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特集1 学び成長する青年教職員

総論
青年教職員と学びのニーズ



                    星 琢磨(京教組青年部)
 

 昨年12月、京都総評青年部の交流会で、京都市の小学校で非常勤講師として勤めている青年と話をする機会があった。彼女はこう語っていた。「必要な授業に入って、勉強を見たり、子どもと接する時間は充実している。だけど、自分の持ち時間が終わると帰るしかなく、忙しそうにしている先生たちと会話する時間はない。子どものこととか学校のこととか、もっと話したいと思っているんだけど」・・・明るい口調だったが、そこには切実な要求があるように思う。


青年のとりまく環境とそれぞれの「孤独」

 この間、新規教員採用数は毎年1000近くにのぼっている。2012年度は、京都市・京都府・高校・義務制をまとめて958人が新規採用され、35歳までの教職員は、全体の4割に届こうという勢いで急激に増加している。10年後には50代のベテラン教職員たちが現場を去り、優れた教育実践の継承は急務である。

 また、京都府教育委員会が公開している資料によると、京都府の定数内講師は606人。非常勤教職員は1000人を越え、実に多くの先生が非正規で勤務し、その多くは若年層といえる。もちろん生活実態に合わせて望んで短時間勤務に就いている場合もあるが、多くの場合は正規教職員を目指しながら現場での実践にとりくんでいる。

 前述の青年のように、非常勤で勤務する教職員はその枠組みに阻まれて、学校全体の動きやとりくみに加わりづらいことが多かったり、研修の機会が保障されておらず、それぞれの「孤独」をどこかに抱えているのである。

 一方で、職場作りの機能が落ち込んできていることも指摘されている。学校の状況が厳しくなればなるほど、助け合う機能が後退しがちになるのはいうまでもない。

 自身の初めて常勤講師として中学校に着任した年を振り返ると、「ひたすら慣れるのが大変だった」という思い出がわいてくる。「大学では学ばないことがこんなにあるのか」と愕然とした記憶もある。教育実習でも学びきれない経験、学びきれないことのなんと多いことか。それでも現場の先輩教職員たちに教えてもらいながら(叱られながら)一つずつ成長させてもらったという思いがあるし、育てる意識に満ちた職場であったことは幸運であった。

 服務や処分を盾に強まる管理、学校現場の多忙化により、職場で「同僚を育てる」という働きや意識の低下、「とにかく上手く立ち振る舞わなくてはならない」という強迫観念と「それでも上手くいかない」というジレンマは、僕自身の体験や同僚の青年たちの姿から見て取れる、ある意味共通した悩みなのだ。

 教育委員会が求める「即戦力」という方針も相まって、着任したてであっても「できて当たり前」という個人の責任を追及する風潮は強まっている。いずれにしろ若い教職員をとりまく環境は依然として厳しい。


時代を反映する青年の変化

 教職員としての学び方も、時代によって変化する。また青年自身の質も変わってきているし、あるいは意図的に変えられてきている。

 市販の教材や解説書などが多数出版され、「これさえ押さえれば誰でも成果が出せる」と謳う教科セミナーも存在する。情報の取り出し方に長けた青年層は、学ぼうと思えば検索することで何らかのヒントを得ることができる。昔読んだ書籍に「ホットな対人関係よりもウォームな対人関係を望む若者たち」という言葉があった。今要求されているものは、論をぶつけ合い、批判的検討をしあう「熱く泥臭い」ものはではなく、「じんわりと労り合いながら助言」なのではないか。そしてイマドキの若者は自分を高めるにしても、「クールでスマート」でいたいのではないだろうか。青年の持つ繊細さやややこしさの向こう側にある要求を見つめながら、必要なアタッチメントを考えていけば必ず反応はあると感じている。


教研のかたちもさまざまに

 昨年11月には「わかもんTeRAKOYA」が開催され、主に専門講座を中心に、青年を中心に中堅・ベテラン80人の教職員集まって学習交流をした。「休みをつぶしてでも参加したくなる教研」をキーワードに、役員の中で運営していく教研を構想する過程で、まず自分たちが学びたいと思える内容でなければ意味がないという議論を中心に置いた。「今、学びたいことはなにか」に焦点を絞った。現在350人の青年部員がいるが、なかなか教研や学習交流会に参加できない青年も少なくない。日々の業務に追われていて、協力できない後ろめたさや、申し訳ないという声を聞く。条件が整わずに参加がしにくい現状の中で、持続可能な教研やとりくみ、その手立てを建設的に考えていくことが課題となっている。「わかもんTeRAKOYA」では、パフォーマンスや文化的行事などを削り、割り切った形式をとった。先輩教職員たちの力をおおいに借りたことで、講座を通した学びの場として質は高いものになったと総括したい。

 無論それだけでは、血肉の通った、子どもの心を揺さぶる教材となるかどうかは別の問題だ。先輩方が培ってきた実践は「ノウハウの継承」だけではなったはずだし、失ってはいけない「教職員としての研鑽」のエッセンスがあるのだと思う。教育論議も、喧々諤々とした激論から悩み相談までさまざまなかたちがある。かねてより、A4用紙1枚からの実践振り返りを提案している。レポートを難しく考えずに、「何を大切にして授業や集団づくりにむかうか」という思いを言葉に綴ることからのスタートだと思う。


各地のとりくみに学ぶ

 京都府下の各地域でも学習会、サークルを継続して学びのつながりをつくってきている例がたくさんある。その多くは、「実践力をつけるために学びたい」という要求にダイレクトに応えるものだ。そしてその中から「子どもの見方」「教育論」を醸成していくことが重視されている。

 全国の報告会などでも紹介され注目されている乙訓教組青年学習会は多くのヒント提示している。ベテラン教職員たちが失敗だって学びだと自らの体験から語ることや、何だって質問できる安心感があふれ、毎週月曜日には遅くなっても必ず足が向くという「居場所」になっている。青年教職員自身が自分の実践を語って深められる実感があることや、乙訓地域にとどまらずに外に学びにいく精力的な様子は、信頼関係と継続のたまものと言えるし大いに参考にしたい。

 舞鶴でも、主に小学校を対象としたマナビバを継続して開催している。中心的に検討する教材を決めて、教科書を眺めながら、目次、章立てなどから「こんな学習法がある」「こういうことが注意点」と新鮮な発見をしたり、子どもの姿を描きながら研究を進めていく。そこから学級の悩みが派生したり、総体として教職員としてのがんばりどころを青年たちが共有する場として大切にされている。

 全てを紹介することはできないが、中堅、ベテラン、青年たちの力の相乗効果が多くの地域で発揮されている。


すべては「どうしたの?」からはじまる

 分断が職場に持ち込まれ、個人主義の学校体制がもたらす悲鳴はいくつも聞く。本当に心を痛める青年教職員たちの声がある。そんなときにこそ、学校から一歩出て、新しい価値観に触れることも大切である。実践報告や講演会に参加してみることで、斬新さや鋭さにひとしきり感動し、翌日からの校務に向かっていける。その一歩が踏み出せないでいる青年教職員もいる。「どうしたの?」「ちょっと行ってみーひん?」から始まる学びの輪はますます重要になってくると感じている。


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