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■ 好評連載 私と京都

日本は、寿司と地震だけの国ではない



          ロニ・ザドック(イスラエル出身)
 

 旅行好きのイスラエル人にとって、日本は、普通の観光旅行の目的地ではありません。言葉の壁、距離そして通貨は、年配の人のみが、通常、大きなグループのツアーの一員としてしか、日本に来ない理由になっています。ヘブライ語のガイドを伴って、旅行のルートをたどることは、必ずしも、日本の社会と文化の複雑さを理解することにはなりません。イスラエルで、日本について友人たちと話をする時、彼らは、たくさんの決まり文句と悪い考えのイメージを抱いています。それは、私も、京都大学の学生として来日する前に持っていたものです。

 私は、一年前に京都に来ました。テルアビブ大学では、政治学とジャーナリズムそして東アジアの研究をしていました。「日本人」は、めったにイスラエルでは見かけないので、日本語の上達のためには、日本へ行くのが最良の方法だと単純に決意しました。イスラエルでの周囲の人たちの反応は、来日してから、日本の方に、イスラエルから来ましたと私が告げた時と同じものでした。それは、驚きと戸惑いでした。そうしたなかで、イスラエル人には、日本は、寿司と地震だけの国ではないと言い、日本人には、イスラエルは、戦争とテロだけの国ではないと説明している自分に気付きました。

 私にとって、京都での学生生活は、学生らしいと感じさせてもらえた最初の経験だと言わねばなりません。イスラエルでは、授業料や家賃そして交通費などがとても高くて、そして、すべての親が子どもたちを支えることができないため、学生は、少なくとも週に4回は働かなければなりません。正直に言って、私は、いつも働いていたため、論文を読んだり、家で勉強したりする時間すらありませんでした。私は、学生の友達すべてがしているように、試験の前しか、勉強できませんでした。この困難な状況の中で、時間のやり繰りやストレスへの対処法がとても上手になるという利点はありましたが、それは、たやすいことではなく、時々、挫けそうになることもありました。

 イスラエル人は、ヨーロッパやアジアの学生と違って、うんざりさせられる徴兵期間が終わってから、大学に入ります。学生になっても、なかには年に一カ月の予備役に就く人がありますが、その人たちも、すべての研究課題とレポートを完了させなければなりません。

 私が、京都へ来た時は、奨学金を支給されていましたから、日本語の勉強には十分な時間を取ることができました。また、修学院の国際交流会館の宿舎は、設備も整っており、テルアビブでは、まるで夢のような家賃でした。私は、日本語の日常会話ができるようになりたいという来日前の目的を持っていました。そして、本日、つまりイスラエルへ帰国する一週間前ですが、まだやるべき沢山の課題がありますが、敢えて、私の目標を完璧にやり遂げたと申したいのです。

 日本滞在と旅行は、テルアビブ大学での、日本語と日本についての修士課程の研究プログラムへの適用と受容を示唆してくれました。言語がその社会をいかに反映しているか、という問題が、私の研究課題に関わってくるだろうと、いま考えています。日本語において、「敬語」や「謙遜」の誘因となるのは、ユニークな社会的品行の直接的反映なのです。イスラエル人のコミュニケーションは、率直で、直接的ですから、日本と比較したら、その違いを指摘し説明することが可能です。

 私の友人たちは、昨年来の日本での経験について、私が話すことを聞いて、私が日本に傾倒していると言います。それは、多分正しいでしょう。一人の外国人として、日本での生活は、とても便利です。日本の人たちは、外国人が規則をきちんと守らなくても、彼らに寛容です。外国人は、日本語を一所懸命に話そうとするたびに、そのことを強く感じます。日本の人たちは、控えめな素朴さで、やさしく親切です。それは、日本でしか見られません。西側の先進国では、ほとんどありえないことです。公共の場所での対応は、歓迎的で穏やかです。私は、ベン・グリオン空港に到着した時のことを考えると、深いため息とともにイスラエルの現実へ引き戻されるのです。(日本語訳・西山正一郎)

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