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特集1 安倍教育改革と教科書


総論 安倍政権の「教育改革」のゆくえ
−−「グローバル人材論」を徹底批判する−−


                     石井 拓児(愛知教育大学)

 

1.「教育再生会議」から「教育再生実行会議」へ

 2012年末の政権交代により誕生した安倍政権は、「教育再生実行会議」において教育改革論議をすすめ、これを政策化し実行しようとしている。さすがに実行会議と名付けるだけあって、相当な覚悟と熱意でこれをすすめようとしているようにみえる。しかもこの会議の用意周到さは名前だけに留まらない。

 前回の第一次安倍政権は、閣議決定で「教育再生会議」を設置(2006年10月)、教育基本法改正等の作業を推し進めた。教育再生会議での議論の多くは「理念先行」で実行されなかった政策も多く残された。その原因として、「文部科学省との調整不足」を指摘する専門家もいた。こうした反省をふまえて、「教育再生会議」が文書の起案等を内閣官房が担当していたのに対し、「教育再生実行会議」は担当室を文部科学省においている。こうして実行会議での改革論議/政策論議をそのまま具体化可能な文書として起案させ、法制度改正までの流れをスムーズにしようとしている。

 ただし、かつて本田由紀氏が指摘したように、「教育についての科学的な検証に従事している者をひとりも含まないメンバーから成る教育再生会議」(朝日新聞、2007年1月27日)という評価は、今回の実行会議にもそのままあてはまる。教育現場の実情をふまえない「理念先行型」改革という本質はほとんど変わらないことが予想され、どこまで実行力を持つのかはなお不透明である。

 2013年9月の段階で、教育再生実行会議は3本の提言を発表している。「いじめの問題等への対応」(第一次提言)、「教育委員会制度の在り方について」(第二次提言)、「これからの大学教育等の在り方について」(第三次提言)であり、今後、大学入試制度に関する提言が出される予定である。ここまでのところ、当面、「教育改革」の主たる実施場面は大学改革・大学入試改革に焦点化されてきているようにみえる。

 考えておかなければならないのは、大学改革・大学入試改革が進行すれば、高校教育が多大な影響を受け、やがてその影響は中学校教育、小学校教育へも波及することになることである。安倍政権の掲げる教育改革は、「グローバル人材の育成」を正面から謳い、かつてないほどにあからさまな(剥き出しの)エリート教育路線を追求しようとしており、小中学校段階でも差別・選別的な教育が強制されることになるであろう。

 これまで「エリート教育」というコトバを使用することに対し、文部科学省の教育政策においてはそれなりの遠慮がみられた。教育再生実行会議を中心軸にして教育改革を断行することによってこの「壁」を突破しようとしており、20世紀末から続く教育改革は、新しい段階に踏み込んでいる。本稿では、エリート教育をねらいとする「グローバル人材論」を批判的に明らかにすることを通じて、私たちの教育運動の課題を明らかにしたい。


2.安倍政権の教育改革発信源はどこにあるのか

 ここで、21世紀以降、いわゆる「新自由主義教育改革」と呼ばれるものが、どこから派生してきているのかを確かめておくことにしよう。

 例えば小泉構造改革時代で言えば、その司令塔は「経済財政諮問会議」にあった。この諮問会議は、首相と5名の閣僚と日銀総裁、そして首相が任命する4名の民間議員で構成される。このうち竹中平蔵氏は首相が財務大臣に任命して閣僚の一人として出席するため、要は4名の民間議員と竹中氏、そして首相をあわせた6名が、口裏さえあわせれば何でも過半数決定できるという会議構成である。国立大学の法人化もまた、この会議で決定されたことによって大きく具体化へと推し進められた経緯がある。

 民間議員4名によって経済財政諮問会議に提出された文書「人間力の強化に向けた教育改革―我が国の将来を担う次世代の育成強化のために―」(2005年6月1日)がある。この文書は、@学校の評価システムの強化(外部評価・評価結果の公表システム、全国学力調査の実施)、A多様な人材の導入による教員の向上、教育内容の多様化(外部人材活用の拡大のための教員免許の特例措置の拡大、職業教育や経済教育の積極的導入)、B学校間の競争促進と利用者の選択の拡大(学校選択制の全国的な本格導入、バウチャー制度の導入、株式会社等の学校法人への参入)を提案している。これらの政策の一部は具体化されたものの、全体としては機能不全のままであったことはすでに述べたとおりである。
今次の安倍政権は、この「経済財政諮問会」を復活させると同時に、「日本経済再生本部(産業競争力会議)」という全閣僚が参加する会議体をおいている。経済成長につながる施策を各省庁から提出させることが目的である。各省庁は、「経済成長と関係する政策の立案」のみを急がされることになる。

 2013年3月15日には、「人材力強化のための教育戦略」(下村文科大臣提出資料)、2013年4月8日「教育再生実行本部 成長戦略に資するグローバル人材育成部会提言」(遠藤議員提出資料)が提出されている。「グローバル人材育成のための3本の矢」として、1)英語教育の抜本的改革、2)イノベーションを生む理数教育の刷新、3)国家戦略としてのICT教育があげられ、「グローバル人材育成のための1兆円の集中投資」や「「グローバル人材育成推進法(仮称)の制定」などもあげられている。

 2013年4月23日に出された「人材力強化のための教育改革プラン」(下村文科大臣提出資料)は、「海外留学環境整備」「運営費交付金の戦略的配分」「年俸制の本格導入/給与システム改革」「外国人教員の採用拡大」「入試へのTOEFL等活用」「世界トップレベル拠点形成」等があげられている。大学改革・大学入試改革が目玉商品として陳列され、先に見た教育再生実行会議の提言文書と一体的な内容構成となっている。

 いずれにせよこれらの教育施策が「成長戦略」との関係で語られることに大いに注目をしておく必要がある。教育現場の事実、子どもの成長発達の事実、こうした意味での「教育の目線」で教育政策が語られているのではない。


3.グローバル人材論と「英語教育」推進政策

 中でも周囲の耳目を集めている教育改革の目玉のひとつに「大学入試へのTOEFL等活用」に代表される英語教育推進政策があげられる。やがて小学校英語活動の低学年化、あるいは小学校英語教育の教科化も予定されてきている。

 英語教育推進政策のねらいを遠藤利明衆院議員(自民党教育再生実行本部長)は、「シンプルな話です。学校で、話せる英語を学べるようにしましょうということです。話せるようになった方がいいじゃないですか」と屈託なく話し、「英語教育を変えることでグローバル人材を育成しようという大きな目的があります。…企業のみなさんは賛成してくれていますよ」(2013年5月1日付朝日新聞)と語っている。本政策の発信源は、明らかに財界の要望からスタートしている。

 こうした動向に、多くの専門家が批判的である。英語教育の専門家である江利川春雄教授(和歌山大学)は、「学校教育だけで英語が話せるようになる、というのは幻想」と言い、「このようなテスト(TOEFL)を入試に導入したら、大半の高校の教育現場を破壊してしまいます」(2013年5月1日付朝日新聞)と指摘する。NHK「ニュースで英会話」の司会をしている鳥飼久美子氏(立教大特任教授)の指摘が面白い。「そもそも週に数時間の授業だけで英語を習得できるほど日本語と英語の距離は近くない」と述べている(2013年5月20日付中日新聞)。

 そもそもバイリンガルの研究は、それほどにすすんではいない。二言語以上を習得するためには、どの段階から学習をはじまたのかということ以上に、その言語を活用する生活環境がどのように準備されているのか、家庭や地域の状況が相当程度に関係しているからである。また言葉獲得には、「会話可能な程度」から「概念的思考が可能な程度」までレベルがある。二つ以上の言語を学んでも、「概念的思考」が極度に困難な「ダブル・リミテッド」に陥る危険性もある。先の遠藤議員の「話せる方がいいじゃない」という発言は、あまりに無邪気すぎる。

 それでは、教育政策当事者は、こうした「子どもの言葉の獲得」に対する科学的研究成果について無知であるがゆえに無謀な英語教育推進政策を採用しているのであろうか。

 いや、おそらくはそうではない。「グローバル人材の育成」を掲げる者たちにとって、「日本語と英語の両方を使いこなせるような日本人」はそれほど大量には必要がない。つまりはここにはっきりと、「公教育」の中に、「グローバル人材」とそうでない者とを峻別する枠組みが形づくられてきているように思われる。従来、グローバル企業は、自社の社員については社員教育として留学研修の機会を設けていたが、これを公教育に肩代わりさせることで経費の節減を図っているともみられる。

 なお付け加えておくならば、社内公用語を英語に切り替えた楽天の三木谷代表が中心となって新しい経済団体「新経済連盟」が立ち上がっている。三木谷氏は総選挙後に産業競争力会議のメンバーにも入るなど、現政権と急速に接近している。また下村文部科学大臣は塾業界との関係が深いことで知られているが、この間の英語教育を推進する教育改革に合せ、塾・予備校業界がこれをビジネス・チャンスととらえる動きも目立ってきている(「我が子に英語 急ぐ親」「塾が軒並み活況 資金贈与制度も一役」朝日新聞2013年5月10日夕刊)。「グローバル人材論」をめぐる政策発信源を見定め、これを公教育と子どもの人間的発達の観点から、旺盛に批判していくことが求められている。


4.私たちの教育運動の課題―まとめにかえて―

 以上のように、まがりなりにも平等性・中立性をふまえて運営・実施されてきた日本の公教育は、「グローバル人材の育成」の名のもとにきわめて露骨なエリート教育の場に変質させられようとしている。大学改革・入試制度改革を前にして、各高校は「国際バカロレア」の認可申請を急いでいるという動きも報じられている(読売新聞2013年9月7日)。

 こうして大学改革・入試制度改革は、高校教育、やがて小学校・中学校教育にも波及することになるだろう。そこでは差別的・選別的な教育内容が学校現場に持ち込まれ、学力格差・教育格差はいっそう明白に立ち現れることになる。加えて安倍政権は、貧富の格差拡大を助長する教育財政制度・社会保障制度の改変(すなわち高校無償化制度からの後退、生活保護制度基準の切り下げなど)も予定している。OECDのPISA調査で、貧富の格差は温存されているもの、学校現場・教師の献身的努力によって学力格差を最小限にとどめている国として日本を紹介しているが、今次の「教育改革」で、その努力は限界を超えることになるのではないかと危惧される。

 最後に本特集の全体との関係で補足して述べるならば、「グローバル人材論=剥き出しのエリート教育路線」には裏側がある。教育内容の前倒しや小学校低学年での英語教育の実施など、子どもの発達を度外視する教育政策が展開されようとしている問題と、「態度主義・道徳主義教育」の強化という問題は、表裏であるということだ。ここに新自由主義と新保守主義が結合する教育の地場がある。安倍首相のウルトラ右翼的思想が、新自由主義的教育政策と矛盾なく溶け込みあう「教育的現実」と言ってもいい。

 「差別的・選別的な教育内容」のなかみを、子どもの成長・発達の観点から徹底的に吟味・検証しこれをのりこえていくこと、すなわち全ての子どもの成長発達に即した教育内容・教育課程を各学校単位でつくりだしていくという、たいへん重く大きな課題を教育運動は負っているのではないか。しかしその重くて大きな課題は、本来、わたしたちの重要な責務でもあったはずだ。


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