者側の生徒の痛恨の反省を紹介している。そして、加害側や傍観者にはならないとする心がけを説いている。「いじめはよくない」ことは百も承知している生徒に「やめよう」と訴えても響かない。むしろいじめが起こる背景に何があるのか、起因よりも集団の構造のあり方を考える議論をクラス内の具体的事実に沿って深めることが大事だと思われる。生徒会の「いじめ撲滅宣言」なども紹介しているが、一昨年の大津のいじめ事件の中学校が道徳教育の研究指定校で生徒会もそのようなとりくみをしていたが、生かされなかった。第三者委員会の報告書でも「道徳教育の限界」を指摘し、いじめの背景として「競争原理と効率」を求める社会のあり方が問われていると述べている。 ○ 私たちのめざす道徳教育 1958年に「道徳の時間」が設置され半世紀を超えるが、子どもにとっても教師にとっても悩ましい時間帯であることは今も代わらない。始まった頃は他教科や学活に転用することも多かったが今では内容も含めてきちんとやるべき時間としてのチェックが強い。道徳不要論や無理論もはびこっているが、私は人間が大切にされ主権者として生きていく上で市民道徳は教育としても必要と考える。だが、「良い子」のものさしで模範的な心がけと行動を求め、「自己抑制のすすめ」を徳目として並べるような道徳教育は空しいだけである。自立と協働が必要な社会の一員として現実社会の矛盾や困難を共に「考える」時間として幅広い教材を発掘したいものだ。私が青年教師の頃、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を黙読させ、コペル少年と叔父さんのやりとりから1930年代後半の社会の仕組みを学んだ彼の成長を通して、社会のあり方と自分の生き方を考えさせた授業。これが最も納得した道徳実践であった。 |
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