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■私と京都

日本は京都、京都は日本



      テイ·クアンチュン(マレーシア出身)

 

 東南アジア内で家族と短期間の旅行以外、私の人生最初の25年間はずっとマレーシアで過ごしていました。旅行の観点ではマレーシア人にとって、日本は自然に恵まれた美しいところであり、独自のユニークな文化を享受することができる国です。日本人の礼儀正しさ、交通機関の便利さなどという美点はよく知られています。しかし、同じアジアの国でも言葉の壁や通貨はなかなか日本に来ることが出来ない理由になっています。私は機械工学の専門で、現地の大学を出てからすぐ仕事に就くことができ、安定した生活を送っていました。その後、日本の大学院に進学する機会が与えられました。先端技術開発が盛んである日本にとても興味があり、地元を離れてもっと自分の視野を広げたいという気持ちがあり、結局自分の安心領域から出て当時不案内な日本に留学しました。

 留学先を日本の京都にするきっかけは大学の友人でした。彼は大学の同級生で、大学を出た後も同じ会社で勤めていましたが、私より一年早く仕事を辞めて京都大学に入学しました。彼から留学生活特に京都での生活を聞かせてもらいました。勉強の時間以外、春に鴨川でお花見をしたり、夏に保津峡でラフティングをしたり、秋に比叡山の延暦寺で紅葉狩りをしたり、冬に雪で覆われている金閣寺を訪れたりした写真を見せてもらうと、何かうらやましくて、京都大学を受験しようと思いました。幸い大学に受かって始めて日本に来て、京都で過ごすことになりました。

 最初、私は宇治市にある大学の国際交流会館に住んでいました。大学院の研究室は京都市の吉田キャンパスにあり、毎日の通学時間は往復約2時間でしたが、そこに半年間住んでいたことはよかったと思います。丘の上にある部屋の窓から見る自然と景色はきれいで心地よいものでした。それに、八月の初めに宇治川花火大会が行われる時、部屋からもはっきり見えて素晴らしかったです。その後、私は哲学の道の近くにある和室の部屋に引っ越しました。床はたたみで、シャワーではなくお風呂につかることになって、正に日本人らしい生活ができました。小学校と公園が部屋のすぐ近くにあって、放課後子供たちの遊ぶ姿、特に秋は公園内の銀杏の葉っぱが黄色に変わって、とても気持ち良よかったです。週末には、朝早く起きて大文字に登って日の出を見て、そこから哲学の道に沿って南禅寺までジョギングしていました。哲学の道では特に春の桜の光景に驚き、夏は暗夜に蛍が見えました。

 日本に来るのは良いことばかりではありません。特に、日本語がほとんど分からなくて周りの地域の人と交流できませんでした。その日本語を勉強する経験は私にとってなかなか面白いと思いました。マレーシアで生まれた華僑の私は学校で英語、マレー語、中国語を習っており、文法や要素には多少共通点がありますが、日本語はまったく違います。それに、日本語には、尊敬語や謙譲語という要素があり、それを身につけるのはとても難しいです。しかし、それは独特な社会的上品さの直接的反映であり、日本語でコミュニケーションをすると自分がすごく上品に感じられます。教室では日本語の標準語しか学んでいませんが、京都では多くの人が関西弁や京都弁で喋っています。それは更に状況をややこしくしますが、ここにいればいるほど現地の文化が理解でき、方言で話すのは本当に「おもろい」です。

 私は4年も京都に住んでいましたが、あっという間でした。三月に卒業してしばらく日本で仕事に就きますが、京都を離れることに悲しみの念を禁じえません。私にとって日本は京都、京都は日本であり、第2の故郷のようなものです。お世話になりました。おおきに!

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