トップ ひろば一覧表 ひろば178号目次 

●集団的自衛権行使容認問題

安倍内閣の一存で、「この国の形」を変えさせてはならない



                龍谷大学政策学部教授  奥野恒久
 

1.集団的自衛権とは?

(1)安倍内閣は、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(首相の私的懇談会)が5月に報告書を提出するのを受け、集団的自衛権の行使容認へと踏み出そうとしています。集団的自衛権は、国連憲章51条にて個別的自衛権と併せて規定されていますが、「固有の権利」ではなく、第二次大戦末期の国際情勢のなかで生み出されたものです。それは、自国が武力攻撃を受けた場合にそれを撃退する権利である個別的自衛権と異なり、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」とされます。

(2)日本政府は、自衛隊の発足当初から「自衛のための必要最小限度の実力」を持つことは憲法9条に違反せず、自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力」であって、「戦力」でないとしました。そのうえで、自衛のための実力行使は、@わが国に対する急迫不正の侵害があること、Aこれを排除するために他の適当な手段がないこと、B必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、の3要件に該当する場合に限られるとし、それゆえ政府は「憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するために必要最小限度の範囲にとどまるものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」としたのです。

 9条をめぐる憲法学説の主流は、政府の自衛隊合憲論と異なりますが、集団的自衛権は行使できないという政府解釈は法的論理に基づいて確立されたものであり、いわば憲法的確信といえるでしょう。


2.手続と中身、両面での憲法論を!

(1)憲法とは、国民が国家機関に対し、権力を授けるとともにその権力を縛るための法です。憲法で最も縛られているはずの内閣が、これまで確立してきた憲法上の制約を、その一存で変えるなど、憲法を破壊する行為です。保守政権のなかでも安倍政権の異常性を指摘せざるを得ません。「明文改憲という手続を経ないでの集団的自衛権行使は許されない」という主張は、法や手続を真面目に考える人にとって、ごく当たり前のことです。

(2)ところで、今なぜ集団的自衛権の行使が必要なのでしょうか。米国に向かうミサイルを撃ち落とすなどと言われますが、現実性のある喫緊の課題とは思われません。アジアの安全保障環境が悪化しているからとも言われますが、集団的自衛権の行使容認は、近隣諸国との関係をますます「力によるもの」へと悪化させます。おそらく容認論の狙いは、自衛隊の海外での軍事活動に道を開くことにあるのでしょう。しかしそれは、「この国の形」を変えることなのです。

(3)アジア・太平洋戦争への深い反省のもとで制定された日本国憲法は、前文で「信頼の原則」に立つことを謳い、9条で非軍事平和主義を採用しました。対外的には、「軍事によらない平和」を掲げて曲がりなりにもやってきました。対内的には、1945年以前の軍事優先の社会から、自由を中心とする個人の尊重に価値をおく社会へと大転換を図りました。

 集団的自衛権を行使することで、例えばアメリカのイラク攻撃のような事態につき合い、海外で戦争を行い、戦死者を出す国になろうというのです。それは、再び「戦争を批判できない」社会を到来させるでしょう。歴史を顧み、想像力を駆使して具体の生活に引き付けつつ、同時に理想を語っていきたいものです。少なくとも、今の私たちの最高法は、それを可能にする日本国憲法なのです。


 
「ひろば 京都の教育178号」お申込の方は、こちらをごらんください。
トップ ひろば一覧表 ひろば178号目次