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■特集テーマ 2  子どもが育つ文化・表現活動

総論 児童演劇運動と学校公演(芸術鑑賞教室)

               門馬 吉範(劇団風の子関西)
 
京都における学校公演の歩みと現状

? 戦後、投げ入れ教材から始まり、良心的な教師と劇団との知恵と協力で普及、専門劇団の努力で全国に定着したのが現在の学校における芸術鑑賞行事です。(劇団では演劇教室という)京都では、劇団京芸、人形京芸、茂山狂言会が早くから努力を重ねてきました。

??? 1980年代には、都市部ではほぼ全校が自主的に実施するようになりました。


画期的な「京都府移動劇場」

??? 京都府下では1967年より京都府移動劇場が誕生。人形劇団京芸と蜷川知事との話し合いから京都府下のすみずみの小規模校へ「移動劇場バス」を走らせる画期的なシステムを作り出しました。その後、中学生を対象として劇団京芸、劇団くるみ座、劇団京都ドラマ劇場が加わります。1973年までに年平均公演回数210回、年平均人員48,000人を維持しています。1976年、劇団風の子も加わることで観劇料、出演料の適正化、教育現場が劇団を選択する等が改善され、移動劇場が確立。その後、京都フイルハーモニー、茂山狂言会、その他の多くの団体が参加できるようになりました。しかし、府政が変わり各地の教師の希望があるにもかかわらず、基本システムが改訂され1988年、「京都府こども青少年芸術劇場」「京都府優秀舞台芸術公演」の二通りに分化。ついに1992年移動バスを廃止。最後に「京都府こども青少年芸術スクール」として郷土芸能、茶道、華道などの生活文化の体験教室へと拡散してしまいました。

??? 移動劇場のシステムの優れた点は、過疎地校を優先、行政が配慮した適正な鑑賞料金を生徒から徴収することで教育現場や子どもの選択権が保障され創造団体との対等関係が成立した点です。無料施し文化行政ばかりの日本では、今や考えられない夢の制度になってしまいました。

さて、1980年代当時、「よい映画をみる会」の運動や「京都親と子の劇場」の子育てと鑑賞を大切にした運動が昂揚した背景もあり文化に対する正当な意識も高まります。(例えば、子どもの演劇は子どもが主役なのだから子どもの料金大人の料金は同一にすべきなど。子どもは大人の付属物ではなく一個の人間として考える。)学校では、一学期に演劇、2学期に音楽、三学期に映画というように毎学期毎に鑑賞行事が取り組まれたのもこの頃でした。

?? しかし、1992年学習指導要領の改訂、学校五日制にむけ月一回の実施、総合的な学習の導入、行事の精選が始まります。1994年学校5日制月2回となり、1年に1回の鑑賞行事を維持するのが精一杯になります。この時、少し落ち着きを取り戻しましたが最悪の事態は2002年の指導要領改訂と完全学校5日制です。授業時数の増加でいっそうの行事の精選、父母負担の軽減が叫ばれ、ついに鑑賞行事を中止する学校が続出してしまいます。現在、京都市内では小学校178校中99校、55.6%の実施率(2012年)に降下しています。右京区は早い段階から影響を受け、東山区、中京区、下京区は統廃合で中止しています。(図参照)中学校は壊滅しています。また、実施校でも生徒ひとりあたりの鑑賞料金も800円に定着していたのが700円に下落、悪癖の要保護児童・準要保護児童の鑑賞料金免除も復活しているところも出てきました。(過去に国会で論議になり文部省は郊外活動費に含むよう事務通達しています。)

??? 学校公演は学校側から見れば芸術鑑賞行事ですから、あらゆるジャンルが入ります。音楽(室内楽、オペレッタ、オーケストラ、ポピュラー、民族音楽)、伝統芸能(狂言、能楽、落語)、バレエ、パントマイム、影絵、そして演劇(人間劇、人形劇)です。児童演劇としての実施率は20%ぐらいとなります。6年間に1度も演劇に触れられない学校もあります。


児童演劇運動の必要性

 次に児童演劇は子どもが観客対象ですので、親というスポンサ−の許可が必要です。

 これが児童演劇の宿命です。大人の理解なくしては成立しない演劇です。親、教師、保育士、行政マン等子どもに関わる人に理解を深め認識を広げていく必要があります。それが児童演劇運動です。かつては子ども劇場・おやこ劇場運動という子育て運動がこれに重なり、演劇教室運動という学校教育の中での鑑賞を通して子どもの自立発達を刺激したり演劇教育を広げる教師の児童文化運動と重なったりしました。今は、いずれもデジタルな社会状況が深化する中、身を寄せるのではなく個々バラバラが常態となり、教師も課題が多く忙しく、余裕を持って地域社会や外部との接触ができず、運動は衰退する一方です。その意味で運動をもつ劇団の制作者は、ただ学校へ売り込みに行っているのではなく、教育の現場を学び、児童演劇で共有して切り拓ける地平(つまり子どもの現状にあった創造とは何か)をさぐり、その理解者を創ろうと必死なのです。しかし、一方で先駆的に開いてきた学校公演が定着すると、逆にそれを商売にする団体も多く生まれました。今も尚、同じ劇団が複数の劇団名を名のって発送するダイレクトメ−ル商法、需要があってから役者を東京で寄せ集めて作る劇団、演目名が同じものでも学校の生徒数に応じて(採算に合わせて)人員を減らしたり増やしたりする劇団等多くあります。様々な形があるにしろ創造レベルが子どもに対して誠実なものかが問われます。名作物を子どもに見せてあげる式のたちの悪い劇団を駆逐したいのですが、学校現場は忙しく結局、ダイレクトメ−ルやホ−ムペ−ジ(芝居ではなく、ここに宣伝費をかけている劇団もあります。)に頼って判断するケ−スが多くなり、公演実施した後に評判悪く、鑑賞行事を中止するという悪循環も招いています。また、教師の方が近年は、子ども達には創作物やあまり知らない題材は難しく、知っている物の方が安心という傾向が強まっています。異世界への体験や未知のドラマへの体験が子どもの想像力をより高め発見が豊かになるはずですが、先生まで今の子どもはこの程度と子どもの可塑性を信じない状況が多くみられます。

 無責任な劇団を見抜くには訪れてきた劇団制作者と信頼をつなぐ話し合いが必要です。児童演劇運動として教師と劇団がつながって、信頼をもって互いに厳しい目で、子どもにとってどうなのかを批判しあわないといけません。


子ども文化と児童演劇

 今日ほど人工物に囲まれた時代では、子ども文化の成立する子ども世界は演劇同様、片端においやられています。自然豊かで自然と戯れる悠久な時間があった時代、大人とは隔絶した子ども文化の世界は、ヒトが他の動物と同様の感覚的で身体的な運動次元(知覚)を持つと同時に、目的なくイメージに浸り、イメージを作り出す遊びの能力をも形成してきました。

?? 言葉で分断される前に、外界を様々な角度で受容する。そして蓄積したイメージを必要に応じて繰り出すことができる。他者との交わり(子ども集団)も共通の時間場をすごすことで独自の関係を築き、共有共感のイメージを体得する。こうした可塑性豊かな子ども文化との質的な連係共同が児童演劇に求められる役割であり存在理由でもあります。

??? なぜなら演劇とは演ずる者と観客が場(庭)を共有することで、その場に現出するものを互いに感得するものです。発話場の共有性の中で一定の身振りや顔の表情、一定の声の抑揚やリズムに具体化され、非言語、サブ言語的なコミュニケーションを備えたあらゆる爽雑物を身にまとった表現形態といえるからです。そうした意味でも児童演劇は子ども文化に通じなくてはなりません。そして子どもの成長発達に寄りそった具体的な疑似体験を通して、そこに渦巻く想像力や構想力を喚起し、時代状況に必要なある価値や意味をメッセージとして送り出す役割を担っています。


児童演劇の創造課題

 戦後60年代から本格的に児童演劇は始動し作品化してきたものは、貧困、差別、偏見、戦争等、大人の不正に対する子どもの正義を直截に描いたものでした。この頃、休憩を入れて2時間の上演時間が普通で演じる役者も15名〜20名という大編成でした。また劇場スタイルの作品を体育館へ持ち込む状態で暗幕が必ず必要でした。その後70年代は逆に体育館でしか効果的でない作品が登場して、明るい中で子どもと対面することになりました。

 形式も出舞台や花道のあるもの、円型舞台ありと様々な空間が模索されています。当時、子ども達に欠けている能動性や創造性をを刺激するために、日常の遊び(ごっこ遊び)や伝承遊び等、子どもの身近にある素材でドラマを創造する作品も生まれています。

 80年代、子ども劇場・おやこ劇場の要望で、幼児向き、小学生低学年向き、高学年向き、中学高校生作品と子どもの発達段階に応じた作品が多く創られていきます。80年代後半に‘自殺する子どもの心と体の問題’‘人間性を奪う科学に対する批判’‘現代の貧困の中での孤独と仲間の問題’など子どもの内面に迫る作品が生まれました。

 90年代、学校教育の変化が激しくなる中で、作品も1時間20分程度の上演時間、編成も10名程度になっていきます。2000年以降は学校の条件に合わせ、上演時間は70分程度、経済的重圧のため6〜7名が限界になってきます。そのため作品の内容もコンパクトで窮屈なものにならざるを得ません。また、オリジナルな創作脚本は減少し圧倒的に原作物の脚色ばかりになっています。この事態は今も変わらず創造的に深刻な問題です。現代の子どもの問題をオリジナルで捉えることができず、直視した物を描けない状況です。児童文学や漫画等、他ジャンルの種を借りて思いを重ねることしかできていません。

 3・11以降の右傾化の中、何としても子どもに感動を与える抜きん出た作品を創らなくては児童演劇の未来はありません。経済的困難、過重労働の公演現場、児童演劇運動の低迷と前途多難の中でも子どもとの出会いがある限り‘現実を見つめる勇気と未来を切り開く知恵と実りある人間生活を営む豊かな心を育てる糧となる演劇の創造と普及’(劇団風の子規約前文より)を続けて行きたいと思っています。「永久の未完成これ完成である」

 
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