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父母と教職員の共同を今、ふたたび
――PTAのあり方を考える――



         大平 勲(京都教育センター)
 

1.「共同」をさえぎる風潮

  「モンスターペアレント」という新しい日本語は、教育学者の向山洋一氏が命名したとされているが、2008年秋の米倉涼子主演のTVドラマで広く知られるコトバになった。「学校や教育委員会に対して自己中心的とも言える理不尽な要求を突きつける親」を意味するとされる。それより以前に、小野田正利氏(大阪大学大学院教授)が「似て非なる」表現として研究しておられた「親のイチャモン」問題がある。小野田氏の問題意識は、一見理不尽に見える親の願いや要求を、学校や教職員はいったん聞き入れてその事をきっかけとして両者が理解を深め、共同への“結び合い”を広めることの大切さにある、と述べておられる。そして、思いを込めて声を上げられた親を「“モンスター”って言うな」と主張しておられる。

 残念ながら、一部の学校サイドでもいろいろと要求らしきことを突きつけてくる親たちを「あの人たちは“モンペ”(略語)なのよ」とその要求を正面から受け止めようとしな「障壁」があると言われている。

 本来、親(保護者)と先生は子どもを真ん中にして、子どもの成長を共同して見守るパートナーとしての役割と分担があり、お互い友好的な繋がりを求め合う立場であるはずだ。戦後の教育界にあっては長くそのことが常識であったし、1070年〜80年代にはPTAという媒体を通して、両者の共同と絆を深める豊かなとりくみや実践が多様に展開されてきた。アメリカなどでは学校教育に関するもめ事の多くは訴訟によって決着がはかられるといわれるが、日本では最近のいじめ事件などでの訴訟が話題になっているが珍しいのが実態だ。

 私は、昨今の「共同」をさえぎる風潮の背景に新自由主義教育観による「競争と選別の教育」があると見ている。わが子を「勝ち組」に仕立てるために、学校や学級そして担任までも選択する「権利」があるとして、不利益と思えることがらをクレームとして「直訴」することにためらいを持たない親が増えてきている。学校側も学校の序列化や評価を意識するあまり、課題を抱える児童・生徒の成長発達をじっくりと促すことよりも「規範意識」の徹底や新しい指導要領の詰め込みで学習の遅れをきたす子どもを“置き去り”にして「消化する」学習活動を余儀なくされている実状が少なからずある。

 また、学齢期の子どもを持つ親の多くは1980年前後の校内暴力時代に遭遇し、教師への敬意感が薄く、バブル崩壊後に非正規労働やリストラを余儀なくされた人々が、公務員は失業の心配がなく終身雇用であることに対する“嫉み”に似た感情が潜在していると思われる。そして、今の「競争と管理」による教育支配のシステムのもとでは「言ったもん勝ち」がまかり通る風潮が強まっていることへの危惧も小野田氏は指摘している。


2.教育は誰のものか

 今、大阪では橋下市長や維新の会が「教育改革」と称して「小中学校の選択制」「高校の大学区制と統廃合」「有形力による生徒指導」「出来ない子の留年」「『君が代』強制条例」「教職員の懲戒」などの施策を教育委員会をとび越えた首長権限で連打してきておりマスコミの多くが煽った報道をくり返している。こうした暴論・暴挙には文科省や多くの教育委員会でさえ“眉唾物”として捉えているが、こうしたキャンペーンの背景には前述した教育への不条理な社会風潮が風を送っているものと思われる。

 そもそも教育は、2006年末に「改正」された教育基本法でさえ、その第1条で「教育の目的」について、「教育は人格の完成を目指し、平和と民主的な国家及び、社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と明記している。

 そもそも教育は、人間としての成長をめざす内面的な活動であり、その発達保障に共同して携わる父母や教育関係者による教育活動に行政権力が介入することは、思想・信条、良心の自由などの基本的人権を侵害するものである。民主主義国家では許されない蛮行である。

 戦後60余年の教育情勢は、滅私奉公の国民育成を目的とした戦前の軍国主義教育への痛恨の反省から生まれた憲法や教育基本法のもとにあっても、教育を国民支配の“道具”とする「国家教育権」とそれらと対峙する子ども主体の「国民の教育権」が激しくぶつかりあってきたが、今の「橋下改革」攻撃ほど教育論不在の稚拙でファッショ的な手法はまさに前代未聞です。教育という営みは子どもを主人公にした父母と教育関係者による国民の事業です。子どもは発達を促す学習の権利を有し、父母や国民は子どもを教育する権利を持っており、教師は父母・国民からの負託によって教育活動を担う自主的権限を有しています。これらの権利は憲法26条や25条によって裏付けされており、国による不当な教育への介入を戒めた教科書裁判での東京地裁「杉本判決」(1970年)や学力テストに関わる最高裁判決(1976年)は昨今の教育実態を明確に批判する内容である。


3.PTA組織は何をなすべきか

 この父母の立場での「国民の教育権」を具現化するシステムとして戦後広がり、定着してきたのがPTA組織でありその活動でした。戦後にできたPTA(Parent-Teacher Association)は、戦前の学校後援団体であった「保護者会」や「父兄会」とは全く異質のもので、児童・生徒のよりよい教育環境の醸成をめざす保護者と教職員によって構成される教育団体組織です。アメリカの教育使節団の導きもあり当時の文部省が1947年、「教師と父兄の会――教育民主化への手引き」を配布したのを契機にして、全国の小中高校で爆発的な勢いで結成された。その後、日本PTA全国協議会や全国高等学校PTA連合会がつくられ、そのもとに府県単位や市町村単位の連合PTA組織ができ、今日では合わせて1,200万人を越える会員を擁する日本最大の教育、社会団体として存在する。発足間もない1950〜60年代にあってはまだ戦前の学校後援会的な名残を引きずり、会長などの役職も地域の名士やボスがたらい回しする実状にあり、活動も総会以外はおざなりなものでした。

 しかし70年代以降、民主的な運動や教職員による民主教育が高揚していく時期にあって、子どもを真ん中にした「子どもまつり」をはじめとした地域教育運動が盛んになる中で、PTA組織としてもそうした実行委員会に単Pや連Pとして組織参加し、中心的な役割を果たすようになった。また、活動の主軸としての学級PTAの活動が重視され、ほとんどの学校で父母や担任の企画・運営による「学習塾は必要悪か?」などをテーマとした「学級懇談会」が開かれ、父母と教職員が垣根を越えて繋がった。子どもも含めたレクレーションや親子文化行事なども役員の負担感もなく活発に行われた。
私が教務の立場で学校事務局担当として80年代後半から7年間関わった京田辺市立培良中PTAの活動は、その典型とも言える内容であった。PTA予算の大半を学級や学年単位の親子行事などに費やし、体育祭やマラソン大会、「宝塚歌劇」観賞卒業遠足などの学校行事にも父母会員が主体的に参画し、学校と父母・住民との「垣根」「敷居」を低くした。卒業式での「君が代」押しつけにも抗して、父母・教職員による合唱「心さわぐ青春の歌」などで卒業生を送り出したことも忘れがたく、今でも当時の父母との交流がある。

 また府内の各地で行われた、少人数学級や教職員増を求める教育条件向上や学校環境整備などを求めての教育署名などのとりくみも、今日では有志の形で継続されているものの、当時は教組分会などとともにPTAぐるみのとりくみとしてかなりの広がりを示しました。その後、教職員組合に対する攻撃や学校使用拒否など状況の変化もあり、父母と教職員の共同を遮る「圧力」も教育委員会や反動勢力からさまざまな形で加えられた。とりわけ京都にあっては、1978年の民主府政「落城」後の自民党府政に屈服した府教委などによる民主教育破壊、京教組攻撃などが強まるなかで民主的な組織と活動を堅持していたPTA組織にも露骨な介入攻撃が展開され、組織的改変を余儀なくされるに至った。とりわけ、「高校三原則の堅持・発展」やバイクの「三ない運動」に独自にとり組んでいた「京都市内府立高校PTA連絡協議会」を潰すために、府内を一本化する名目で新たに「京都府立高校PTA連合会」を立ち上げ、最も活発な自主活動を行っていた嵯峨野高校PTAでは、管理職が既存の組織から脱退し、新設された「コスモス科」の保護者を中心に別組織を立ち上げるという異常な干渉を加えた。(別掲の「栗山氏報告」参照)

 こうした攻撃にも屈せず、1991年には長く市内府高連P幹部として奮闘された有吉孝雄氏(故人)を中心に自主的な「京都PTA問題懇談会」が結成され、「公立学校30人学級をすすめる会」や「教育委員会の傍聴をすすめる会」などのとりくみに発展していった。かつて隆盛を誇った婦人会や青年団などの地域組織が衰退していく中でPTAは、今も地域と学校・子どもを結びつける最大の社会教育団体である。そのPTA組織が今日の教育状況下で何をなすべきかは、PTAのあり方に止まらず日本の教育のゆくえがかかった課題として問われているのです。


4.「共同」の旗を今、ふたたび

 今、PTAの組織とその活動は会員レベルから見て本来の姿、活動から遠ざかったものになっている。連P、単Pレベルでも本部役員が学校管理職とだけ連携をはかり、会員の声などを反映させる仕組みはほとんどなく、形骸化してきていると言われている。子どもや会員のために見える活動をみんなで行う術はなく、学校のとりくみへの協力や上部組織の研修や会合にだけ出ることを強要される。「役員のなり手がない」「会費の不明朗な支出」などがマスコミ記事になり、「PTAって必要ですか」などの特集もある始末で、多くのPTAは今や「厄介な」存在に成り下がっている。行政サイドから打ち出される「開かれた学校づくり」や京都市などが誇る「地域コミュニティ」による学校参画などの内実は役員中心の形だけであり、学校PTAは末端の会員には閉ざされた組織としてしか機能していない。この間、京都市で問題になった小中一貫校に伴う学校統廃合や少人数学級を求める教育署名などをめぐっては、「すでに上で決まったこと」や「上で決めていないことを勝手にやるな」などを理由にトップダウン丸出しの姿勢で、会員不在の「合意」などを押しつけ、何が「開かれた学校づくり」への参画と言えようか。

 教職員も日々過労を伴う長時間過密労働で、父母と語る要求は潜在していればまだ良い方で身柄を共にすることは無理難題なことになっている。しかし、新自由主義による「管理と競争の教育」がますます大手を振り、父母同士、教職員同士、そして父母と教職員の分断が進行するもとで手をこまねいて「流されて」いては教育のあるべき姿・形がもっと見えなくなってしまう。困難はあるが、手をこまねいていてはその困難は拡大していくのみだ。今、そうした危機感から教育のあるべき姿を求めての父母や教職員の繋がりが新たに構築されようとしている。今次特集で掲載されている乙訓や伏見の教育懇談の報告はその意味で教訓的だ。

 今こそ、困難を乗り越えてふたたび「父母と教職員の共同」の発信・受信のアンテナを高く掲げましょう。


【参考文献】

・「労働組合運動二つの潮流とその『未来』」(2012・かもがわ出版)第4章「教師の基本的人権と国民の教育権」(中道保和)
・「風雨強けれど光り輝く」(2010・つむぎ出版)第6章「地域教育運動」(大平勲)
 
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